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悪質な中島みゆき利用

イボナメクジは、道場内で男性門弟とみだりに淫らな行為に及んでいたとして、私の妻について門弟資格を剥奪して追放したと明言しました。
女性の側にはそのような処分を下しておきながら、関係を持ったとされる男性陣は誰一人として裁かれることなく不問に付された理由は女性蔑視以外にはないでしょう。



九州道場でイボナメクジは目黒女児虐待死事件などを例に挙げ、「母性を喪失した女性」について嘆いてみせていました。


川崎市中1男子生徒殺害事件の時も富士見市ベビーシッター事件の時もイボナメクジが最も強く非難したのは被害者の母親に対してでした。


普段は「子供は国の宝」だの「子供は社会や地域みんなで育ててゆくべき」だのと言っておきながら、結局何か事が起きた時は「子供を守る母性が足りない女が悪い」と言って、既に苦しんでいる母親バッシングに走るのは女性蔑視以外のなにものでもないでしょう。

すると、イボナメクジは「いや、わしは女性を敬っているし、神聖視している。そんなわしがミソジニーなわけがない」と馬鹿丸出しの反論をするのですが、その発言がそもそも差別だと何故気づかないのでしょうか。

イボは母性を神聖視していますが、つまりそれはそれに当てはまらない女性は女性として欠陥があると言っているわけであり、事実「母性」が欠落しているとされる女性を非難しております。

自分の思い描いている理想の女性像を神聖視し、そうではない女性を憎悪するのはまさしくミソジニーでしょう。


イボ道場の連中はよくイボナメクジの「思想」とやらを評する時に中島みゆきさんの歌のようであるなどととんでもない事を言い出します。

皆さんは中島みゆきという人の歌の凄さをご存知でしょうか?
私がここで持てる限りの語彙を駆使してそれを伝えようとしても決して伝えきれない凄さがあるのです。

「言葉なんて迫力がない。言葉なんてなんて弱いんだろう」と自分の言葉の弱さに負けそうになります。

なんとなくテレビやラジオ、街角などで流れているのを聴いたことがある程度の人が、「どれどれ、どんな歌詞を書いているのかね?」などと言って、ネットで歌詞を検索して読んでみても、その凄さは伝わらないでしょう。


中島みゆきという人はおそらくたくさんの言葉を知っていて、その言葉の一つ一つの意味がしっかりと身についている人なのだと思います。
だから無意味な装飾を施すことをせず、平易な言葉で歌を紡いでみせます。

知性があるように見せたがるミュージシャンなどは難解そうに見える妙ちきりんな言葉を使いたがりがちですが、中島みゆきさんはそんなカッコつけとは無縁です。
誰もが分かる言葉で歌います。

しかし歌詞を文字面だけ読んでも、その歌の本質には迫れません。
中島みゆきさんの歌は中島みゆきさん自身が歌うその姿と一体化した時に、その凄まじさは放たれるのです。

「ピアニシモ」という曲がありますが、その曲の歌詞だけ読んでも、その深淵なる意味を掬い取ることはなかなかに困難でしょう。
私は実際に「一会」をコンサート会場で鑑賞し、その時も「ピアニシモ」に感情を揺さぶられましたが、今回劇場で映像を観て、表情の変化まで見たことにより、更に深く本質に触れ、涙が溢れました。

「だって歴史たちが示している。シュプレヒコールもアジテイションもみんな、わめかなければ届くものじゃない。がならなければ振り向きもされない。」

しかし、それでは声の小さな人の想いは掻き消されてしまいます。
大上段に構えて傲慢をかませば、本人は心地良いでしょう。
マジョリティから喝采を浴びるかもしれません。
しかし、本当に拾うべき声に耳を傾けることが出来なくなってしまいます。


だから、「ピアニシモで歌ってください。大きな声と同じ力で ピアニシモで歌ってください。」

そうすることによって、顧みられることのなかったマイノリティの悲痛な叫びに気づき、手を差し伸べることが出来るようになるのです。


イボナメクジ道場の門下生の誰が言い出したのか知りませんが、公論道場のテーマソングは中島みゆきさんの「ファイト!」であるなどと嘯いていますが、そいつらは果たして本当に曲をちゃんと聴いたことがあるのでしょうか?

サビの部分だけを聴いて、「イボりん先生は闘う君だ、我らが大君だ! 万歳万歳。イボりん先生の弥栄を祈ろうぞー!」と陶酔しているのではないでしょうか?


ゴー宣道場だってそうなんだと思う。 憲法論議だってそうなんだと思う。 大事だと思うからやっている。 この国の未来を形作る責任があると思うからやっている。》

↑このパンダーウーマンのブログを読むと、まさにサビの部分だけを借用して自分たちのことだと悦に入っています。

「ファイト!」の歌詞をちゃんと読めば明確ですが、歌詞の中に登場する人々は、社会的に見れば、いわゆる負け犬、ルーザーです。
勇ましく戦いゆく者ではありません。

イボナメクジやイボナメクジ道場のシンパたちが頻繁に叩いている人々への救済の歌であることは歌を聴くまでもなく、歌詞を読んだだけでも理解出来ることです。


そのことについては以前、アメブロにも書きました。


以下にアメブロに書いたことを再掲します。


《国を憂いる志士として闘う人が正しく、闘わない人は愚かな卑怯者であると定義づけた歌として中島みゆきさんの『ファイト!』を引用する奴をよく目にします。
選民意識に凝り固まってカルト化した集団などがよく口にします。

