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セクハラ罪やセカンドレイプ罪の有無

まずはイボ道場の門下生の低レベルさを知る為にも以下のリンク先のドロヘドロのブログをお読みください。

先日、子供が通う学校から配られた手紙の中に、「性別で見る多様性と人権」と題したシンポジウムのチラシがありました。》
チラシには、「男の子でしょ、泣かないの。女なんだから私って言いなさい。という言葉がその子の可能性を奪っているかも?」「自分の性別を生きること=人権としてとらえよう」という文が並び、その他、LGBT、同性愛、性同一性障害、性別に違和感・・・等の言葉が多用されています。

これは、少し前に悪しきイデオロギーとして有名だった性差を否定する「ジェンダーフリー」と同じだとすぐにわかります》

多様性と人権という言葉は、リベラルな人たちが好む言葉だと思いますが、これから多様性と人権は要注意用語になるのではないかしら?と、怪しげなチラシを読んで思ってしまいました。》

ヘドロブログで紹介されたコメントは元門弟である壇ミッツさんと親交を深めていた古参の橋田ピン子のものです。

橋田ピン子は自分の人権が守られていることに無自覚なのでしょうが、いわゆるパンがないならケーキを食べたらいいのに的な感覚しかないのでしょう。

ツイッターで目にしたのですが、自分の子供が通う小学校で朝鮮学校の生徒と交流するイベントが開かれることが書かれたプリント用紙の画像を添付して批判的なことを呟いていた父親がいたらしいのですが、それに近いものを感じるコメントです。

ドロヘドロは《それ、「ジェンダーフリー」じゃないですか!》と言って無条件に悪いことであるように断罪していますが、何故ジェンダーフリーが悪いものであると思っているのかの説明もないままにイメージだけで非難しています。
それはテレビタックルという番組の影響で田嶋陽子さんと言えば「厄介なおばさん」というイメージが刷り込まれ、「それ、田嶋陽子じゃないですか!」とさえ言えば批判として成立してしまう空気が出来上がっているのと同じで、まともな批評ではありません。

続きまして以前に私のブログに届いたコメントを紹介させて下さい。

人権の概念を理解できないヤツに思想する資格はない。
イボじいさんの劣化というか、退化現象は進行速度が上がる一方ですね。
道場村の回覧板だけで社会問題を把握してるような村民と、そこの反応が一般人の常識だと思い込んでる村運営のコール&レスポンスのみで成り立っている思想なんて、カルト以外のなんなんでしょうか。
誉め殺しって言葉がありますが、あそこは誉め殺しあいになってます。

イボは女好きを公言して、女性に不利益なことはしないようなことをよく嘯きますが、そんなのミソジニーの常套句だと、少なくとも女性なら分かるはずなのに、道場村の女性陣は進んで名誉男性度をアップしていくのが快感になってしまってるようです。
門弟同士でマウント取り合ってる様子が憐れです。

ヘドロいわく、村は思想の最先端をいってるそうですが、逆走でぶっちぎりなのは間違いないですね。
今回のSPA!の件にしても、どこから突っ込んでいいのか分からないブログばかり読まされて、自分はパラレルワールドにいるのかと錯覚してしまうほどです。
イボは「表現の自由」を、都合よく「内心の自由」と混同させてると思います。
漫画家ですし、おまけに筋金入りのミソジニストですから、内心で女性をどう見るかは勝手ですが、それを表現の自由と言い出したら、ペドフィリアなみの危険人物でしょう。
「表現の自由」には、責任と評価が伴うもので、女子大生の抗議は、その評価のひとつにすぎません。
わしくらいの才能があればどこででも描ける!と常々ほざいてるんですから、人権侵害した雑誌なんか見捨てて他へ移ればいいじゃないですか。
尻の穴男の言い種なんて、加害者の人生を台無しにするのか、と被害者の口を塞ぐやり口そのもので、もはや道場村はレイシストとミソジニストの吹き溜まりになってます。
肥溜め、っていうのかな。

