6代目三遊亭圓生もよろしがすが、談志の小言幸兵衛も味がありましてよござすよ。
ということで、一つ二つ、小言を少々。
《奇跡は起きず、道場史上、最少人数確定。》ということらしいですが、それについて壇ミッツさんが内部リークを紹介していました。
運営の指示がえぐいですね。
別に少人数なら少人数で、包み隠さず現状を受け入れて全力を尽くせば良いじゃないですか。
それにしても「絵コンテ展」なるものを開くというのにそれで釣られるファンもいなかったのはなかなかの痛々しい結果ですね。
そりゃイボナメクジも不機嫌になるのも仕方がありません。
プライドずたずたでしょう。
だって普通なら好きな作家の創作過程ってすげえ興味があるものじゃないですかぁ?
しかし、イボナメクジのそれには誰も関心がないのです。
つまりイボシンパはマンガ作品として見ているわけではなく、単なる政治批評の絵解きとしてしか見ていない現実をまざまざと見せつけられたわけです。
単なる絵解きなら創作過程のネームなんて誰も興味があるわけがないじゃないですかぁ?
イボナメクジのブログって一般人のツイッター以下だと言った知人がいますが、まさにその通りで、ただワイドショーを観ていてフワッと思った程度のことをわざわざブログにする意味があるのでしょうか?
無論、ブログやツイッターで他愛のないことを呟くことは自由ですが、確かイボナメクジはそういう行為を否定し、ただ否定していただけならそれはそれで良いですし、考えを改めて自分もネットで呟くことを始めたって構わないのですが、それをしていた人たちを散々罵倒しておきながら、いつのまにかに自分もそこに混ざって平気な顔をしているのは何かモヤッとします。
立憲民主党の与党批判がちっぽけな揚げ足取りに過ぎないと言いたいのならそれはそれで個人の意見として尊重されるべきでしょう。
しかし、そこで出てくるフレーズが「小言おばさん」という味噌爺さんぶりにはツッコミを入れられてしかるべきでしょう。
まして、これから男尊女卑をテーマに「公論」をやると言ってる奴の発言なのです。
ブログ冒頭に書きましたが、伝統的思考をするならば本来は小言といえば爺さんを思い浮かべるものでしょう。
しかし根っからのミソジニストであるイボナメクジはちっぽけな無駄話をするのは「おばさん」と決め込んで、そう言うわけです。
↑このブログ、本当に書く必要があったのでしょうか。
テレビの前で一人で呟いておけば良いじゃないですか。
どうしても人に聞いて欲しいのならば、家人と会話してそれで済ませるべきでしょう。
自著の宣伝をしたあとについでに首里城火災について触れるのもどうかと思いますが、その内容の薄っぺらさとピントのズレに唖然とします。
《首里城が焼けてしまったのは衝撃だ。あっちゃならないことだ。》
ここまではまあ一般人の素朴なツイートレベルの感想です。
《沖縄と言えば首里城だったので、今度は燃えにくいように復元するしかないな。》
これには「は?」と思わず声が出てしまいましたが、常識のない中学生レベルだと思えば、まあスルーして良いでしょう。
この火災については沖縄の人たちのツイートを読むともっと色々と深く考えさせられます。
妻に教えてもらったタレントのりゅうちぇるのツイートを読んだあとにイボナメクジのブログを読み返すと、さすがは公論の代表師範だなと感心しました。
(一応、注意書きしますが、これはイヤミであり、本気で感心なんてしてませんよ。念のため)
更に、イボナメクジは次のように続けます。
《熊本城の復元はどこまで進んだんだろうな? 熊本城も天守閣まで登ったけど、苦しかったなあ。労務会館の3階までの比じゃなかったぞ。》
これはなんですか?
不謹慎ギャグのつもりですか?
ただ痴呆が極まってうわ言を発しているだけにしか見えないのですが…。
橋田ピン子や苔ナビなどはこれを読んで、「キャー(≧∀≦) センセったらお茶目ーっo(^o^)o」などとはしゃいでいるのでしょうが、どう考えても、ボケの進行を疑う段階にきていると思ったのは私だけではないでしょう。
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