※ゲロ論文は《ゲロ坊主》カッコ内の太字で表示します。
本を読んだだけで、“わかったつもり”になっていただけの人が、残念ながらいます。
それは門弟だったからとか、設営を長くやってるとか、何の関係もありません。わりと古参の僕が言うんだから間違いないです。
最近門下生を辞めた何人かも、考えなしにアンチに接近して傷を舐め合っていますが、「敵の敵は味方」みたいな考えで、安易にベースアウトな人に近づくと大変なことになりますよ。
ひいては愛子皇太子の誕生も、脱属国も、女性の地位向上も、自分のことしか考えられないアンチたちにとってはどうでもいいことなのです。
小林先生はよく小物を指しておっしゃっています。「よっぽど自分が大物だと思ってるんだろうね」と。
僕は自分が小物だと自覚してます。謙遜でなく、ゴー宣道場以外で国にインパクトを与えることができるとは思ってません。だからこの場にいます。
もう一つ。こないだちぇぶさんの勧めでライジングVol.2を読み返しました。
ゴー宣のタイトルが『公共心なき者はゾンビである』でした。
一見ジョークのように読めますが、アンチたちが妬みと怨みを撒き散らす様子を見ていると、あれはもうゾンビ化したようなものだなと思います。
そして自分も噛まれて私怨の塊のゾンビになりそうだったら、ゾンビになる前に殺してもらうか、自らを監禁してでも公共に迷惑をかけるのを抑えなきゃいけないのです。
この覚悟がない人がアンチというゾンビになって暴れ回るんですね。
真っ当な人は、なんで世の中にアンチなんかいるんだろうと思うかも知れませんが、何しろゾンビなんだから仕方ありません。》
《8、結局思考してない
これらのことから見えてくるのは、ゴー宣の主張を実践するのは、そう簡単なことじゃないんだなということです。本を読んだだけで、“わかったつもり”になっていただけの人が、残念ながらいます。
それは門弟だったからとか、設営を長くやってるとか、何の関係もありません。わりと古参の僕が言うんだから間違いないです。
最近門下生を辞めた何人かも、考えなしにアンチに接近して傷を舐め合っていますが、「敵の敵は味方」みたいな考えで、安易にベースアウトな人に近づくと大変なことになりますよ。
と、今ここで言ってもしょうがないのですけど、一般論として踏まえておきたいです。》
「ゴー宣の主張を実践するのは、そう簡単なことじゃないんだな」
イボマンガを経典にしているからこそ出てくるフレーズです。
イボマンガを読んだ上で自ら考えを巡らせるのではなく、イボの主張を実践しようとしていることに何の疑問も抱かないのが、ゲロ坊主たちイボ道場門下生であるのです。
「本を読んだだけでわかったつもりになっていただけの人がいる」などと分かったようなことを言う根拠が、ただ古参であるというゲロ坊主は自分の矛盾に気づいていないぐらいのマヌケ野郎であります。
「最近門下生を辞めた何人かも、考えなしにアンチに接近して傷を舐め合っています」というのもよく分かりません。
私のブログにコメントを寄せてくれている方の中に最近門下生を辞めた人がいるのでしょうか?
どのコメントがそれに該当するのか私には分からないのですが、それのどこが「傷を舐め合っている」ことになるのでしょうか。
まったくの謎理論です。
既に辞めて、そのクローズドな場所にいない人のことを悪し様に言うことを称して陰湿な陰口といいます。
寄せられた情報によりますとゲロ坊主は《長い物には巻かれまくる精神なのかもしれませんが、誰かが攻撃していると後ろから援護射撃だけして安全な場所に隠れてしまいますもんね。自分は攻撃されないように。》というセコイ男のようです。
《9、公共心なき者はゾンビ
私心しかない人たちがアンチになります。ひいては愛子皇太子の誕生も、脱属国も、女性の地位向上も、自分のことしか考えられないアンチたちにとってはどうでもいいことなのです。
小林先生はよく小物を指しておっしゃっています。「よっぽど自分が大物だと思ってるんだろうね」と。
僕は自分が小物だと自覚してます。謙遜でなく、ゴー宣道場以外で国にインパクトを与えることができるとは思ってません。だからこの場にいます。
もう一つ。こないだちぇぶさんの勧めでライジングVol.2を読み返しました。
ゴー宣のタイトルが『公共心なき者はゾンビである』でした。
一見ジョークのように読めますが、アンチたちが妬みと怨みを撒き散らす様子を見ていると、あれはもうゾンビ化したようなものだなと思います。
そして自分も噛まれて私怨の塊のゾンビになりそうだったら、ゾンビになる前に殺してもらうか、自らを監禁してでも公共に迷惑をかけるのを抑えなきゃいけないのです。
この覚悟がない人がアンチというゾンビになって暴れ回るんですね。
真っ当な人は、なんで世の中にアンチなんかいるんだろうと思うかも知れませんが、何しろゾンビなんだから仕方ありません。》
前半の私たち夫婦に対する罵詈雑言や壇ミッツさんへのセカンドレイプで力尽きたのか、後半は抽象的な妄想ポエムのようなものを書き綴っているだけで、コレのどこが《極めて論理的で分かりやすい》のでしょうか…。
