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主語がない文章

最低辺門下生の餅撒きアナゴさん(略称アナモチ)が、私とのTwitterでのやりとりに敗走し、ライジングコメント欄の気持ち悪い仲間たちに助けを求めているようですので、アナモチに手を差し伸べてくれる仲間を確認してから、この件についてブログにまとめたいと思いますので、最下層門下生アナモチ&衆道Qooについては一旦ここまでとして、別の話題に移りましょう。
とりあえず、エキノコックス師範の主語のないブログ記事について言及しましょう。


一読して、この文章は何が言いたいのか理解出来る人がいるのでしょうか。
フワッフワっと言葉が宙に浮いていて、まるで幼児が自分の意思を伝えたいのに感情を言語化出来ずにグズっているような作文です。
たかがブログとはいえ、とても物書きを自称している人の文章とは思えません。

そもそもブログ記事を書くキッカケになった感想文について一切紹介していないのが異常です。
全文引用せよとは言いませんが、せめてその感想が投稿されているリンク先ぐらい貼るべきでしょう。


↑このコメントについて私は特に何も言うことはありません。
しかしエキノコックス師範は物書きを自称しながら、人に言葉を伝える能力が著しく欠けていて、そのくせに気の利いたことを書いてやろうという色気だけがあり空回りしています。

文章がヘタでも激情のままストレートに思いのたけを打ち明けているものは人の心を打ちますが、エキノコックスはあくまで「物書きである自分」にこだわり、本来は凡庸であるのに無理から気を衒って、すこし不思議なオモシロ人間を演じようとして、ダダズベリしていて、ただただ痛々しいだけです。


彼女が性暴力の被害者に寄り添う気持ちがあるのならば、何故に親交があり、連絡先も知っている元門弟の壇ミッツさんに救いの手を差し伸べないのでしょうか。

たった一言、メールでも良いから、「心配してる」と打ち込むだけで、どれだけ壇ミッツさんは救われるでしょうか。

しかし、エキノコックス師範がしたことはブログで外野の人間には伝わらない形で、壇ミッツさんを揶揄し、イボナメクジを告発したことを責め、最終的にはマウンティングをするのでした。




エキノコックス師範がメルヘンちっくなブログをアップしていますが、彼女は一体誰のことを指して「メルヘンの人」と言っているのでしょうか。
これはもしや苔ナビ直伝の「主語がない文章」というやつですか?


去年だか一昨年だか、道場の知性を牽引していたある門弟に対して、苔ナビはメーリングリスト内で名指しせずに苦言を呈していたそうですが、それが誰に向かって言っているのかも、何について言っているのかもさっぱり分からない不明瞭な駄文であったそうで、相手にまったく伝わらない事に痺れを切らせた苔ナビは最後通牒のように名指しして批判し、追放する形になったエピソードがあります。

相手に伝えようと思っているのならば名指しすべきですが、おそらくエキノコックス師範は批判相手に自分の意見が伝わって欲しくはないのでしょう。
私はそのこと自体を否定するつもりはありません。
自分の中の考えは明言しておきたいが、その為に波風を立てる必要はないと判断した場合は名指ししないという選択肢もあって良いと思います。

エキノコックス師範のブログは単体で読むと何を言っているのか分からないことが多々ありますが、その場合は必ずイボナメクジのブログを補完しているものであります。
つまり広く世の中に向けて書いているのではなく、道場というタコツボにハマっている馬鹿へ向けて発信しているものに過ぎないのです。
それはプロの物書きがするこっちゃないのですが、世間的には彼女をプロの物書きだと思っている人は皆無なのですから、それで良いのでしょう。


上のイボブログを読めば分かりますが、エキノコックス師範はただイボに追随する為だけに作家の平野啓一郎氏のことを「メルヘンの人」と呼んで嗤いました。

平野啓一郎氏をメルヘンの人と評価するのもなかなか笑えますが、平野氏が言ってもいない幼稚な文言を並べ立てて批判しているのですが、これって道場名物ストローマンですね。

もし、そこを突っ込まれたら、名指ししていないのを良いことに「え? 私は平野啓一郎のことだなんて一言も言ってませんケド? 勘違い乙w」とか言い逃れをするつもりなのでしょう。
これぞ苔ナビ直伝のしらばっくれ話法。


さて、では寄生虫師範が追随したイボブログの内容はどの程度のものかというと、ただの新橋の酔っ払いのたわ言レベルのシロモノです。

《「私人性」のレベルでは、わしだって韓流アイドルが好きだと告白している。》というのは典型的な「I have black friends」ですね。

自分の差別を正当化するクズがよくやる話法です。
そして相変わらず、固定観念に囚われた人間観を披露しています。

《「個」は国家や民族の「属性」から自由ではなく》って、あれ? おかしいですね。
つい最近は民族主義を否定していたような気がするのですが、自分の都合に合わせて、個人は民族の属性から自由ではなくなるとか言い出すのですね。
イボナメクジは一事が万事この調子です。

エキノコックス師範の客観性ゼロの駄文のリンクを更に貼っておきましょう。


冒頭に紹介したブログ記事と同じで、この駄文は誰のことを言っているのかも、何について言っているのかもさっぱり分かりません。

ブログ内容はまたまたメーリングリストというタコツボの内紛について俯瞰視点で語っているのでしょうが、そんなものはメーリングリストの中で完結すべきものでしょう。
自分の言い分だけを一方的に公開して、一体何の意味があるのでしょうか。
それは小さな声を踏み潰す効果しかありません。
つまり立場を利用して異論を封殺しているだけです。


それと、以下に引用するエキノブログの文章はまるでイボナメクジのことを指しているようです。

《自分をごまかしている人、自分の問題を直視しようとしないために、成長することができず、未熟で幼稚なまま、「弱いジブン」を鏡で見つめながら、現在地に座り込んで、居丈高に自己憐憫している人もすごく増えているように見える。「弱いジブン」に居座るのって、すごくラクなのだ。ただ、そういう人は、敵視すべきものを見誤ってるから、常に足元が不安で、人の言葉に異常に傷つきやすい。》

イボ道場は常に鏡に向かって悪罵を投げつけています。


私は詩情、詩趣というものは好きなので、揶揄する意味ではあまり使いたくないのですが、エキノコックスの書くブログのように主語がないあやふやなものを指して「ポエム」と呼ぶのではないでしょうか?
イボナメクジはエキノコックス師範のこのブログについて「わお―――――っ!ポエムポエム――――♪」と囃し立てて馬鹿にすべきでしょう。




エキノコックスは人間観察が趣味であると言っていますが、その観察眼には視力検査が必要だと思います。おそらくはレーシック手術を勧められることでしょう。
エキノコックスにはイボ同様に人間を画一的に纏めて、勝手に安心しようとするヘキがあるようです。

イボナメクジはいい加減に「自分の問題を直視」すべきでしょう。
それをせずに山口敬之や岡田斗司夫や広河隆一や鳥越俊太郎を非難してみせても「お前が言うな!」とツッコミを入れられ無効化するだけです。


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