エキノコックス師範が得意のどこの誰を批判しているのか分からないブログをあげています。
《フェミニズムの学者による論文をいくつか読んだけど、ポカンとしてしまった。》
このエキノコックス師範のブログを読んで、ポカンとしてしまった人は多いのではないでしょうか。
エキノコックス師範のプロフィールによると紆余曲折あって物書きになり、小説などを出版されているようですが、物書きを自称しているのであるのならば、どこの誰の論文を読んだのか明示した上で議論することを呼びかけ、論戦を展開してみせれば良いのではないでしょうか。
それが文筆家の矜持というものでしょう。
それをせずに、どこの誰の主張だか分からないようにしたままでケチをつけているのが道場の「公論」なのですか?
エキノコックス師範は《なんでもかんでも暴力だ、奴隷だ、苦役だ、差別だと言って、本当の女性蔑視と一緒くたにしてたんじゃ話にならないよ》と書いていますが、エキノコックス師範ご自身もフェミニストと一括りにして批判されているではないですか。
フェミニストと一口に言っても人それぞれで、互いに違う主張をされています。
誰でも知っている田嶋陽子氏と上野千鶴子氏はその主張はまったく違います。それを一括りにして論じてしまうのは、それこそ《話にならないよ》です。
一体、《「代理母」は賃金労働となり得る》との論文を発表した「フェミニスト」とは誰なのでしょうか?
私は代理母の問題点をフェミニズムの観点から論じている文章ならば読んだことはあるのですが、《女性のことを「産む機械」と考えている》フェミニストの論文の存在を知りませんので是非教えて欲しいものです。
エキノコックス師範のブログの内容は要するに「やりがい搾取だのブラック労働だのワガママ言って(なんでもかんでも暴力だ、奴隷だ、苦役だ、差別だと言って)、自分の想定内の快適さにおさめたがる、その傲慢さはなんなの? 人生、そんなにナメたらあ~か~ん~」と言いたいだけであり、つまりはイボ道場での無償労働について、《不条理と感じたものでも、必死で努力してみたら、重要な経験として昇華されていくこと》として推奨しようとしているだけでしょう。
エキノコックス師範は常にイボナメクジの主張を補完する為だけにブログを書いています。
今回のブログは次の二つのイボブログを補完するために書かれたものであるのでしょう。
《権利だけ主張して、責任もリスクも引き受けない。「私がやる!」「私に任せろ!」と言わなければ、単なる子供なのだ。主体性を発揮し、主権を行使しようと踏み出せば、単なる仲良し共同体より、もっと面白くて、快感が得られるということが分かるだろう。》
《アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』という本を読んだ》
《アディーチェは「わたしはもう女であることに弁解じみた態度をとらない」と言っている》
《アディーチェもハイヒールが好きだと言っている》
さて、アディーチェをアゲて田嶋陽子をサゲるという得意のイボ比較をしたブログについてコメントが届いているので紹介します。
《イボブログを読む限りアディーチェさんの本を端から理解できていないし、本当に読んだかどうかも怪しい。
本のもとになったスピーチはこれ。
子供の頃のエピソードとして、成績がクラスで1位でやる気もあったのに、女子だからという理由でクラス監視員に2位の男子が指名されたという。女子を育てるのに「男を立てろ」というのをやめようとも言っている。
アディーチェさんの言う「ジェンダーの現状に問題があると考える人は皆フェミニストだ」というのは、
アディーチェさんの言う「ジェンダーの現状に問題があると考える人は皆フェミニストだ」というのは、
「フェミニストを悪いレッテルとして使うな」
「フェミニストと言われて恥じる必要はない」
という意味で、上野千鶴子氏や田嶋陽子氏のようなフェミニストを「国家を否定する左翼」などと根拠もなく貶めるイボのようなヤツからのレッテル貼りに怯む必要はないということ。
ジェンダーに関して、現状維持より革新を望む者は皆フェミニストとアディーチェさんは言っているが、そもそも男女平等、男女同権に賛同していること、男尊女卑は人権問題と考えていることが大前提だ。
医大の入試で女子だけが不当に減点されることを擁護し、理不尽な扱いを受けていることを訴える女性を「ぶん殴りたくなる」と公言するイボナメクジがフェミニストだなんて、アディーチェさんも思うわけがないから安心するがいい。
イボの言動を知れば、筋金入りのミソジニスト兼セクシストであるとアディーチェさんは即座に言うだろう。
アディーチェさんはハイヒールが好きだと言うが、ハイヒールの強制は纏足だと言う田嶋陽子には共感し、イボのことは大嫌いになるのは間違いない。
