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右派商売

イボナメクジがかつて『平成攘夷論』というマンガを出したことを覚えているでしょうか。
まるで新作が出るかのように宣伝していたのですが、なんのことはない既に単行本に収録されている作品の総集編であり、当時愛読者であった私でさえ「こりゃ詐欺だ」と思ったほどの雑な仕事をしておりました。
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最新刊『慰安婦』(幻冬舎)、今週木曜日、30日発売です!!

さて、既に単行本に収録されているマンガを寄せ集めて、粗製乱造てな感じで、イボナメクジが新刊を発売するようですので宣伝に協力したいと思います。

慰安婦問題の是非はともかくとして、イボ界隈の下劣さには閉口します。
ドロヘドロは《慰安婦少女像なんか、反日プロパガンダのためのガラクタでしかなく、貶めた扱いしようと思えばもっといくらでもできる》と言いますが、この言い草のどこいら辺が慰安婦に敬意を払い、感謝している者の態度なのでしょうか?
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例えば、アメリカ人に長崎平和祈念像や広島の原爆ドームについて「あんなものはガラクタだ」と言われてもドロヘドロは怒りを覚えないのでしょうか?
エノラゲイを誇らしげに展示されても屈辱を感じないのでしょうか?

「よしりん少女像」は可愛らしくてユーモアのあるパロディーであって、全然「不当に貶め」たものでもなんでもありませんよ。それでも「喧嘩売ってる」ように見えるって、この人、慰安婦少女像をご神像かなんかと思っているんですかね?》

北海道の稚内にある九人の乙女の像について、ロシア人が「あんなものはガラクタだ」と言って、あの悲劇をパロディと称して嘲笑するようなことをされても、「九人の乙女の像はご神像なんかじゃありませんので、どうぞどうぞユーモアのあるパロディで笑いものにしてやってください」と言うのでしょうか?



しかも、本の内容は一切読まず、この表紙だけでダメだと言ってるんですよ。》と言ったって、本の内容は過去に既に単行本に収録されている愚論の再録に過ぎないのですからわざわざ読む必要はないでしょう。
それとも描き下ろし部分で、これまでの主張を覆すことでも書いているのでしょうか?
そんなことはないのでしょう?
ならば読まずに批判しても何ら問題はありません。


ともあれ、リベラルから相手にされないことを悟ったイボナメクジが元サヤに納まり、ウヨク商売を再開しましたのですから、右派の人たちは優しく迎え入れてあげるべきでしょう。

甚だ簡単ではございますが、イボ新刊の宣伝をさせていただきました。

この記事へのコメント

  • 匿名

    イボ尊師にとって、右派の思想だろうと何の思想だろうと、金儲けと自尊心を満たすための道具なんだと思うと納得がいきます。
    2020年02月07日 17:35
  • 門下生のエアレビュー、気づかないヘドロ

    20年も前に書いた内容を何度も使いまわして書いているあたり、食い詰め尊師は固定客が必ず買ってくれるウヨ路線に回帰していますね。
    幻冬舎は売れない本でも押しつけ配本で自動的に増刷してくれるから、ありがたい限りでしょう。稼ぎ頭の百田尚樹からトリクルダウンする蜜にたかっているナメクジという風情ですね。

    固定客といえば、尊師の作品なら中身がなんてあろうとお布施感覚で購入する門下生の道場告知で、笑えるのがありました。

    https://www.gosen-dojo.com/blog/24936/

    この方、強く生きた遊女を描いた例として鬼龍院花子の生涯とサンダカン八番娼館を挙げていますが、本当にこの二作品を見たのでしょうか。

    第一に鬼龍院花子の生涯で遊女のイメージが変わったというのが奇想天外です。
    遊女がほとんど登場しない映画で遊女のイメージが変わるのはなぜですか?
    強いていうなら、鬼政が没落してから娘の花子は遊女に身をやつしたようだと推測程度に描かれますが、それだけです。
    花子や鬼政の妾たちが「底知れないしたたかさ」を見せてくれるシーンなどありません。
    むしろ囲われた身どうしで正妻も含めて嫉妬でいがみ合う、弱く惨めな女たちが描かれた作品ですが。

    花子は父親の羽振りが良い頃に甘やかされて育った何もできない女だから、父親が没落してからは遊女としてしか生きられませんでした。
    そんな花子が遊女としてひっそり死んでいるのは、身寄りのない女を食い物にした挙句に死なせた者がいるということ。
    縁を切っていた義姉の松恵が遺体を引き取って弔ったということは、女郎屋の主人は死んだ遊女を弔うこともしなかったということではないですか。

    サンダカン八番娼館では、娼婦として南方に行っていた女性が、戦後は淫売呼ばわりされて故郷を追われ、老いて1人寂しく暮らしている様子が描かれています。

    今日のイボ宣で書かれていた「客からも敬意を払われ、年期明けの後は幸せに暮らした花魁」などという話はごく一部の成功例であったことの裏付けのような映画です。

    たしかに「強くしかし、悲しみに暮れることなく日々の中に楽しみや、時にのし上がるチャンスを伺いつつ暮らす」女性は登場します。しかしメインテーマとして「にもかかわらず、その女性の尊厳を理不尽に踏みにじる冷酷な社会」を描いた作品ですよ。田中絹代の語る様子から何を読み取ったのでしょうか。

    何より滑稽なのは、映画を見たのかどうかも怪しいこの感想を転載して
    「ああいう作品が今でもヒットすればいいのですが」
    「もうああいうのはウケない時代なのかなあと思ってしまいます」
    などと言っちゃってるヘドロです。

    映画の中身くらいちゃんと確認しましょうよww

    タコツボの中で所長、トッキーさんとチヤホヤされてグヘグヘ笑っていると、尊師が没落した後は何もできることがなく、妻にも去られてひっそりと野垂れ死ぬことになりますよ。
    それこそ鬼龍院花子のようにね。
    2020年01月28日 23:56