そもそもあそこでは、言葉の意味がイボ解釈で歪曲されてますから、議論なんて成り立つわけがないんです。
ジエンダーフリーは、性差を認めない男女平等主義のイデオロギーってことになってますし、挙げ出したらきりがないですけど。》(門弟になったのは人生最大の黒歴史さん)


「グラビアアイドルを人格として見ている男なんかいるはずがない。」
ちょっと勘弁してくださいよw
痴漢が逮捕されて「痴漢したいと思わない男なんかいるはずがない」と言うのを聞いたときの気分ですよ。
自分がそうだからって男が全員そうだと決めつけないでいただけます?
この一言に尊師の女性観が見事に表れてますよ~。

お試しに、ご自分が表紙に名前も書いてもらえずひっそり連載してる雑誌の「グラビアン魂」という記事を見てみてくださいよ。
リリーフランキーとみうらじゅんという2人のスケベなおっさんがグラビアをネタに対談してる記事なんですけどね。

まあおっさん2人が妄想を炸裂させながらスケベ談義をしてる、ただただスケベな記事なんですよ。
でもこのおっさん2人は「この人はこんなキャリアからモデルになった、だからこんな色気のある表情が出せるんだ」とか「こういう人とデートするならどんなシチュエーションが楽しいだろう」とかいう話をしてるんですよ。

彼等はモデルの肉体だけでなく人格を見てるんですよ。男ですよ、念のためw
ときには「この人にはこういう衣装とこういう舞台が似合うんじゃないかな」とおっさんたちが提案して、それが次に同じモデルが登場するときに採用されたりもする、モデルさんとのコール&レスポンスが成立するんですよ。
このおっさん達なら、アレが立たなくなっても女性と会話することやデートで一緒に映画を見たり食事することを楽しめるでしょう。

それに引き換え、尊師ときたらどうですかw
「女性を人格で見てない」から、女性と会話することや一緒に何かを見て楽しむことが全然できないんでしょう。壇ミッツさんの暴露のとおり、デートの時の話題が人の悪口くらいしかないのはそのせいですよ。
アレを立てて突っ込んでガンガン突くことが恋愛だとしか思えないから、アレが立たなくなるとプライドが傷ついてしまったんでしょうよ。
復活したかのようにノンフィクションまがいの漫画にまでして、涙ぐましいですね~w

尊師、若い頃に描いた漫画がそこそこヒットして、金や名声にモノを言わせて女とヤルことを「モテる」と思い込んできたでしょう。
だから自分で漫画に描いていたような「自分がイカずに女を何度もイカせるような」行為なんかしてたんでしょう。

「何度もイッた」というのも女性の演技ですよ。乱暴に突くだけで気持ちよくないから、早く終わらせてほしくてイッたふりしてくれてたんですよ。それを素直に信じこんじゃって、純粋まっすぐ尊師くんw

イボりん、性豪ぶっていきがるのやめたほうが良いですよ。みじめすぎます。
あなたは素人どーてーです!》(ナナメ読者さん)
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このコメントを読んだイボりん先生は今頃歯噛みして悔しがっていることでしょう。
これらのコメントはかさこ以上に直接的にイボを批判しているのですが、それでも彼はこのコメントをスルーしちゃうのでしょうか?
あのブロガーかさこの相手はしたというのにね。



それにしてもイボナメクジ界隈は本当に程度が低いようで、「文章を要約する」ということが理解できない模様です。
イボやヘドロは自分たちの書いた文章について批判が来ると、必ず「読解力がない」とか「そんなことは書いていない」と言い逃れをします。
人が他人の文章を批評する時、全文を引用しなければならないなんてなことは当然ありません。
書かれている内容を要約した上で批評を加えるのが普通でしょう。
しかし、その批評内容が気に食わないだけで、「そんなことは一言も言っていない。どこにそんなフレーズがある? ありもしないフレーズを捏造して批判しているから、これはデマだ!」と、そのようにクレームをつけるのです。
さて、上記のようなセリフをイボもヘドロもブログには書いていません。
しかし、二人のブログを要約すると、およそこのような主張をしているのです。
「言ってもいないことを捏造するなーっ」などという馬鹿が極まった言い訳が通用するほど世の中は甘くはないですよ。

誰がそんなこと言った!?

