ろうか?》
よせばいいのに、我慢が出来なかったのか、スルー推奨の私のブログに反応してしまったイボナメクジがどうにか私を沈黙させたくて必死になっていますが、何をどう足掻いてもこちらをギャフンと言わせるような批判を展開出来ず、迷走しております。
しかし、それは仕方がない話で、どんなにイボナメクジが《デマまでねつ造して、わしの評判を下げ》ようとしていると主張したところ、私が屈するわけがありません。
何故なら私は何一つとして嘘をついていないのですから怯むわけがないのです。
話を盛るということすらしていないので、後ろめたいところがまったくないのも私の強みであります。
ゆえにイボナメクジが取れる振る舞いは私のブログ内容をすべて認めて謝罪するか開き直るか完全に無視するかの三択しかないのです。
私のブログについて虚偽であると主張するということはイボナメクジは嘘に嘘を重ねることになり、それをすることで辻褄合わせをしなければならなくなり、次第に論理が破綻してゆくのは当然の帰結です。
事実関係を追及しては自分に勝ち目はないと悟ったイボナメクジは心理分析などと称し、門下生たちに私への人格を攻撃するよう呼びかけました。
その呼びかけに対し、元門弟である牛タンメガネ氏が応じていたのですが、その内容があまりに素晴らしかったのでこちらで紹介したいと思います。
《こんにちは
小林先生、「アンチの心理分析をして欲しい」拝読いたしました。当事者として、お答えいたしますね。
小林先生、ザ・ビートルズの「セクシー・セディ」という曲をご存知ですか。
ビートルズの4人は一時インド哲学に傾倒し、わざわざヒマラヤ山麓のリケリシュまで行ってマハリシ・ヨギという導師のセミナーを受けるわけですが、そこで生活を共にした時に、メンバーたちはマハリシのあまりの俗物ぶりに驚き失望し、帰国してからジョン・レノンはそれを歌にしました。
それが「セクシー・セディー」という曲です。
「セクシーなセディーよ、自分のやったことを見てみな。あんたはみんなを馬鹿にした。
ルールを踏みにじって、みんなを馬鹿にしたんだ。」
という歌です。
アンチの気持ちがわからない、などとしらじらしく仰ってましたが、何度も申し上げているように、あなたと、あなたの一派は、あなたに心を寄せてくるファンに対して、絶対にやってはいけない最低のことをしました。
マンガでも良いでしょう、ファンクラブでも、遊びでも、商売でも良いでしょう。さらに言えばペテンでも良いと思います。
そうであっても、それ以上の絶対にやってはいけないことをあなたとあなたの一派はやりました。
自分たちの利益を守るために、最低の手口でやりました。
ですので私たちはそれを歌にしているだけですよ。
執着なんてしていません。歌を歌っているだけです。
「あなたのやったことを見てみなよ。あなたはみんなをバカにした。」という歌です。
人はやったことに対して報いは受けるべきだとも思います。
同じことを繰り返してますからね。しかも追い詰められて手口はどんどん悪質になって来ています。
今まだ気づかずに巻き込まれている人たちにも警告として知らせる必要もあるのではないですか。
これも「公」のためでもあります。》(shinkimuさん)
見事な心理分析です。
これがイボ道場に愛想を尽かして門弟を辞めた人の知性です。
果たして今現在も道場に参加し続けている連中の中に、この分析以上の文章を書ける人がいるのでしょうか。
小難しい専門用語を並べることなく、誰にでも理解出来る平易な言葉をチョイスして、しっかりとした批評眼を持って、他人に伝わる文章を書く能力がある人はいますか?
イボ道場随一の論客であるゲロ坊主はこの牛タンメガネ氏の意見を粉砕する反論を書くことが出来ますか?
そいつは無理な相談でしたね。
失礼しました。
この記事へのコメント
通りすがりの人
1つの集団が10年という歳月を継続し続けるのは大変な事だと思います。本当に凄い事です。
公式なブログにもとても素晴らしい事を言う師範の方がおりました。
「思考さえもタコツボ化に陥る危険性があること、 それが私たちの分断を生み、 選挙活動にも影響を与えうるということ、 一方で政党とか市民活動は議論どころか 個人の自由意志さえ封じ込めていること・・・。 政治とは何なのか。 議論とは何なのか。 健全ってどういうことか。 そんなことを考えさせられました。 結局のところ、私たち一人ひとりが自立した意志をもって 政治をチェックし、権力を監視し、 声をあげていかなければなりません。」
まさにその通りだと感じます!私が知っているある団体は、声をあげて良い人は決まっており、その人(達)の意見に賛成し、賛美し、尊敬し、それ以外の人達の自由意志さえ封じ込めます。
その人(達)の意見に向かってのみ進む姿が素晴らしいと評価をし、反対意見をアンチと決め込み、アンチとみなした意見に対しては、どの様なとんでもない言い訳じみた難癖をつけても良しとされ、さらにはアンチに対して文字で攻撃してるのに、文章の内容がヘタ過ぎて「ん?なんか変なこと言ってるぞ?」ってなるヘンテコなコメントをする人を論客(笑)と認定したり、急に「あなたには分かりますか?私が〇〇と言った意味を。。。なぜそうしなかったのか、その真意が読み取れないですか?」とか、まるで意味を成さない、しかし意味がありそうな事を言いだして説得力があると思わせたい「何も考えられないマン」が古参にいたりするんです。
特定の人しか見れないネットワーク上の密室の中で、一般参加者に見られないように集団でコソコソ話す事を(公)だと言ってみたり、密室の中で誰かを追い出す為に集団で叩いたり、しかし!それはその団体にとっての正義なので反論は許されなかったり。
一般参加者の公の皆さんに密室の中のコメントを見られてしまうと、その団体は変だと気づかれる事を恐れ、密室にしといてその中が(公)だと信じこまされている人達が熱く語っている。まるでカルトのような団体があるんです。
団体名はあえて伏せておきますね。
連合赤軍だったり、オウムだったり、そんな危険なカルト集団でさえ、もともとは立派にこの国を良くしたくて、みんなを良い方向に変えたくて、少人数で集まって協力し合う小さな団体だったのです。
自分たちの正義は世の中の正義と信じたのです。
いつしか正義がお互いのモノではなく、特定の人しか正義で無くなり、反論は悪として罰せられて当然となり、言葉で責め、エスカレートしても誰も止めることが出来なくなり、反論者を叩きのめす事が良い事とされる。そんな事になる前に気づいて欲しい。
誰かを傷つける事なんて素晴らしい事じゃないって事を。
特定の人が言った事だけが正義だなんてオカシイって事を。
反対意見は悪だなんて言ってたら論議なんて出来ない事を。
そんなヘンテコなルールを振りかざしておいて、従えないなら離れればいいと言うのはルールとしてオカシイって事を。
人間の一生は長いものじゃないのです。生きている時間は有限なんです。白いものを白いと言えない生活、嫌な事を嫌と言えない生活、そんなの時間の無駄ってわかると思います。
それと同じくらい無駄なのは、白いものを黒と言われたら黒って思い込む事、嫌な事でも良い事だって言われたら良い事だって思い込む事。
声をあげてください。
「個」を持つ人々が、意志を発信して行きましょう。
あえて団体名は伏せます。