しかしあの歌での「闘う君」とは決して「選ばれし志士」ではありません。
社会の底辺に生きる名もなき人々です。

それこそ『万引き家族』や『フロリダ・プロジェクト』で描かれた人々の歌です。
鈴木大介さんのルポルタージュ『最貧困シングルマザー』もそうです。

川崎市中1男子生徒殺害事件の被害少年の母親や富士見市ベビーシッター事件の被害男児の母親への歌でもあります。

それらの人々を断罪するかのように切り捨てる連中こそが「戦わない奴等」なのではないでしょうか。

「選ばれし志士」に似合う中島みゆきさんの歌は「Nobody Is Right」です。
この歌こそが彼ら「選ばれし志士」を見事に表現しています。》

中島みゆきさんの歌う曲のなかには確かにイボナメクジ道場にバチハマりする歌が幾つもあります。
しかし上でも述べました通り、それは「ファイト!」ではありません。

まさに「Nobody Is Right」はそれに該当しますし、「ベッドルーム」という曲もそうでしょう。




奪われ続け、踏みつけられ続け、傷つき弱り切った者たちを更に踏みつけにして、傷つけ、「弱者ぶりっこが傷つけられたと言って被害者ヅラする事は我慢ならん」などと嘯いて自己正当化するイボ道場のどこが中島みゆきさんと同じなのでしょうか。


傷を負った人々へ卑劣な攻撃を加えるイボ道場をこのまま放置しておいて良いわけがありません。

イボナメクジは異論反論を許さぬ性格をしているのに議論をやりたがるのがそもそも間違っています。

反対意見を言う相手との言葉の応酬で、押され気味となり、言葉に窮して不利になったとみるや「こいつは信用ならない奴」という悪印象を喧伝するのが常套手段になっています。

その時はなりふり構わず、プライバシーを暴露したり、デマを流したりと、なんでもいいから大声で言ったもん勝ちというスタイルを取り、不敵な笑みを浮かべて余裕ある風を装います。

そのやり口は反論するメディアを持たない一般人が相手ならばなおさら効果的に作用します。

これぞ彼流の絶対に負けない戦い方です。


私の妻に対して流した悪質なデマについて、実名を挙げていないのだから良いと言うことにはなりません。
誰について言ってるのかわかるように話している時点で実名を挙げているのと同じことです。

そもそも赤の他人にどのような印象を持たれようが痛くも痒くもありませんが、見知った相手に誤解を抱かれる方が被害は大きいのです。

名前さえ伏せておけば、事実無根のデマで中傷しても構わないというのが公論界隈の公式見解なのでしょうか。


道場に参加している門弟たちの中には私の妻と飲み会や食事会などで懇意にした人もいた筈で、その人たちは妻がどのような人間かよく知っていると思うのですが、彼女らは今どう思っているのでしょうか?
イボナメクジが、一私人である私の妻の名誉を著しく傷つけるようなデマを流しても、皆ダンマリを決め込んでいるのでしょうか?

イボナメクジが主催する道場の謳い文句はこうです。
「身を修め、現場で戦う覚悟をつくる公論の場」
まさに、身を修めているからこそ、主催者がデマを垂れ流していることを知っていながら見て見ぬ振りをし、イボナメクジに逆らう奴はどのようなデマを流されても自業自得だと考えているのでしょう。

大した公論の場です。

妻が門弟として道場に通っていたのは今からもう6年以上前になります。
イボナメクジはなぜ今になってそんな前の話を持ち出してきたのでしょうか?
やっていない事を証明するのは難しいです。
やっていない証拠を提示することもほぼ不可能です。

ましてや6年以上前の出来事なら尚更です。
証拠もない、ただ流れてくる悪い噂だけで一人の女性をサークルクラッシャーであると断定して聴取もせず密かに破門処分に下し、追放してから侮蔑して仲間内で笑い合うというのは下卑た人間が集まる場所ではよくある光景です。
それにしても「身を修め、現場で戦う覚悟をつくる公論の場」とは何の寝言ですか?
そんな腐りきった道場で一体何が学べるというのでしょうか。
卑怯卑劣に生き抜く方法ですか?


私は恥ずかしながらかつてイボナメクジを支持していました。
まさに黒歴史です。
そのことについて、「かつては熱狂的に支持していたくせに手のひら返しをするのは間違っている」などと愚かなことを言う人が僅かながらいるらしいのですが、一度支持したものは一切撤回出来ず支持し続けなければならないなんてそんな馬鹿な話はありません。
考えを改めたなら迷うことなく支持を取り下げるべきでしょう。

そしてもう一つ、公に向かって政治発言をした者は有名無名問わず、匿名実名関係なく、発信した内容が評価の対象になるのは当たり前の話です。

「わしの影響で世の中が変わったなんて、それって褒め言葉? クソ左翼どもやアンチどもはわしの言葉の威力を認めていることになるよ? わしを大した奴じゃないって思っているなら放っておけばいいじゃない」というような揶揄を飛ばせば批判者はぐうの音も出まいと思っているイボナメクジのような低劣な人間もいますが、どんなに社会的にチンケな奴の寝言でもヘイトスピーチはヘイトスピーチです。

カスの妄言などは放っておいても大事ないなどと高を括っていると、知らぬ間に在特会の連中や女性専用車両反対運動の連中のように迷惑な存在がゴキブリのように増殖してしまいます。
だから私は道場を批判するのです。
かつて支持した者の責任として小さな声ながら批判の声をあげるのです。

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