ドロヘドロに続きまして、イボナメクジ代表師範も「内部向けの文章」をブログにて「公開」しました。
さすが「道場にとってはメーリングリストは公」と言うだけのことはあります。
しかし批判されている側の意見は一切公表されないのですから、イボサイドの意見だけで全容を判断させるのはフェアではありませんね。
しかしイボ道場に民主主義はなく、イボの独裁体制であると開き直っているので、それで良いのでしょう。
しかし、そんな場所では熟議民主主義など成り立つわけがないし、そんなものを公論と呼ぶのは烏滸の沙汰なりでございます。
上に貼りましたイボブログの内容を読んで、ふと思い出しましたが、私は数日前に「イボ道場には緊張感がない」と書きました。
そして、かつて門弟であったらいてうブランシェットさんや壇ミッツさんの存在が良き緊張感を保っていたのだと書きました。
まるで、それへのアンサーのように、遅延ブーの注意文を公開し、「道場はここまで厳しくやっているのだから、弛緩道場などとは呼ばせない!」と反論しているように見えます。
まあ、ウルトラアンチの駄文ブログなどイボもヘドロも読んでいるわけがありませんので、私の思い違いであると承知していますが、あえて、その反論へ返答したいと思います。
私が言った緊張感とは運営や設営についてではありません。
そんなものに緊張感を持たせるのは運動に生き甲斐を見出した運動家のやることです。
私はあくまでも「緊張感のある議論」について指摘したのです。
しっかりした設営をやりたければ、それ相応の会社に依頼してちゃんと報酬を支払い、やってもらうべきであり、それは公論とは別の話です。
設営作業や運営費をやりくりすることは公論の議論とはまったく関係ないものであります。
参加者のなかの有志があくまでボランティアとして設営を手伝っていた筈が、その作業こそがメインの問題となり、議論そのものは師範の垂れ流す駄弁をただ鵜呑みにするだけになっている現状の滑稽さはなんでしょうか。
運動家じゃないのだから、設営なんざ笑いながらダラダラやったって構やしないのです。
当の議論に緊張感を持って挑めばそれだけで良いのです。
もし、それで道場の運営が滞るようなら、形態を変えるなり、解散するなりして、あくまで議論本位であるべきなのです。
それこそが公論形成というものでしょう。
当の議論はまともに進行もせず弛緩しきって、質疑応答ではマヌケの自分語りを垂れ流したままにし、メーリングリストやコメント欄では幼稚な馬鹿騒ぎをしているだけであるなんて本末転倒甚だしいでしょう。
弛緩するのはイボナメクジの顔だけにして下さい。
この記事へのコメント
なんか気分落ち込む