1コメント

初期メン橋田ピン子の被害者意識論

イボ新刊『慰安婦』が発売されると、イボスタッフであるドロヘドロが道場メーリングリストにて「Amazonレビューでアンチコメントが目立たなくなるように高評価コメントを書き込んで欲しい。それも情報戦という戦いです」と門下生たちに号令をかけていましたが、どうやらそれと同じパターンで、ライジングコメント欄もバカ牛(仮名)や略称アナモチ(仮名)や尻穴屋(仮名)や吉兆クラゲ(仮名)などの気持ちの悪い常連の異様なコメントが目立たなくなるように門下生に投稿を呼びかけたようで、これまでコメント投稿しなかったような連中が必死に埋め立て作業をしています。
しかしその文章はコメント常連と大差がないというのが現実です。

その門下生コメントの中には壇ミッツさんの友人であった古参橋田ピン子もいました。
1FC9A87E-8890-480C-B030-7A16E9972555.jpg
15F18B15-0FE7-4250-BFCC-17956532DE0E.jpg

この橋田ピン子のコメントを読んでしまったのか分かりませんが、壇ミッツさん(葉月蓮さん)が「被害者意識」についてツイートしていました。
A54D4E29-84F2-4991-BDF6-03352747A629.jpg

橋田ピン子の言い分が仮に正当なものであるのならば、何故そのように思ったのか説明すべきだと思うのですが、それをせずに被害を受けた側が勇気を振り絞って出した告発について揶揄するように半笑いで「あーハイハイ、それ被害者意識ね」と吐き捨てる不誠実さはなんなのでしょうか。

自分たちへの批判について反論せずに「アンチ」とレッテル貼りし、その批判は単なる「被害者意識」だと言うだけで論破した気になっているイボ道場はそもそも議論をすることが不可能な集団なのでしょう。

イボ道場は得体の知れない三大目標を掲げていますが、それを世間にプレゼンする話術もないのにどうやって実現するつもりなのでしょうか?
道場内だけならば、イボナメクジの独裁なる珍妙な言論封殺で意見を一本化することは可能ですが、一歩イボ道場の外に出たら、イボの主張などまったく相手にされないでおしまいです。

道場という運動は10年もの長きに渡って続けてきましたが、その間何一つとして実績をあげていません。
「道場が改元の立役者」というのも内部向けの虚偽であることは門下生のほぼ全員が気づいていることでしょう。
もし、それを事実だと思い込んでいるというのならば、会社の同僚やご近所さんに触れ回るべきでしょう。

さて、橋田ピン子に話を戻しましょう。
橋田ピン子は元門弟の壇ミッツさんやらいてうブランシェットさんと最も親しく付き合っていて、道場とは別に3人でグループラインをしていました。
そこで意見交換をしていた時には、らいてうブランシェットさんが道場メーリングリストを辞めたことを残念がり、辞める流れを作った門下生たちを非難していた橋田ピン子ですが、エビチリさんが冤罪で破門になったことについて何の痛痒も感じていない様子です。

橋田ピン子はエビチリさんとは10年近くの長きに渡って道場で顔を合わせていた間柄であるというのに、道場に何の害意もなかったエビチリさんが追放されたことを気にも止めていないようで、その人間性には戦慄を覚えます。

「オドレら正気か?in大阪」の最後に出たあの話について、千葉の女性門弟モグさんとよっしーさんのご意見紹介です!》

上リンク先のヘドロブログで紹介された意見は差別ネットワークのドクター差別が特別寄稿したものかと思ったら橋田ピン子の投稿でありました。
元門弟である壇ミッツさんやらいてうブランシェットさんと親交を深めていた橋田ピン子が、ドクター差別と同じ発想を披露しているのですから、壇ミッツさんやらいてうブランシェットさんは今何を思っているのか気になります。

橋田ピン子が言う、《きっと人権美人さんは、自分の中の差別心、自分の中に存在する善と悪を客観視出来ていないし、見たくない、認めたくないから、自分を(人を)誤魔化して、自分は差別心の全くない人だと思い込み、他者に対してもそれを強要してしまうのかな?と思いました。》というのは元親友2人に対するイヤミだと深読みしてしまうのは私の勝手な邪推でしょうか?

それにしても橋田ピン子の意見はドクター差別のソレとまったく同じです。
でありますので、橋田ピン子はイボ道場だけではなく、差別ネットワークの取り組みにも賛意を表明すべきでしょう。そしてイボ道場はさっさとドクター差別を招聘し、基調講演させるべきです。