「ハイヒールは危ないからやめた方がいいが、米倉涼子のはいい」とは何様のつもりか。
アディーチェさんの言う「ハイヒールが好き」は、私は誰にどう思われようとも関係なく、自分が履きたいから履くということ。
無関係なくせに「米倉涼子が履くのはいい」などと判定する、イボのようなミソジニストの上から目線を跳ね除けるために言っているんだよ!》(アディーチェはイボナメクジが大嫌いさん)
「フェミニストと言われて恥じる必要はない」
という意味で、上野千鶴子氏や田嶋陽子氏のようなフェミニストを「国家を否定する左翼」などと根拠もなく貶めるイボのようなヤツからのレッテル貼りに怯む必要はないということ。
ジェンダーに関して、現状維持より革新を望む者は皆フェミニストとアディーチェさんは言っているが、そもそも男女平等、男女同権に賛同していること、男尊女卑は人権問題と考えていることが大前提だ。
医大の入試で女子だけが不当に減点されることを擁護し、理不尽な扱いを受けていることを訴える女性を「ぶん殴りたくなる」と公言するイボナメクジがフェミニストだなんて、アディーチェさんも思うわけがないから安心するがいい。
イボの言動を知れば、筋金入りのミソジニスト兼セクシストであるとアディーチェさんは即座に言うだろう。
アディーチェさんはハイヒールが好きだと言うが、ハイヒールの強制は纏足だと言う田嶋陽子には共感し、イボのことは大嫌いになるのは間違いない。
「ハイヒールは危ないからやめた方がいいが、米倉涼子のはいい」とは何様のつもりか。
アディーチェさんの言う「ハイヒールが好き」は、私は誰にどう思われようとも関係なく、自分が履きたいから履くということ。
無関係なくせに「米倉涼子が履くのはいい」などと判定する、イボのようなミソジニストの上から目線を跳ね除けるために言っているんだよ!》(アディーチェはイボナメクジが大嫌いさん)
ライジングコメント欄ではお目にかかることが出来ない見事なコメントです。
つまりアディーチェの発言はケイト・ブランシェットの有名なスピーチ「私にとって本当のスタイル・アイコンとは誰にもわびることなく自分自身を貫いていて、人目を気にすることなく自分が信じるルックスと美しさを追求している人です。好きな服を好きな時に好きなように着られる女性だと思います。女性はセクシーに見えるのが好きです。でもそれはあなたと寝たいという意味じゃない」と同様の意味のものであるようです。
かつてイボ道場にはアディーチェやケイトと同じ意味内容の発言をした門弟がおりました。
その人は道場の知性を牽引し、何度となく道場ブログにて投稿を紹介されていたので道場ウォッチャーならば誰であるかすぐにお分かりになることと思いますが、らいてうブランシェットさん(仮名)であります。
同時期に門弟であった壇ミッツさん(仮名)によると、彼女は今では道場に参加していたことは人生の汚点であると思っており、そのことを強く恥じているようなので、彼女についてはあまり話題に上げるべきではないとは思うのですが、今から書くエピソードは私の妻が相当に気に入っているものでありますので、少しだけ紹介することをお許し下さい。
壇ミッツさんは門弟登録する以前には自分が好きなファッションで道場に参加していたそうですが、門弟登録してからは好きな網タイツを穿くことも控え、ロングスカートなど体のラインが強調されないようなもの選び、まるで厳格な宗教の信者みたいな服装をして参加するようにしていたといいます。
道場は公論を語り合う場であるからそれ相応の格好で挑まなければならないと言わんばかりに当時の設営隊長である苔ナビが目を光らせ、実際に苔ナビは気に入らない服装をしている者に対して口頭注意はお手の物、更に後日、道場メーリングリストにて吊るし上げたりするのですから、壇ミッツさんが北斗の拳のケンシロウ初登場シーンみたいな格好をして、道場に参加するようになるのも無理はありません。
しかしそんな妥協を許さない人が門弟の中にいたのです。その方こそ誰あろうらいてうブランシェットさんです。
しかしそんな妥協を許さない人が門弟の中にいたのです。その方こそ誰あろうらいてうブランシェットさんです。
らいていブランシェットさんは道場終了直後、ケンシロウ姿の壇ミッツさんに猛然と歩み寄り、「あなたは脚が綺麗なんだから隠していてはダメ。ファッションは自分のためにするものなのに周りに気兼ね してちゃつまらない。あなたの体はあなたのものなんだから」というような注意を厳しい口調で言ってきたといいます。
その説教に感銘を受けた壇ミッツさんはそれまで無理をしていた自分から解き放たれ、人の目、殊に苔ナビの目などを気にせずに道場の日であっても自分がしたい自分が一番好きなファッションをするようになれたといいます。
