「新規」になっている!凄いことだ。》
今日もイボブログには笑わせてもらいました。
ゲストとして招く政治家の地元で開催するのですから、後援会や支援者が動員されていると考えるのが普通であり、それを思えば「新規が増えた」だの「快挙!」だのとはマトモな神経をしていたら恥ずかしくて口に出来るものではありません。
しかし、これまでの参加者が次々と離反していくなか、残っている連中を繋ぎ止めておく為にも「やりがい」という充実感を与えねばならないので、虚偽でも良いから何らかの成果を見せたかったのでしょう。
まったく哀れなナメクジです。
動員するよう頼んだ手前、定員オーバーだからという理由で山尾議員の支援者を参加させないというわけにもいかないので、イボ門下生を落選させるのは仕方がないのでしょうが、どうにも腑に落ちない点があります。
《地方では現地の参加希望者が優先されます。》
この言い訳は理解出来ます。
しかし、東京の古参門弟が落選して、地方の新参門下生が当選する理屈が分かりません。
《「東海ゴー宣道場」では、関東で毎回参加してくれている人も、何人か落とさずにはいられなかったと聞いています。》
他人事のように書いて、まるで自分は参加者の当落に関わっていないかのような態度を見せていますが、東海門下生イワンコフ(仮名)が「イボナメクジと協議した」とメーリングリストの投稿で明言していたじゃないですか。
それなのに、「と聞いています」と言うのは妙ですね。
要するに、関東門弟の中にウルトラアンチの内通者がいるのではという疑心暗鬼に陥り、とりあえず疑わしい奴らは片っ端から落選させたというのが本当のところなのでしょう。
長らく設営隊としてやりがい搾取されてきた古参たちはイボナメクジからまったく信用されていなかったようでご愁傷様です。
まったく身に覚えのない疑いをかけられているというのに、呑気に落選を残念がるマヌケな連中を思うとウルトラアンチの私は哄笑が止まりません。
昨日、イボは余裕ぶっこいて《複数の門下生の証言によって、犯人は特定されているから、わしは泳がせておけと言っている》と述べていましたが、内部告発者がいるかのように匂わせていたのはウルトラアンチの罠であるということを私が書いたら、大慌てで疑いをかけて落選させた古参門弟たちへ弁解をするあたり、泳いでいるのはお前の目の方だったようだなと声をかけてあげたい気分です。
イボナメクジは痴呆を疑われていることが悔しかったのか、《脳が老化すれば「教義」しか求めない。思想し続けることが苦痛になる。わしは66歳になってもまだ思想し続けることが楽しくて仕方がない。恐ろしく脳が若いのは間違いない。》
イボナメクジは相当に老いというものに恐怖心と嫌悪感があるのでしょう。
老いを楽しむという余裕もなく、必死にアンチエイジングにしがみついているナメクジ爺さんは「思想し続けている」つもりのようです。
そのイボの「思想」とやらをドグマとしているのがイボ道場のお連中です。
彼らはその道場で「議論」をしているつもりになっていますが、彼らのやっているのは床屋政談であり、居酒屋談義であり、井戸端会議であるに過ぎません。
彼らのアップしているYouTubeを幾つか聴いてみると良いでしょう。
何の理論的裏づけもなく、感情的で無責任な駄弁りを延々と続けているだけです。
結局、彼らには議論をする能力が微塵もないのです。
そもそも代表師範であるイボナメクジからしてまったく議論が出来ないのですから仕方がないのかもしれません。
壇ミッツさんによると、食事の席でのただの雑談ですら会話が続かないというのです。
ただ一方的に演説することしか出来ないタイプであったと聞きました。
なるほど、ならば道場を「議論の場」などと謳わず、「演説の場」と開き直れば良いのではないでしょうか。
そもそもイボナメクジは自分の正しさを主張したいだけの人なのですから、「演説」や「論評」向きであるのです。
議論とは自分の正しさを主張する為にするものではなく、お互いに考えをぶつけ合い、相手の考えに触発されて、時に自分の考えを改め、思索を深めてゆくものです。
単純な勝った負けたの話ではありませんし、自分の論こそが正しいなどと思い上がっている人は議論向きではないのです。
たとえば私は自分が好きなものが常に正しいとは思っていません。
ごくたまに政治について語ったとしても、明らかに偏っていたりします。
そりゃ偏っていたからこそ長い間イボ読者でいられたのです。
その自分の偏狭さを自覚し、自分のどこが間違っているのかを理解する為に人の話を聞いたり、こちらの思いを伝えたりと論議を交わしゆくことこそが有意義でしょう。
それはNobody Is Rightなイボ道場には実現不可能なことです。
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