
少しばかり激しく酩酊しておりますので、若干ハメを外すような内容になるかもしれませんがご了承ください。
いわゆる新年特有の無礼講というやつです。
いわゆる直感だけでブログを書きたいと思います。
《「直感力」のない人が多すぎる。》
《わしは最初の最初から「直感」して、主張していた》
《みんな「直感」が衰えているから、きっと断崖絶壁に向かってまっしぐらに走り、集団自殺したいのだろう。》
なるほど、すべて霊感ヤマカン第六感で片付けてしまうような人とは議論など成立しないという好例を示してくださっています。
論理の飛躍や矛盾に疑問を挟んだら、「わしの直感を信じられんと言うのならば出て行け! 疑う奴は黙って去れば良い」と口をへの字に曲げ、話し合いに応じようとしないのですから、《まるでオウム真理教が信じた「ノストラダムスの大予言」と同じだ。》というやつです。
どこかの細木数子と同じで、「ズバリ言うわよ」と断言されると、何かに縋りたい奴は思わず飛びついてしまうのです。
イボ道場の「公論」とは信じる者は救われる式の直感詐欺に過ぎなかったと自らのブログで告白してしまいました。
さてイボの直感について、以前に私が直感したことをブログに書いていましたので、それを以下に再掲します。
イボは自分の直感とやらを絶対視しているのか、自分の興味のないことや自分に都合が悪いことは一切勉強しようとはしません。
そうして学ぶことをしないくせに口を挟んでくるのだから最悪です。
まるで知識もないくせに知ったかぶりして口を出し、間違いを指摘されると烈火の如く怒り出し、場を荒らすだけ荒らして、あとは知らん顔して遁走するのです。
http://washiblotomo.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
そうして学ぶことをしないくせに口を挟んでくるのだから最悪です。
まるで知識もないくせに知ったかぶりして口を出し、間違いを指摘されると烈火の如く怒り出し、場を荒らすだけ荒らして、あとは知らん顔して遁走するのです。
http://washiblotomo.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
上のブログ記事にて、ドロヘドロ師範代は《最も尊重されなければならないのは常識です。》と書いています。
彼らは理論立てて説明出来ない時は必ず「常識」とか「直感」という言葉で逃げるクセがありますね。
それならば、私もあえて彼らの常識に訴えかけてみたいと思います。
さるイボナメクジ先生から元門弟の女性へ送信されたショートメールは常識的に見ておかしいと思うのですが、私の常識は世間の非常識かもしれませんので、皆さんにも見てもらい、それぞれの常識に照らし合わせて判断していただきたいです。
彼らは理論立てて説明出来ない時は必ず「常識」とか「直感」という言葉で逃げるクセがありますね。
それならば、私もあえて彼らの常識に訴えかけてみたいと思います。
さるイボナメクジ先生から元門弟の女性へ送信されたショートメールは常識的に見ておかしいと思うのですが、私の常識は世間の非常識かもしれませんので、皆さんにも見てもらい、それぞれの常識に照らし合わせて判断していただきたいです。
「密会先のホテルにミニスカートで来るよう命じる奴はクソダサいセクハラオヤジなのではないのか?」という直感が働き、疑問を抱くのは至極当たり前のこと、つまり常識であるので、決して名誉毀損で訴えられるわけがないですよね。
ミニで来ることが最重要だと言うイボナメクジ先生の直感ダンディズムは素敵すぎて腹筋が崩壊しました。
ミニで来ることが最重要だと言うイボナメクジ先生の直感ダンディズムは素敵すぎて腹筋が崩壊しました。
イボナメクジは去年のニコニコ生放送で「韓国人は恨の文化で日本人は怨の文化」というような、まるで血液型占いみたいな話を得意げにしていました。
古田博司か井沢元彦あたりの受け売りなのでしょうが、「人間の性格がぁ~、たった四種類に分類、されるわ~けないけど~♪」と思わず嘉門達夫の歌を口ずさみたくなるぐらい呆れる話です。
古田博司か井沢元彦あたりの受け売りなのでしょうが、「人間の性格がぁ~、たった四種類に分類、されるわ~けないけど~♪」と思わず嘉門達夫の歌を口ずさみたくなるぐらい呆れる話です。
ことほど左様に、イボナメクジというのはまったく立証されていないトンデモな俗説・俗論のたぐいを論拠にし、己の腐りきった差別心を正当化しようとしやがるのですから、救いようのないマザーファッカーと言わざるを得ません。
断言しますが、イボ道場はスピ系ヘイト団体です。
断言しますが、イボ道場はスピ系ヘイト団体です。
去年のはじめにNGT48というアイドルグループに起きた騒ぎについて、イボナメクジは驚くべきことにネット上に拡散されていたデマを鵜呑みにし、女性アイドルたちの実名を挙げて「マクラ営業」をする「ヤリマン」であることを示唆する内容の記事を発表しました。
証拠となるものは何もなく「わしの直感」だけを頼りにまだ年若い女性アイドルを誹謗中傷したのです。
これはまさに私の妻に対して行なったこととまったく同じです。
