《「ゴー宣道場」の門弟の中には、女に嫌われて去っていく男が多い。女に嫌われたらおしまいだよ。》という事で、イボナメクジはおしまいです。
《「ゴー宣道場」の女性から嫌われたらおしまいだということを男たちは意識しておいた方がいい。女は本当に恐いぞ。》という事で、イボナメクジはおしまいです。
イボナメクジは女好きを自認し、女性を尊崇するわしがミソジニーであるわけがないと豪語していますが、大抵のミソジニストは自身の女性嫌悪や女性蔑視に無自覚であります。
でありますから、自己診断、自己判断でそれを判別するわけにはいきません。
客観的に見て、イボナメクジは女性嫌悪の権化です。
イボナメクジがいかにミソジニーかを調べていましたところ、興味深いブログを発掘しました。
《女好きならセクハラなんかしない》という投稿が紹介されていますが、これははっきりと断言しますが、間違った認識です。
むしろ女性蔑視の女体好きこそがセクハラをするのです。
女性門弟からのイボへのアクロバティック擁護を受けて、ドロヘドロが以下のように綴っています。
《権力を使って女性をモノ扱いして支配しようとするセクハラ・パワハラと、恋愛感情で不器用に口説いてるのとの違いがわからない人って、本当に恋愛したことあるんだろか?と疑問を持たざるを得ませんね。》
まともに恋愛したこともないドロヘドロが何を上から目線で言っているのか理解に苦しみますが、女性を単なる女体としか見ずにモノ扱いして支配しようとするイボナメクジは間違いなく恋愛経験が希薄であることがわかります。
イボナメクジの女性蔑視エピソードや女性憎悪エピソードは枚挙にいとまがないので、思い出すたびにブログに取り上げていこうと思います。
イボナメクジは毒婦の事件に異様な関心を示し、「ほら見たことか。これが女の本性だ」と言わんばかりにはしゃぎます。
イボの『卑怯者の島」という作品はマンガとしてはクソつまらない駄作ですが、イボナメクジの女性観を余すところなく活写しているという意味においては大変面白く読めます。
イボナメクジは女性に異常な幻想を抱き、清らかな聖母であることを求めていますが、そんな人間が存在するわきゃねぇのに勝手に幻滅し、隠しきれない女性嫌悪と女性蔑視をダダ漏れにするのです。
私の妻へのデマはミソジニーの成せる業です。
仮にイボナメクジの言い分が事実であったとしたのならば、本来ならば女性門弟だけではなく、相手の男性門弟たちも破門にしなければならない筈ですが、男の方はあくまで悪い女にたぶらかされた被害者であるのだから許されるわけです。
壇ミッツさんの件もイボナメクジには何の責任もないと本気で思っているのでしょう。
岡田斗司夫や広河隆一が話題になった時も、口の軽い女にひっかかった哀れな男という感じでイジっていましたし、子供の虐待事件があった時は男が加害者であっても、必ず母親を叩いていました。
これをミソジニーと言わず何をミソジニーというのでしょうか。
イボの女性蔑視、女性憎悪については、これからも指摘して行きたいと思います。
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