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カレー謝罪強要事件

牛タン冤罪事件、〆鯖冤罪事件、エビチリ冤罪事件と数々の罪をでっち上げてきたイボ道場ですが、これらは氷山の一角に過ぎません。
イボ道場運営の悪辣なデマの被害を受けた参加者はまだまだいます。

以前、イボナメクジの下僕であるドロヘドロがブログに明らかに元門弟のらいてうブランシェットさん等のことを指していると思われる愚痴を書いていました。

ものすごい文章力があって、すごいと思っていたのに、何かのきっかけでおかしくなっていく人というのを今まで何人も見て来ました。それを見てつくづく思ったのですが、文章力よりもはるかに大切なのは、「謝ったら死ぬ病気」に罹っていないことです。》

ドロヘドロは文章力のある知的な人々が呆れ果てて去ってゆき、道場に残っているのは差別者と馬鹿と狂人だけであるという事実から目を背けるように、《文章力よりもはるかに大切なのは、謝ったら死ぬ病気に罹っていないことです。》と超論理を展開しております。
つまりは「道場参加者はノータリンでもいい。すぐにひれ伏す奴でさえあれば」と言っているわけです。

道場初期の頃から「師範」や「師範代」という立場にある奴に注意を受けた場合、どんなに納得していなくても謝罪をしなければならない空気が道場メーリングリストにはあります。
今ではそれが拡大し、幹部門下生と意見が対立した場合は必ず雑兵門下生が意見を退けなければならないようです。
悪かったとも間違っていたとも思ってもいないのに謝罪をして発言を撤回しなければ許されないのです。

この謝罪のあり方が道場メーリングリストでは当たり前とされ、道場の方針に反すると判断された投稿は非難を浴びて謝罪を求められるのでした。
論理立てて文章を書くことよりも土下座する技術がある方が大切などと考えている場所で、まともな議論が成立するわけがありません。
しっかりと自分の頭で考えている人にとって謝罪は重いものです。
はっきりと自分の非を理解させられてもいないのに謝罪を強要されるのは納得がいかないと思うのは当たり前の話です。

しかし何も考えていない馬鹿や狂人にとって謝罪など鴻毛よりも軽いのです。
実際にメーリングリストに参加していたイカ草夫はまるで放屁でもするように謝罪を繰り返しては恬然としておりました。

そのことに怒りを感じた私はかつてメーリングリストに以下の内容の投稿をしました。

「謝罪の作法」と「命を道具と見立てること」について、少しばかり物申したい気分の高まりが燻っている俺。

『謝罪の作法』について「ML参加者の中にミスっても謝罪せんのがおるやろ!! ・・・・・ワイや」と、町田康が町蔵時代にライブハウスで使っていた持ちネタを借用しつつ、俺というマザーファッカーが何故に謝罪せんのかを考えてみました。

謝罪というのは場の空気を悪くする上に、相手に許しを強要するような気がして好かないんどすえ。
脅迫みたいに感じてしまう俺の精神構造は歪んでいます?
しかし、言葉だけの反省に意味はあるのか?
言葉だけの謝罪に意味はあるのか?

安易に謝罪されると、苦言を呈した方が心の狭い人間であるかのように見える気がします。
謝罪することに意味がないとは思いませんが、相手の言葉をどれだけ理解して謝っているのか疑問があります。
大事なのは、注意されたあと、その後の振る舞い方なのではないでしょうか?

『命を道具に見立てること』について志乃さん(仮名)が投稿された「自分を道具として、己以外の何かに尽くす生き方」について確か以前にパンダーウーマン師範がブログで取り上げていたよなぁと掘り起こすと、去年の11月3日付のブログ「旅立つ前に…」にありました。


「私は自分の命を使って、この人生で何が出来るかと考えています」
女性がそのような想い、魂を抱いて生きているというのに、現今の日本男児ときた日には自分が批判された意趣返しにエセヒューマニズムを持ち出して、相手の思想を否定してみせたりするのだから、情けないにもほどがありまんにゃわ。

そんな男には皇后陛下の御言葉も胸には響かないのでしょうね。
『子供達が自分の中にしっかりとした根を持つために、子供達が喜びと想像の強い翼を持つために、子供達が痛みを伴う愛を知るために、そして子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で平和の道具となっていくために。』
普段から声高に皇室を敬愛している、敬慕していると叫ぶ者に限って、天皇皇后両陛下の御言葉に耳を澄ませることがないのです。