それで苔ナビに注意されても構わない。私は私のために着飾る自由がある。そう思ったかどうか私には分かりませんが、おそらくはそれぐらいに自由な気持ちにはなれたのでしょう。一方、苔ナビはと申しますと、陰で白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)と疎まれ、道場内に苔グループという最大派閥を形成し、そこに所属する雑兵たちで周囲を固め、その愚鈍な雑魚に持ち上げられてることで本気で自分は有能な人間であると錯覚し、道場後の飲み会では得意げに講釈を垂れるまでに増長していました。
まだ妻が門弟であった頃、妻は苔ナビを慕っていたので飲み会の席ではいつも隣に座り、苔の駄弁りを有り難く傾聴していて、妻が何気なく私の話題を振ると、苔ナビは私のことを「あの人はロックじゃないのよね~」とdisっていたそうです。
苔むした老婆にロックの何が分かるのかと笑ってしまいますし、そもそも私は矢沢永吉じゃあるまいし、自らをロックであるなどと思ってもいません。更には私が筋肉少女帯を愛聴していることに難色を示し、オーケンの作詞についてダメ出しし、「あれはロックじゃない」と断言し、そんなものを聴いているからダメだと非難していたといいます。
踊るダメ人間も踊る赤ちゃん人間もダメだと言うことの滑稽さにポカンとしてしまいます。
そして私がロックではないのに引き換え、エアリプ門弟ビビゾネスめた子こそがロックであると言っていたといいます。
さすがはイボシンパだけあってイボ比較をしっかり継承しているようです。
なんでも、当時(2013年)のビビゾネスは「今年はバリバリ仕事して、来年は子供を産んで育てますぜ」とゴーマニズムな宣言をしていたそうで、それを聞いた苔ナビが「これこそロックよ!」と言って褒め称えたそうです。
驚きのロック定義です。今まで聞いたこともないロケンローラーの新解釈です。
国の少子化を憂いての出産宣言。公のために自分は何が出来るかと考えての出産。
それはなかなかに体制的で保守的なロックでありますね。そもそも保守的なものをロックと呼ぶことに違和感を覚えないあたりが凄いです。
確かにロックンロールの語源は性行為のことであるそうですが、性行為イコール出産に繋げるのは原理主義者ぐらいでしょう。
つまりは苔ナビの言う「ロック」とは「ドグマ」と同義であり、本来のロックとは別物であります。
なんでも、当時(2013年)のビビゾネスは「今年はバリバリ仕事して、来年は子供を産んで育てますぜ」とゴーマニズムな宣言をしていたそうで、それを聞いた苔ナビが「これこそロックよ!」と言って褒め称えたそうです。
驚きのロック定義です。今まで聞いたこともないロケンローラーの新解釈です。
国の少子化を憂いての出産宣言。公のために自分は何が出来るかと考えての出産。
それはなかなかに体制的で保守的なロックでありますね。そもそも保守的なものをロックと呼ぶことに違和感を覚えないあたりが凄いです。
確かにロックンロールの語源は性行為のことであるそうですが、性行為イコール出産に繋げるのは原理主義者ぐらいでしょう。
つまりは苔ナビの言う「ロック」とは「ドグマ」と同義であり、本来のロックとは別物であります。
というか、単純にそれはロックと呼べるものではないでしょう。
この記事へのコメント
性的な記号を付け加えた萌え絵を公共の場に貼るポスターに使用したり、求人広告に胸を強調した写真をわざわざ使ったりすることが批判されてるんだけど。
マンガのキャラの描写が批判されることと実在の女性が主体性を否定されることの区別がつかないようなヤツがいるのを見ていると、「フィクションと現実の区別がついている」とインセルキモオタが自称するのも嘘だとわかる。
イボ宣とコロコロコミックばっかり読んで、Twitterにグロいイラストなんか載せてるような人はそうなっちゃうんだろうね。
子供部屋で好きなエロ漫画を読んで好きなエログロ絵を描いているだけなら誰からも攻撃されないから、一生そうしてるといいよ。自分をゾーニングしなさいな。
ケイト・ブランシェットさん素晴らしいことを仰られていますね
最近萌えキャラや胸の大きな女性に対しての誹謗中傷を繰り返してる日本の自称フェミニストの方々にも是非噛み締めていただきたい言葉に思います
女性が好きな服を着てもいいように、絵描きが自分の生み出した宇崎ちゃんやラブライブを描いてもいいはずですし、茜さやさんが好きな服を着てもいいはずです
自分は好きな服を着たい時に着るけど、人が好きな格好をしているのは気に入らないから抗議して辞めさせるでは筋が通りません
フェミニズムとは全ての女性を解放するための運動かと思いますが、男性は全て性犯罪者、賛同しない女性は名誉男性なる卑劣なレッテルを貼り、お仲間同士あちこち火を付けて回ってる過激派ばかりが目立っている現状の日本ではいつになってもフェミニズムは理解されないでしょうね
イボ先生とは関係のないコメント失礼しました