↑このイボブログなのですが、何故か急に「大東亜論」の内容についての言い訳をしていて、事情が分からない人はポカンとしてしまいますよ。
これは月初めに必ず現れると言われている幻のイボアンチ人食いオロチさん(仮名)のコメントに対応したブログ記事であるというのに、相手のコメントを一方的に削除してしまっては意味が分からなくなってしまうではないですか。
ドロヘドロ師範代はそんなことも理解出来ないアホの子なのでしょうか?
自分へのツッコミに対して、《あらゆる事象に「矛盾」が潜んでいる。》の一点突破で逃げ切ろうとしていますが、すべてのことに矛盾があって当然ならば、議論などというものは成立しなくなります。
というか、そのような考え方だからイボ道場の連中はまともに議論も出来ないのでしょうね。
「大東亜論」について、今更「悪を引き受けられない自分の青臭い善良さ」が描かせたかのように言い訳するのを見苦しいと思わないのでしょうか?
しかも、このイボブログは人食いオロチさんのコメント内容への反論としては弱すぎるのですが、それ故に相手の疑義を削除して、勝手に論破したことにしようとしているのでしょうか?
それはあまりに卑怯が過ぎると思いますので、少々長くはなりますが、人食いオロチさんのコメントを以下に復元します。(復元というか、スクショした画像を貼るだけですけどね)
《わしが今、「韓国論」を描き始めたのは、》《韓国の「反日」イデオロギーにとどめを刺す時期が到来したと思ったからだ。》というのは言い訳で、新刊がまったく(本当にまったく!)売れなくなったものだから、世間に迎合して、嫌韓商売を再開したというのが本当のところでしょう。
そもそも「もう論はやらない」とか以前にどこかで書いていませんでしたっけ?
まあ、そんなことは毎度のことなので、その発言元のブログ記事を貼ることはよしておきましょう。
それをやりだしたらキリがないですからね。
そしてしまいにゃ「時処位」ときましたか。
《『時間と場所と立場に応じた状況の差があるから、状況に応じて対応を変えるのを見て、同じだとか、異なるだとか言い募るのは、「時処位」の道を知らないからである。』》
なるほど、つまりは「あの時、ポチはこう吠えた」などと言って、過去の発言を蒸し返して批判するのは「時処位」の道を知らない奴がやる愚かな行為というわけですね。
私はその意見には反対なので、今後もイボの過去の発言の矛盾を突いていくことにしますが、イボナメクジは「過去の発言を探して来る馬鹿」という以上はもう二度と他人の過去の発言を批判しないよう願います。
↑さて続きまして、このイボブログですが、確かイボ道場は日本で最高峰の熟議の場と謳っている筈ですが、そこの師範を務めている奴の優先順位がおかしくないですか?
軽薄なテレビ出演(しかもテレ東って…)の為に欠席するとはどうなっているのでしょうか。
指示待ち族ではない門弟たちはその師範を突き上げるべき案件でしょう。
熟議を、そして道場を軽く見ていなければ出来ない芸当でございますですよ〜。
《マスコミ対応を重視して、道場には欠席してもらうことになった。なんと言っても、皇室に関する解説は、将来、高森氏に全面的に担ってもらわなければならない。》
なんという苦しい言い訳でしょう。
あのテレ東に出ることがマスコミ対応と呼べるのか、そもそもイボナメクジはつい最近テレビ出演の効果を疑問視していませんでしたか?
また別の師範は《子供の世話があるから、道場は出るが、終了後はすぐ帰る。》と言って、門弟門下生との懇親会をバックレるとはどうゆうことでしょう。
内心では馬鹿と狂人の集まりだと思っているから、そんな幼稚な連中と関わり合いになるのはゴメンだと逃げたのでしょう。
子供の世話を自分の母親に丸投げして、どこかの山尾議員と海外旅行に行っていた奴がたった一晩福岡で過ごすことも出来ないなんて、そんな馬鹿な話はないでしょう。
で、打ち上げも大好きな関西グループの時とは違い、他の師範もほとんど参加せず、二次会で気に入った女性門下生を呼び出すシステムにするとか、なかなかにエグみがある振る舞いです。
↑門下生の出来不出来をこのように比較するあたり、大した性格をしているなと感心します。
本来、道場とは、それぞれの意見を表明し、活発な議論することが本義であり、それ以外は余分な物のはずです。
当初、道場に参加した人たちはその意義に魅力を感じて集まったのだと思います。
牛タンメガネさんしかり、らいてうブランシェットさんしかり、元門弟が辞めていった最大の理由はそれがまったくの虚偽であったことに気づいたからです。
牛タンメガネさんはそのことをメーリングリストで指摘した為に破門になり、らいてうブランシェットさんは自ら見限り、どうせ言っても無駄であると悟り、何も言わずに自主退会しました。
まともな人ならば、設営なんぞの無駄なマウンティングに付き合っていられるわけがありません。
《来年3月8日開催の「中四国ゴー宣道場」に向けて、》《「今から」準備を進めている。来年のことなのに、「今から」やっているその努力は、「成功させたい」と願う本気の覚悟が十分わかって、ほとんど感動的ですらある。》
これは準備が足りなかった九州門下生への当てつけ以外のなにものでもないでしょう。
というか、半年後のチンケなイベントの準備を今からするとか、どんな無能集団なのでしょうか。
EXILEのライブツアーじゃあるまいし、マヌケにもほどありますし、どれだけ暇を持て余しているのでしょうか。
近所の書店に行ってチラシを置いてくるとか、かなり爽快学会員的な行動に普通はドン引きするものですが、出版社が自分の本に力を入れてくれなくなったので、なんと読者に営業させて喜んでいるのです。
どれだけヨゴレに堕ちれば気が済むのでしょうか。
《指示待ち族なんかとっくに卒業していて、「個」の
力で邁進するだけだ。》何度も言いますが、これってまんま爽快学会の学会活動です。
仕事終わりや休日に手弁当で学会のために奔走することが功徳に繋がると本気で信じている連中とまったく同じです。
道場開催の準備や設営が公論に繋がると本気で信じているのです。
イボは道場がカルトではない理由として、金儲けをしていないことを挙げますが、マルチならば金儲けを主目的としていますが、カルトとは別に金儲け云々は関係ありません。
以前にも指摘しましたが、人に何かをさせるには人件費というものがかかるのですよ?
それを無償でやらせている時点で、金を徴収しているのと同じであるのは誰でも分かることでしょう。
イボは資金はわしが出していると事あるごとに言いますが、自分が始めた政治塾なのだから運営費を自分が補填するのは当然でしょう。
次世代への投資のつもりで始めたのではないのですか?
また道場での議論を作品に活かし、その作品を発表することで収入を得れば良いではないですか。
それが出来ないのならば、さっさと辞めてしまえば良いのです。
口では「公論、公論」と言いながら、実際にはただ我欲を満たそうとしているだけではないですか。
我欲道場。
まさに、コレです。
道場の活動のすべては我欲の一言で説明がついてしまうのです。
自分の我欲が満たされるから《わしにとって「ゴー宣道場」は楽しいのだ。》ということです。
話は変わりますが、昨夜私たち夫婦が映画鑑賞をしている間に、ツイッターでは肉ヘドロの裏垢が愉快な頑張りを見せていたようで、そのことについてまたのちほどブログに書いていきたい所存です。
お楽しみに。
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