志乃さん(仮名)のように、殊更に天皇主義者ぶらない人の方が、両陛下の御言葉を常に意識し、心に根付かせているからこそ、自らを道具として生きてゆくという強い意志を持たれているのでしょうね。
これこそが本物の尊皇心なのだと思います。

さて、この投稿に対して批判や反論はいくらでも受け付けますが、謝罪や反省の言葉はノーサンキューです。
「陳謝します」だの「申し訳ありません」だの「精査します」だの「省みます」だの「概念砕きします」だの、クソほどの価値もない言葉など一切受け付けません。
それよりも今後の振る舞い、態度で示してくれや。

謝罪した直後に意趣返ししたり、反省の色もなく同じような投稿を繰り返す奴の言葉など誰が信用すると思っているんだ!?
「誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ」と思わず、ブルハの歌を口ずさんじゃうぜ。

こんな荒くれた言い回しをすると、「お前は何様のつもりだ?」と問われるかもしれませんが、誰もが遠慮したり我慢したりしていることを平気の平左で言ってのけるバカヤロ様であると答えておきましょう。》

当時の道場メーリングリストに投稿したこの文章は無意味な謝罪を繰り返すイカ草夫だけに向けて書いたものではなく、やたらと謝罪をさせようとするメーリングリストの管理者、つまりはドロヘドロと式波バタ子、更には苔ナビ設営隊長に向けたメッセージでもありました。
謝罪さえすればノーサイドとか幼稚園じゃあるまいし、バカバカしいにもほどがあります。

しかし、分かりきったことですが、彼らにそんなメッセージなど届くわけもなく、ドロヘドロは謝罪をせずに去っていった牛タンメガネさんやらいてうブランシェットさんへの意趣返しのようなブログをあげるのです。
自分の投稿文を批判されると批判した相手へ意趣返しをするだけの奴のみっともなさは目も当てられません。
イボ道場で議論をすると必ずそうなります。


世界のファンサイト管理者であるカリィ紅衛兵(のぶみカリィ)が元門下生の女性に「『仕事の属人化』というキーワードにイボりん先生と秘書が怒っている。メーリングリストで謝罪してくれ」と要求したことも記憶に新しいでしょう。

のぶみカリイ氏に、「メーリスに、『私の考えが間違っていた』と書いてくれ」的な事を言われたので、「断固断る!」と言って、私はその場で道場を退会したのですが……、ひょっとして、これが「道場の覇権争い」ってヤツかしら?

ちなみに、イボったら土曜の朝っぱらからのぶみカリイ氏に電話して、「あいつは一体何なんだ」「秘書が怒っている。謝らせろ」と私に対して陰より圧をかけようとしたみたいです(そうのぶみ氏が言っていました!)。
嫌な意見なら、単純に無視すればいいのにね。

よくイボは道場を去った人達に対して「承認欲求が~」とか言いますが、私はむしろ承認欲求のない人達こそが道場を去っていったのだと思っております。

そりゃ私も設営隊に参加する前は、本当に影響を受けた作家さんだったので、「あわよくば、小林先生に認めてもらってウッシッシ~」的な考えはありましたし、設営隊脱退直後は落ち込みもしました。
でも、どう考えても間違っていると思えない事について謝罪しなければいけない程、かの御仁にしがみつきたいとは思いません。
彼に認めてもらわなくとも、私はどこででも生きていけます。
そして恐らくそれは、鷲ヲさんやらいてうブランシェットさん、その他の道場脱退者も、同じ思いなのではないでしょうか。
みんな他に生きていける場所、認めてもらえる場所を持っているから、わざわざ嫌な思いをしてまでも道場にしがみつく必要性がないのです。

むしろいびつな承認欲求を持っているのは、現在の設営隊の面々のほうです。
道場以外に認めてもらえる所が他にないから、尊師が迷走しようが、コメントをアホ程削除されようが、いつまでも門弟でいようとするのでしょう。
私ならあれだけコメント削除されたら、中指立ててとっとと辞めていますわ。》(元門下生さん)


謝罪を強要するのがイボ道場の常識であるのです。

まず「常識」だ!これが一番大事だ! それから「知識」だ。最後に「情報」だ。これがわしの価値の順列である。「常識」さえあれば、思想だって出来る!》

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