香山リカと同じで、人が言ってもいないことを捏造しています!! 「仁王子」はこのブログを読んでいないのか? それとも読んでいてデマを書いているのか?》

抗議女子大生は「廃刊」という選択肢をちらつかせており、「言論の自由・表現の自由」の価値を全く分かっていない。》

ブログを読んでいないのか、読んでいてわざとデマを書いたのか、言論に対する批判と「言論封殺」の違いも分からないバカなのか、そのどれなのかはわかりませんが、言ってもいないことを捏造して、よしりん先生を「女性蔑視者」に仕立て上げようとする、悪質極まりない》

東京新聞「大波小波」のデマコラム | ゴー宣ネット道場

東京新聞の当該コラムは単に要約しているだけで決してデマと言えるものではないのはヘドロが引用したくだりだけを読んでも分かります。

その要約をデマだと騒ぎ立てながら、「女子大生が廃刊をちらつかせた」というまったくの事実と異なることを書くヘドロの頭脳の腐り具合には驚愕します。


東京新聞の(仁王子)氏へ。素朴に質問します。「女性蔑視を不当と抗議する女性たちの言論の自由は認めない」と、わしが言いましたか? どこか、教えてください。

「女性を誌面で一方的に侮蔑する自由は保障すべき」と、わしが言いましたか? どこか、教えてください。》

東京新聞、仁王子さんに質問 | ゴー宣ネット道場

このイボブログの異様さはまるでポルポト政権を髣髴とさせます。

東京新聞のコラムは《すべきというのだろうか》という疑問文であります。

イボブログを読み、「自分の言論の自由は無制限に主張しながら他人の抗議(言論)は認めないというのですか?」と問うているだけです。

何をムキになって、自分の発言を一言一句違わず載せなければ捏造だと言わんばかりに詰めているのでしょうか。

文章から受けた印象や要約を認めないなんて、まるで「清浄潔癖社会」のようで、《平等を徹底的に推し進めたら、「ポルポト政権」の正義の実現に行きつきますよ》と、私は思わず言いたくなりましたよ。

それにしてもイボナメクジ先生って本当に最高ですね。

特に脊髄反射で本心を丸出しにしたブログが最高です。

世に言うバカッター顔負けのマヌケっぷりには笑わせてもらっています。
『笑わせるのではなく、笑われる』というスタンスなのでしょう。

炎上したら議論のきっかけになるという論法は単なる無責任でしかない。》
《自分の言葉に責任を持ちなさいと諭すのは、相手が子供ならやってもいいが、いい年こいたおっさんにそんなことから諭すのは無駄だ。》

えーっと、これって、いわゆる自己紹介ってヤツでしょうか?
ヨシモト芸人村本についての批評のつもりが、すべてイボナメクジ自身に当てはまってしまっているのですから笑えます。
しかし村本に笑いのネタにされたことをいつまで根に持っているのでしょうか。
随分と器が小さいですね。
村本以上にイボナメクジをイジっていた有吉弘行さんにはノーコメンテーターを決め込む辺り、いかにも腰抜けのイボナメクジらしいですね。
もしかして「有吉のイジリは芸として成立しているから許してやろう」とかぬかしやがるのでしょうか、このハードストーカーでお馴染みの溶けたナメクジ爺さんは。




さんざん大衆に向かって、愚民だの堕落だのとほざいていたイボナメクジが《フリーランスの奴は自分の提供する話題に人々が乗ってこないと、人々が悪いと言いたくなるのは、わしとて同じだ。だがそれは愚民思想だと自分の肝に銘じなければならない。》と言って、村本を叩いているのは滑稽ですが、そこにツッコミを入れることさえ最早バカバカしい限りです。

このように相手を呆れさせて、議論を回避するのがイボナメクジのやり口なのでしょうが、その手口に乗らずに生真面目に議論のテーブルにつくように呼びかけても、のらりくらりと言い逃れをして話し合いの場所から遁走し、遠くからヤジを飛ばすように非難の言葉を投げつけるのがイボナメクジスタイルとして確立されているようです。