証拠となるものは何もなく「わしの直感」だけを頼りにまだ年若い女性アイドルを誹謗中傷したのです。
これはまさに私の妻に対して行なったこととまったく同じです。
スピリチュアルに実証は不要です。
自分がそう信じたら、それが正しい。
それだけで良いのです。
自分がそう信じたら、それが正しい。
それだけで良いのです。
自分を支持する苔ナビが話したことを「わしの直感」で信じたのなら、それをネット放送で拡散することは正しいので、たとえ間違いが発覚しても訂正する必要も謝罪する必要もないのです。
その結果、以下のようなコメントがネット上で拡散され続けるわけです。
その結果、以下のようなコメントがネット上で拡散され続けるわけです。
この責任をイボナメクジは一切負うつもりはないのでしょう。
イボ道場は私の妻への許しがたいデマを流した生放送の動画についてなんら釈明することもなく、未だに動画を配信し続けているのですから、人間とはここまで卑劣になれるのかと絶望します。
イボ道場は私の妻への許しがたいデマを流した生放送の動画についてなんら釈明することもなく、未だに動画を配信し続けているのですから、人間とはここまで卑劣になれるのかと絶望します。
イボの直感では中国人がキャビアを買い占めるから値段が高騰しているようです。
いわゆるイボお得意の「スピ系ヘイト」です。
事実確認など一切せずに、物が無くなるのはすべて中国人が買い占めていると妄想し憎悪感情を煽るのです。
そもそも正規に銭を支払って買い集めて何がいけないのでしょうか。
数が少ないからマナーとしてみんなに行き届くように買い占めを自粛しようという理屈ならばまあ理解することが出来ますが、それをイボナメクジが言う資格があるのかは疑問です。
実際にキャビアを買い占めている人がいるとしてもイボ理論ならばまったく悪いことではない筈でしょう。
潤沢な資金がある人が「うまいもんしか食わん」と選択しているだけです。
かつて自分たちがやってきたことを見下していた相手にやりかえされて頭に来ているなんて、なんとも浅ましい態度ですね。
浅ましいといえば、イボが元日の朝っぱらから浅ましいブログをあげていましたので、そのブログについても、またあとで取り上げたいと思います。
では、またのちほど。
この記事へのコメント
ワシの買い占めは綺麗な買い占め
そう言えばイボはかつてこんなことをブログで書いていました。
〈観光客の爆買いなんか当てにして経済回そうなんて姑息すぎる。銀座に行けば、観光バスと、中国人だらけで、銀座の高級感がぶち壊れて妙に景色が薄汚れた感じになってしまった。寿司なんかコメに魚乗せてりゃいいくらいの舌しか持たないくせに、たった6・7人しか座れない高級寿司店に予約入れるのも不愉快だ。中国人は回転寿司に行けばいいのだ〉
ではイボはどうだったかというとバブル期にはスタッフ連れてハワイに行っていたわけですが、当時の秘書がテーブルの上に置いてあったチップをコッソリ取ろうとすると店員から叱られた話を書いていました(初期イボ宣)。
中国人の海外旅行は正当な客としても文句はつけるくせにスタッフの手癖の悪さは単なるネタとしているイボ(と言うか窃盗だろう)。
イボは他人を責める前にまずは自分がどうだったかを思い出すべきでしょう。
shinkimu
直感の話は笑いましたが、確かに昔から小林先生は一貫してこれでした。
直感(霊感)で何か適当な話をでっち上げて、あとはその自論を補強するための後付け資料を学者やら何やらの言説から拾って来て、ヘリクツと強弁で言いくるめればそれで一丁上がりという。
昔はこの直感(霊感)が的を射ていたこともありましたが、私の見たところ、「新天皇論」あたりからはこれがことごとく空振りするようになりました。
2010年以降はほとんど全敗に近いと思います。
ブログで毎日情報を発信するようになってからはそれが加速度を増し、被災地の生理用品の話にしても、このNGTの話にしても、とりあえずぶち上げた直感(霊感)が完全に的外れで、後からどんなにアクロバティックな屁理屈で言いくるめようとも収拾が付かず、大恥をかかされるという。
このパターンが増えました。というか毎回毎回この繰り返しですよね。
その悪あがき、迷走ぶりがウォッチしていると面白いです。
最近では、「ここまでパーで、ここまで破廉恥な人も珍しいな」と思いますが、もし多少の自覚があるなら、今は「行くも地獄、戻るも地獄」の無間地獄をさまよっている状態なのではないかと思います。
世間の笑い者になっているという屈辱感は並大抵ではなく、何が何でも「女性宮家の設立」などの目に見える結果を出して、「立役者」のバッジをつけて名誉を取り戻したいというその一念なのだと思います。
それは本人だけでなく高森さんや笹さんも全く同じ思惑でしょう。
言うまでもないことですが、こんなものは「公」の対極にある態度です。小林先生がなぜいつもいつも「公」「公」と言うかというと、その本質が一貫して自分可愛さの「エゴ」だけだからです。自分が最も指摘されたくないことはいつも小林先生の強弁の中に潜んでいるのですよね。
分かり易すぎるくらい分かり易い人で、まさに漫画的人物だと思います。