マーティン・スコセッシの新作はNetflix作品ということで本来は配信のみであるのですが、一部劇場で先行上映されているということで大急ぎで観に行き、堪能してきました。
スコセッシ×デ・ニーロコンビの集大成といえる作品でもあるので、ストーリーや演出の素晴らしさ以外のところにも深い意味がある感慨深い映画でありました。
老成されたからこそ辿り着いた結末にぐっと来ます。
もしかしたら若い世代にはまだ『レイジング・ブル』や『グッドフェローズ』のラストの方がカタルシスを感じられるかもしれません。
映画は若い内にたくさん観るべきものであり、中学生や高校生の頃に観た映画の感動は一生モノであると私はこれまで思ってきましたし、今も思っていたのですが、歳を重ねた今だからこそ理解し、共感出来る作品もあるのだと思い知りました。
かつてピンと来なかった映画も今観たらもしかしたら胸に響くのかもしれないなどと思ったりしている内に夜も遅くなり、帰宅してビールを飲んだらぐでぐでに酔い、とてもブログを書ける状態ではなくなってしまったわけでございまして、こうして翌日アルコールが抜けてから、缶ビール片手にブログを書いている次第です。
さて、映画といえば、イボ舐めライジングでは陳腐な『ジョーカー』評が有料公開されており、それを読んだイボ舐め読者が低レベルのコメントを投稿しております。
《よしりん先生の感想を読んで行く気が失せました》とか《ジョーカーもテレビでやったら見てやるかな程度の興味しかない》とか《見に行かなくてよかったと思います》とか《なんというかひたすら夢がない感じであれ結局面白かったんだっけ?(笑)》とか《感想としては「ショボい」につきました。主人公はショボいし、犯罪を犯した動機はショボいし、弾けぶりはショボいとショボいのオンパレードでした。スケール感のなさは感じたものの、その理由までは分析できませんでしたが、よしりん先生の映画批評で腑に落ちました。》とか《この映画を見たわけではないので、想像で記します》とか《バットマン系列は全然観てないので何とも言えないですが》とか、唖然とするような酷い投稿だけが並んでおり、これが今のイボナメクジ読者のレベルなのだと納得しました。
そんな中でキラリと輝くコメントがありましたので紹介しましょう。
このズリセン弾き(仮名)なる幹部門下生のイキリオタクぶりはまるで肉ヘドロ将軍の劣化コピーのようで、ただただ不快なだけの駄文を書いていながら自分は有能であると錯覚している辺りが仲間である門弟たちからも嫌われている要因になっているのですが、イボナメクジにはひたすら恭順し、更にイボのお気に入りである遅延ブーの騎士団長でもあるので、誰も彼のおかしさを指摘出来ずにいるようです。
イボが『ジョーカー』についてやたらとバットマンのスピンオフであることにこだわっていることに乗っかって、ケチをつけているところが笑えます。
よくいる半可通に限って、自由に映画を楽しむことを勝手に禁じて、表現を萎縮させるような発言ばかりするものです。
イボナメクジやそれに盲従するズリセン弾きなどはまさにそれに当てはまります。
しかしイボナメクジったら、有料部分で「このジョーカー、どう見ても頭が悪いのである!」なんて書いていたのですね。
それだけで、ちゃんと映画を鑑賞出来ていないのが分かります。
ストーリーの中でそのことはしっかり描かれていたではないですか。
ジョーカーの日記帳(ネタ帳)一つ見ただけで、それが現在の社会問題とリンクしているのが分かる筈です。
格差の拡大により、まともに教育を受けられなかった貧困層の悲劇を読み取れない連中が公論を云々するとは笑わせます。
大将であるイボナメクジがこのザマなのですから、そこに集う連中のリテラシーも同程度かそれ以下であるのは当然です。
一方、私のブログには素晴らしいジョーカー評が届いたことは以前にも紹介しました。
↑この感想のあとにもまた別の方からコメントが届きましたので紹介します。
《JOKERの主人公アーサーは後半にこう言います。
そのスタンスで名作を世に送り続けたのはチャップリンですが、映画の中のチャリティー会場で上映していたモダンタイムスに笑い転げていたのは富裕層たちでした。モダンタイムスは彼ら資本家によって作られた病んだ社会を皮肉った話なのですが。
JOKERの時代背景は1981年とのことですが、作中あったスタンダップコメディで、耳を塞ぎたくなるようなえげつないセクシズム丸出しのJOKEもありました。
観客は笑い転げていたので当時はあれが笑いになったのでしょう。どうやら一部の人は、昔はおおらかでよかったとその時代を懐かしみ、あの頃よもう一度と言っているようですが。
マレー・フランクリンも似たようなものです。弱者を嘲笑し貶めることで笑いを取り、その同じ口で悪を非難し善を語る。トーマス・ウェインもそうでした。
マレー・フランクリンも似たようなものです。弱者を嘲笑し貶めることで笑いを取り、その同じ口で悪を非難し善を語る。トーマス・ウェインもそうでした。
その偽善たるや反吐が出そうになるわけですが、今も似たような場面にしばしば出くわすことがありますよね。
JOKERを見た人の中には、アーサー(JOKER)は自分の中にもいて、誰でもなり得る怖さがあるという感想を持つ人がいます(私もそのひとり)。
JOKERを見た人の中には、アーサー(JOKER)は自分の中にもいて、誰でもなり得る怖さがあるという感想を持つ人がいます(私もそのひとり)。
バットマンのJOKERは邪悪の化身のようなキャラクターだそうですが、今回のJOKERを見ると、治安悪化と大量のゴミによって腐臭漂うゴッサムシティに負けないくらいの絶望的に邪悪な人間が出てくるので、邪悪の化身とは誰のことなんだろう?とも思うわけです。
社会の病理や人間の闇を抉ったJOKERをアメコミのバットマンという目で見れば邪道と感じる人もいるのでしょうが、創造の羽根をめいっぱい広げて縦横無尽に飛翔できるハリウッドの懐の深さを感じられる作品でもありました。》(ルパート・パプキンさん)
どうですか?