そのイボナメクジの雑兵であるドロヘドロについて、モン黒さんからのコメントを紹介します。

今のところ、イボは「セクハラと痴漢と暴行は違う」の理屈で、実名告発と匿名告発の自説の正当性を担保してくると思いますよ。
暴行でも実名で告発した詩織さんのような人がいるのに、たかだかセクハラくらいで匿名告発しか出来ないのか、という意味だ!くらいのことは言いかねませんね。

でもですよ?
福田元次官のセクハラ問題で、日本にもmetooが起こりだす前、アメリカでワインスタインのセクハラや暴行への告発からmetooが盛り上がり、いわゆるドヌーブ発言と呼ばれる声明が出されたときには、metoo運動そのものを擁護してたばかりか、「ドヌーブはセクハラを分かってない!」とまで言ってませんでしたっけ?
汁説法の単行本には収録されてないのかな?
海外のmetooは大いに結構回と、日本のmetooはけしからん回が一冊に収まるなんて、イボ先生にしか出来ない大技なのになぁ。

自分は不真面目な門弟でしたので間違ってたら申し訳ないんですが、確かこの(ドヌーブ発言)頃は、らいてふブランシェットさんや壇ミッツさんのフェミニズムなご意見を転載して、ずいぶん誉めちぎったコメントしてませんでしたかね、ドロヘドロ師範代。
そうそう、確か橋田ピン子さんもお二人と似たようなご意見を転載されてましたよ、この頃は。

喜び組師範のお二方にしてもそうですよね。
エキノコックス師範なんて、福田元次官の一報では怒り心頭なブログあげといて、イボ尊師のご意見は違うとなると、とたんに
「わたくしが間違っておりましたあぁぁあ」
って…気色悪すぎてオエーッなんですけど。
「女は、男の最後の女になりたがる」って男の書いた小説の一節に、感心しようが感動しようが勝手にすれは?としか思いませんが、学びも進歩もしないダメンズウォーカーに色恋語られてもなんだかな、って感じ。》(門弟になったのは人生最大の黒歴史さん)


コメントにある通り、イボナメクジは福田事務次官の件が表沙汰になる以前は、セクハラについては全面的に否定し、非難の声を上げていました。
「言葉のセクハラ」なる珍妙な定義などもありませんでした。
それが福田事務次官の事があって以降、突然それまでとは正反対の主張をし始めたのです。
それはおそらく、セクハラの実態についてイボナメクジはそれまでまったく理解していなかったのでしょう。
しかし福田事務次官の件でそれを知り、自分がこれまでやってきた事がセクハラに該当することにようやく気がついた為に、慌てふためいたのでしょう。

その為、「言葉のセクハラを否定したらコミュニケーションがとれなくなる」などと主張し、そもそもセクハラ罪なんてものもないのだからセクハラを断罪することは許されないなどと言い出したのだと推察します。

たとえば、パワハラと呼ばれているものは肉体に直接危害を加える暴力よりも言葉によるものが圧倒的に多いのではないでしょうか。
言葉で精神的に追い詰め、最悪の場合は自殺に至るケースがあるのだと思うのですが、それも「言葉のパワハラはコミュニケーションの一種だから、何でもかんでもパワハラって言われたら何にも言えなくなっちゃうよー。弱者権力だよー」などと言うのでしょうか?

そもそも弱い者が勇気を振り絞り、下から上へ向かって声を上げて立ち向かうことを指して、弱者権力などと嗤うイボナメクジの卑劣さには呆れます。
イボ道場の連中は言葉を軽んじていますが、言葉は殺傷能力のある凶器であることを自覚すべきでしょう。



ドロヘドロは《レイプという凶悪犯罪も、親告罪でしかない言葉だけのセクハラも、何でもかんでも性犯罪で一緒くたにして思考停止してしまう》と適当なことを言ってイメージ操作をして他人を批判しますが、何でもかんでも一緒くたにしているのでななく、セクハラとレイプは地続きの問題であると訴えていることを彼の頭脳は理解出来ないのでしょう。
何故なら、彼は途方もないアホだから。


















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