彼が言っていることを要約すると、「イボナメクジ先生の素晴らしい主張に反対する奴は私心しかないアンチに過ぎない。だから反対意見に耳を貸す必要はない。アンチと話し合うと言い負かされて、自分までアンチ側に取り込まれてしまう恐れがある。だから議論はせずに遁走だ」と、こんな感じでしょうか。
何の論証もせずに「アンチはゾンビ」と論理的なところが一つもない意味不明な妄言がゲロ論文の結論です。
さて、道場随一の論客であるゲロ坊主の優れたゲロ論文「アンチ分析」はいかがでしたか。
その論理性のなさに言葉を失ってしまうのは無理からぬことです。
これがイボ道場の知性を可視化した結果です。
この記事へのコメント
ケンシロウ
ずっとゴー宣道場ブログ読んでました
八百屋又七
でもあまり落ち込まなくてもよいでしょう。一番気の毒なのは無自覚なシンパの方から追い込まれただけでなく、「極めて論理的で分かりやすい彼の文章を読んで勉強になった」と言ったところ蓋を開けたらアレだったという、大恥かいたプロの物書きのイボ尊師ですから。でもそんな尊師でもまだ名誉挽回()のチャンスはあります。アンチへリークしたエビチリさんを追放したはずが今回またもや内部情報がダダ洩れしてしまったことで、エビチリさんは冤罪だったと誰の目にも明らかになりました。これは謝ったら死ぬ病を克服する絶好のチャンスです。この機会を逃す手はありません。
どるがばいいにく
私心しかない人たちがアンチになります。
ひいては愛子皇太子の誕生も、脱属国も、女性の地位向上も、自分のことしか考えられないアンチたちにとってはどうでもいいことなのです。
小林先生はよく小物を指しておっしゃっています。「よっぽど自分が大物だと思ってるんだろうね」と。
人食いヅォン・ドゥー
https://www.gosen-dojo.com/blog/25415/
イボ先生のこのブログ
「最近は門下生を標的にして中傷するようになってきたから」
と書いておきながら、どこの誰がそのような事をしてるのか
いっさい言及しておりません。
一般人の閲覧者からすれば最近のアンチに関するイボブログは
いったい何処の世界の出来事なのか???な状態がずっと続いているわけです。
通常イボ先生が誰かの発言について批判や反論をする際は
町山智浩さんのTwitterの画像をイボ宣で公開した時の様に
どこの誰のどの発言について語っているのか必ず示すわけですが
https://yahoo.jp/box/AhDdgn
鷲ヲさんと壇ミッツさんのお二人に対しては
何故かいつものような反論の仕方をとらない
『アンチという奴は本当に阿呆で、「勃起不全だがあなた
とならやれる」と言って口説けば落ちる女がいると言う
のだ。』https://www.gosen-dojo.com/blog/25371/
と語りながら、どこの誰がそのように言っていたのか
発言元となるブログやTwitterを示さない。
もうイボ宣やライジング読者の大半は
反論のしようがないからイボ先生はこうするしかないのだと
とっくに気づいています。
イボの言い分を信じてるのは読者の中でも極少数です。
今回でイボ先生は一線を越えてしまいました。
イボ 道場に個人情報を渡すと後で何をされるか
わからないことをイボ先生自ら全世界に公言した のですから
女にだらしなく、どうしようもない男であると普段から公言してるから
寄ってきた壇ミッツさんの方に非があると開き直っているのには絶句しました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/25439/
https://yahoo.jp/box/9w_wkI
https://yahoo.jp/box/7Ibc7r
通りすがりの人
フリッツ・ワルター
ゲロ坊主は、先日アップされた門下生チャンネルの聞造会、続いて先週の道場でもよしりん尊師に「空気は読めないが理論派」と繰り返し褒められていましたから、流川風に言えば「そーとー天狗になってやがる」状態でこの文を書いた事でしょう。
よしりん尊師にみんなの見ている前でまた褒めて欲しい、気持ち良くなりたい。
ゲロ坊主がその手段として題材にしたのが、最近よしりん尊師の頭を悩ませているアンチブログでした。これを叩けば、また褒めてくれるに違いない!
文を書く上でゲロ坊主が意識したミッションは
1.鷲ヲ氏は偉大なる尊師に嫉妬した構ってちゃんだ(尊師への忖度)
2.鷲ヲ氏は道場の掲げる思想から溢れた不適格者だ(道場へのプレミア化)
3.檀ミッツの件は偉大なる尊師の主張を全面肯定する(尊師への忖度)
これに得意の人格攻撃を加えました。目論見は的中、見事尊師から絶賛され、ゲロ坊主はイイ気持ちになれました。
今回の文はよしりん尊師のために書かれています。更に自分を褒めて欲しいオーラも感じます。
そこには道場サイド以外の人が見たらどう感じるかと言うバランス感覚が全く感じられません。だから余計痛いのだと思います。