ライジングコメント欄とは雲泥の差でしょう?
おそらく、このルパート・パプキンさんもかつてはイボ読者であったのでしょうが、このように誰に仮託するでも加担するでもなく、自分の意思で考えた意見を表明することが出来る人ほど、今のイボナメクジの愚劣さに見限り、離れていくわけです。
イボ道場は悔しかったら、このお二方以上のジョーカー評を書いている門下生のコメントをブログにて紹介してみせて下さいね。
この記事へのコメント
ただしこいつの嫁さんについて書くのは今後やめよう
流石に心が痛くなる
キチガイ
今後ともよろしくな!
この度は大変無礼な発言をし心より陳謝申し上げます。
ジョーカーの件につきまして私の送ったメッセージは批判ではなくただの心ない中傷であるということに送信後気づき
大変な失礼をしたと本気で申し訳なく思っております。
私は鷲ヲ様がおっしゃる女性ではなくただの小林よしのり先生のファンです。
道場内部の状況や鷲ヲ夫妻様の問題もブログをインターネットを介してしか勿論存じ上げておらず
鷲ヲ様のブログの内容があまりにも道場に対して攻撃的であったため衝動的なメッセージを送ってしまいました。
大人げない行動をとり重ねて鷲ヲ夫妻様へ心より陳謝申し上げます。
もし鷲ヲご夫妻様が仰っていることが事実ならば闘ってください。
誹謗中傷に関しては陰ながら鷲ヲ夫妻様を応援させていただきます。
もう二度と私からこのブログにメールを送ることはありません
最後に鷲ヲ夫妻様へ重ねて心より御詫び申し上げます。
大変申し訳ございませんでした。
今晩は
私は本件のにけんめ
この度は大変無礼な発言をし心より陳謝申し上げます。
門弟になったのは人生最大の黒歴史てか恥
ここにすでについている2つのコメントの人間性のギャップをお感じになっていらっしゃると思います。
単に映画評に留まらない、イボ界隈への風刺まで込められた最初のコメントに比べ、
次に夜中の2時過ぎという、本来休息に充てるべき時刻に届けられた、クソコメの見本とも言える罵詈雑言。
これが、イボ界隈の呪縛から自由になった人と、イボの呪いに自らハマっている愚か者の違いです。
やってること、言ってることが相手を自殺に追い込むいじめと何ら変わりません。恐ろしいのは、これがイボにとって役にたつことと信じて疑っていない、「大人」の所行だということです。
イボシンパでありながら、こちらを読んでいらっしゃる方、あなたのメンタルは大丈夫ですか?
金返せこの野郎
ゴミ箱ガンガン蹴飛ばしてたシーンなんかお前の脳内そのままじゃないのか?
ジョーカーの後戻り出来ない悲哀に包まれた壮絶な姿なんかまさにお前そのもの
傑作だったよある意味で
いつジョーカーになんの?
ティティナ
私は、冒頭のアーサーがメイクする横顔と、車窓から外を眺めるアーサー(おそらく彼の目には何も映っていない)の姿に胸を鷲掴みにされ、そのまま一直線に地獄へと引き摺りこまれた。彼の絶望から狂気という修羅の旅に道連れとされてしまったようだった。
アーサーの頭が悪いと言われても、「その通り」としか言いようがない。だがマレー・フランクリンショーに出演したときのアーサーはどうだ。アーサーの弁舌がマレーを圧倒してしまったではないか。頭が悪かった彼を何がそうさせたのか。
地獄へ道連れにされてしまっていたらそれが自ずとわかってくる。
だから、つまらなかったという感想の人を羨ましいと思うのだ。