参考にドクター差別のブログを以下に貼っておきましょう。


上に貼ったヘドロブログの中で紹介されている門下生のねぐらもぐらと橋田ピン子のルッキズム剥き出しの投稿について、興味深いコメントが届いていましたので紹介します。

イボ教会のブログ読みましたけど、女性のご意見のようですがいやはや凄いっすね。
見た目の美醜や女性性をいじったり笑ったりすることを批判したり、偏見や差別はなくしていこうという考えを尊重するとその先には、スターリンやポルポトを生みだすことになるんですかあ。
そういうお考えからすると、アメリカの奴隷解放宣言とか公民権運動なんかはろくでもないってことになるんですかね。》
《そもそも考えてみればイボ教会の方々は尊師はじめ一貫してますよね。見た目をいじるとか、言葉のセクハラ(何ソレ)程度のことはコミュニケーションなんだから、笑いで返すくらいのセンスや余裕がなきゃだめよ~、そうやって強くなっていくと女性の器や魅力が増していくのよ~というのは皆さんずっとおっしゃってたことですもんね。》
イボ教会のある熱心な信者さんがツイッターで「ババアの立ちんぼに声を掛けられた」と呟いておられるのを見かけましたが、エキノコックス先生は、夜職の女性は搾取されていると主張する人こそがそういう女性たちを差別しているとおっしゃってませんでしたっけ?
私などにはインセル男性による女性蔑視発言としか思えないんですが、イボ教会の方々にとっては差別発言でもなんでもなく、夜職の女性に対するちょっとしたいじりってことにでもなるんですかね?》(シイタケちゃんさん)

ヘドロブログを読むと、橋田ピン子が《完全平等を実現しようとしたポル・ポトやスターリンなど歴史を紐解けば見えてくる事で、大虐殺の結末だったはずです。》と書いていますが、コレ、イボナメクジがよく作品で書いていたフレーズですよね。
おそらく橋田ピン子はポル・ポトやスターリンなどの歴史を紐解いたことなど一度たりともないのでしょう。
歴史を知るということは何も学術書を読まなければならないということではありません。
そりゃ読むに越したことはありませんが、そこまで敷居を上げなくとも映画を観たり、文学を読んだりすることで、ポル・ポトやスターリンについて学ぶことは出来ます。
しかし橋田ピン子はそれすらせず、ただイボナメクジの言っていることをなぞっているだけで分かった気になっているのです。
無論、知らないのなら知らないで別に問題はないのですが、知ったかぶりして意味も分からずしたり顔で講釈タレるのは大問題です。
まして人権を揶揄するのに、ポル・ポトとスターリンを持ち出すとか何の冗談でしょうか?


イボ道場は人権を蛇蝎の如く嫌っているようですが、自分たちが人権の恩恵を受けていることに無自覚なようで、まさに平和ボケここに極まれりですね。
人権は未だに不完全なものでありますが、それを指して不可能だと批判することは誰にでも出来ます。
未だ達成されぬ理想を所詮は夢物語のポエムだと嗤うことが建設的な態度でしょうか?
未だ達成されないが、目指すべき理想であると前進する人の足を引っ掛けようとする橋田ピン子は自分の浅ましさを恥ずかしくは思わないのでしょうか?


313888F7-E1AC-4968-A70C-DCEA048CC338.jpg
イボはFLASH連載にて奥山玲子さんについて取り上げていましたが、彼女は日本アニメ業界の黎明期に男尊女卑の空気に抗い、前進したわけですが、橋田ピン子のような人が当時、奥山さんのような女性を鼻で笑っていたのでしょうね。
なにしろ《「多少の」差別もあって当たり前ですよね。》などと言って、人権を主張する人を嗤うような人ですからね。
橋田ピン子はポル・ポトやスターリンを例に出して一気に極論に走っていますので、ならばこちらも極論で返してあげましょう。
橋田ピン子やイボ道場は国民性や民族性などと言って分断し、人は生まれながらに優劣があると主張しますが、それは優生思想であることは明らかです。
優生思想はナチスの歴史を紐解けば見えてくる事で、大虐殺の結末だったはずです。 

0D269F3C-8C5B-4B20-8F3F-59B1451FB037.jpg
そういえば、イボナメクジはブログの中で、《ライブビューイング自体は関東のKさんが始めた》と書いていましたが、発案しただけで、それを実行に移したのは別の人だった筈だと思うのですが、得意の歴史改竄でしょうか?

パブリック・ビューイングの発案者がKさんで、実行サポートがsavaさんとビビさんだと聞いた。すごく良いことだ。》

この記事へのコメント

  • ういろう

    尊師が「読者にアンチ叩き祭りをやれば面白くなるのでは?」と暗に促したところ、ブログ主が指摘するとおり信者が必死に埋め立て作業をしている模様。仮にも公論をうたっている人がアンチとやらへ何かをするとしたら、それはアンチ叩きではなく反論でしょう。そこに「理」があって「論」立てられているのであれば、それは叩き合いではなく生まれるのは議論なんですけどね。10年もコーロンコーロン言っててそれくらいわからないものでしょうか。そもそも代表師範が「アンチ叩き」と言ってしまっているところに、まともな「理」も「論」も生まれるはずありませんが。

    ポル・ポトやスターリン説、笑いました。(笑えないが)
    「多少の差別はあるのが本当は健全な社会」なるビックリ説が書かれてありましたが、「多少の差別」の多少の度合いとは如何ほどなもので、「あって健全な差別とそうでない差別」の線引きを説明できるのでしょうか。おっと得意の「バランス感覚」ってやつですか?彼らの言う「バランス感覚」とはイボナメクジ基準以外の何ものでもないでしょう。
    それにしても「健全な女性蔑視による健全な女性差別は温存し、女性の地位向上を目指す」とはなかなかアクロバティックですね。服を着ずに裸の王様を脱するという感じでしょうか。
    2020年02月17日 16:17