イボナメクジおじさんのブログは時折「ですます調」になる時があります。
そうなる時は決まって、道場内部で揉め事があった時と相場が決まっています。
外部の人間からしたら本当にどうでも良い話です。
しかし、この「ですます調」ブログの厄介なところが、その内部事情についてしっかりアカウンタビリティするわけでもなく、ただイボナメクジが自己正当化のためだけに内向きに発信するものですから、外部の人間に余計な憶測を呼ぶのです。
ブログ記事として公開する以上は道場周辺に関心がない外側の人間にもなるべく理解出来るような内容を書く工夫をするべきでしょうにイボはそれをまったくしません。
ただ内部に向けて伝えたいのならば、かつて有本香をこっそり罵倒していたようにメーリングリストという閉じた空間に投稿すりゃいいのに、何故にわざわざ余計な憶測を呼ぶようなブログ記事を書くのでしょうか?
馬鹿なの?
イボが考えなしに主語のないブログを書くものだから、私のブログのコメント欄にて、関西門下生のぶみカリィについて心配する声が届いています。
この心配はまったくの杞憂であるのですが、内部事情に暗い人が誤解しても仕方がないようなブログ記事をイボナメクジはアップしているのです。
何故、道場の連中はイボナメクジをはじめとして師範や門下生は主語のない文章を書きがちなのでしょうか?
それって、つまり他者性が皆無である証左でしょう。
自分と他人の区別がつかないから、自分が把握出来るように書いているのだから他人も理解するのが当たり前と考えてしまうのでしょう。
イボは記事の中で、《人間は居丈高に説教されても自分の人格を客観的に把握することはできません。》と書いていますが、どこの誰が居丈高に他人を説教したのでしょうか?
遅延ブー(仮名)ですか?
それとも遅延ブーの騎士団であるズリセン弾き(仮名)ですか?
まあ、誰でも構いませんが、イボが明確に道場の現状についてアナウンスしない限り、在家信者は戸惑うだけで、実際のぶみカリィが馬群に沈んだと誰もが勘違いしたままです。
《ただし、あまりにも「承認願望」が強すぎて、「公心」がない人には、わしの手法も通じません。》というのは誰に向けたメッセージなのでしょうか?
イボナメクジは自分と反対意見であったり、話が噛み合わない相手について、とりあえず「承認願望」というフレーズを使って批判して、その場からそろっと逃げ出してしまいます。
「わしに反発するのはわしに認められたい裏返し」
そう言っておけば、相手の疑義や批判を躱せると本気で信じているのです。
馬鹿です。
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