↑このイボブログについて、ほんの些細な事なのですが、気になった点がありますので指摘させていただきます。
《昔は「パール真論」でもバカ売れしてたのだから、
知性の劣化はどんどん進んでいます。》と書かれていますが、確か当時は「パール真論」と「沖縄論」は全然売れなかった筈だったと記憶しているのですが、得意の歴史修正主義を発揮して歴史の改竄をしているのでしょうか?それとも現在出している新刊が、当時としてはまったく売れていないその2冊の売り上げに遠く及ばなくなってしまった為に、今と比べればバカ売れしていたという意味でしょうか?
イボはブログの中で、《もともと『ゴー宣』は文字量・情報量が多い漫画で、一定の読解力がない人には読めないと思う。》《知的好奇心がある人、国語力がある人がいるはずと信じて描かなければ、ツイッターしか読めない人には、もう無理です。》といつものフレーズを書いていますが、これって読者に下駄を履かせる効果しかないんですよね。
「イボのマンガを読めている自分は、そこいらの読解力もなく、知的好奇心もない凡夫どもとは違う優れた人間なのであーる!」
イボ道場門下生たちは実際にマンガや小説、音楽や論文、そして映画などについてどれだけ深く洞察することが出来ているのでしょうか。
先週のライジングはちょうど映画『ジョーカー』について論じているので、それについての門下生のコメントを更に見てみましょう。
なかなかの衝撃的な感想文です。
これが知的好奇心豊かで、優れた国語力がある道場門下生の実態です。
もう一つ紹介しましょう。
どの役者が演じたジョーカーが好きであるかはそりゃその人の好みであるので、イボナメクジがヒース・レジャーのジョーカーが好きなのはそりゃ結構なことですが、好き嫌いは単なる感想であり、批評ではありません。
イボは記事の冒頭で、《久しぶりに映画評を書こう。》と書いていますが、ただの感想文と評論の違いも理解していないのでしょう。
マヌケな門下生が《どうしてもヒースレジャーのジョーカーとアーサーが結びつかなくて「???」》と書いていますが、ではジャック・ニコルソンやジャレッド・レトのジョーカーとヒース・レジャーのジョーカーは結びついていますか?
ティム・バートン監督とクリストファー・ノーラン監督のバットマンだって世界観はまったく違います。
門下生たちはやたら残虐なジョーカーを期待しているようですが、『ダークナイト』ってそんなにハードなシーンがありましたっけ?
むしろ今回の『ジョーカー』の方がかなりリアルな痛みや死を剥き出しに描いていると思うのですが、まぁどんな感想を抱こうとそれは人それぞれ自由ですよね。
さて、人の感想を比較するのは野暮なことですが、私のブログにも『ジョーカー』についてのコメントがまた来ており、私の妻がそのコメントに深く共感し、是非ブログで紹介すべきだと言っていましたので、以下に紹介します。
《ジョーカーを見てショボい、つまらないという感想の人を、むしろ羨ましく思う。
彼の絶望から狂気という修羅の旅に道連れとされてしまったようだった。
アーサーの頭が悪いと言われても、「その通り」としか言いようがない。
アーサーの頭が悪いと言われても、「その通り」としか言いようがない。
だがマレー・フランクリンショーに出演したときのアーサーはどうだ。アーサーの弁舌がマレーを圧倒してしまったではないか。頭が悪かった彼を何がそうさせたのか。
地獄へ道連れにされてしまっていたらそれが自ずとわかってくる。
だから、つまらなかったという感想の人を羨ましいと思うのだ。》(ティティナさん)
地獄へ道連れにされてしまっていたらそれが自ずとわかってくる。
だから、つまらなかったという感想の人を羨ましいと思うのだ。》(ティティナさん)
ちなみに、ドロヘドロ妻の肉ちゃんも『ジョーカー』を観たようで、コメントを投稿しておりました。
イボ道場門下生のコメントはどれも最高ですね。
イボナメクジのマンガを読んでいるとどいつもこいつもアホな差別者になるのか、それともアホな差別者だからイボナメクジのマンガを好むのか、どちらなのでしょうか?
最底辺門下生である餅撒きアナゴさん(略称アナモチ)が無自覚な男尊女卑と無自覚な外国人差別を披露するコメントをライジングコメント欄に投稿していて、これぞイボ流知的好奇心なのだと納得しました。
この記事へのコメント
イボが『ジョーカー』について「アーサーは頭が悪すぎるのである」と書き、それを読者が喜んでいるようですが、そんな駄文を「映画評」と称して金を取る神経にも、それを喜ぶ信者にも驚愕せずにいられません。
『ジョーカー』のストーリーを乱暴にまとめれば、愚かで哀れで何をやってもうまくいかない男が、悪のカリスマへと成長していく様子を描いた映画ですよね?
「アーサーが愚かだ」なんて、批評にも批判にもなっていない。
見て楽しんでいる人もみんなわかっていることでしょう。
何を鬼の首をとったように勝ち誇っているのでしょうかww
殺人のたびに主人公と一緒に解放感を覚えてしまう、やばい方向に自分の心が引っ張られることの恐ろしさ。殺す者も殺される者も、そこらにいそうな人だからこそ感じられるリアリティとカタルシス。
それを「ショボい」としか思わない人は、職場や世の中で理不尽な思いをしたり、それらへ憤ることと無縁に生きているのでしょう。
たしかに羨ましいですね。
amazonでランキング1007位のイボ漫画を読んでいれば「知の富裕層」気分になれるお気楽人生で、楽しそうです。