それは中島みゆきさんのイメージを損なう妄言であり、見過ごすことが出来ませんので、そのことについて再度言及しておこうと思います。
中島みゆきさんの歌はまさにボヘミアンを歌っており、それはまさにデラシネの歌であり、トランスの歌であり、Vagabondの歌です。
一方、イボナメクジはボヘミアンやデラシネやトランスやバガボンドに対して何をしているというのでしょう。
イボナメクジはそれらの人が求めてもいないのに、「日本国民」とやらに包容してやるなどと言い、他人のアイデンティティに口出ししているだけではないですか。それは中島みゆきさんとは対極にある野蛮さです。
一体どこをどう見たらイボナメクジと中島みゆきさんを同じ存在であると感じられるのでしょうか。
イボ道場で師範を務めるパンダーウーマンは何度か中島みゆきさんについてブログにて言及していますが、その内容の酷さは目に余るものがあります。
《私の愛してやまない中島みゆき様の歌に「化粧」という名曲があります。》《素敵な人と会う予定があるなら、5分で終わる化粧も、心なしか丁寧に。自分をより美しく見せたい(=幻想)に、好むと好まざるとにかかわらず、しがみついてしまうのがオンナゴコロというものです。》
パンダーウーマンは名曲『化粧』についてこのように評していて、私は唖然としました。
私が知っている「化粧」とは別の歌でも聴いたのではないかと疑ってしまいます。
そしてパンダーウーマンは中島みゆきさんの歌の話から性差の話へ飛躍して、《身体の構造が違う以上、こればっかりは首から上の思想やイデオロギーでどうにかなるものではない。女が服を汚さずに立ちションすることは至難の業だし、デパートから公衆便所にいたるまで、男女同じトイレだったら、正直イヤだもんなー。》と、フェミニズムを批判する男がよく口にする程度の低い詐術で、平塚らいてうや市川房枝らが打ち立て、それに続いた女性たちが築き上げてきたものを破壊しようと企図します。
まさに名誉男性の典型的な言動を得意げな表情で言って恥じないのです。
《中島みゆき様の名曲を聴いてほしいもんだなーーー。こういう人には、届かないかな?》などとよく言えたものです。
中島みゆきさんの『ファイト!』の歌詞にある「あたし男だったらよかったわ。力ずくで男の思うままにならずにすんだかもしれないだけ、あたし男に生まれればよかったわ」の意味がまったく心に届いていないパンダーウーマンが何を言っているのでしょう。
更にパンダーウーマンは中島みゆきさんについて愚劣極まるブログを書いています。
そしてパンダーウーマンは中島みゆきさんの歌の話から性差の話へ飛躍して、《身体の構造が違う以上、こればっかりは首から上の思想やイデオロギーでどうにかなるものではない。女が服を汚さずに立ちションすることは至難の業だし、デパートから公衆便所にいたるまで、男女同じトイレだったら、正直イヤだもんなー。》と、フェミニズムを批判する男がよく口にする程度の低い詐術で、平塚らいてうや市川房枝らが打ち立て、それに続いた女性たちが築き上げてきたものを破壊しようと企図します。
まさに名誉男性の典型的な言動を得意げな表情で言って恥じないのです。
《中島みゆき様の名曲を聴いてほしいもんだなーーー。こういう人には、届かないかな?》などとよく言えたものです。
中島みゆきさんの『ファイト!』の歌詞にある「あたし男だったらよかったわ。力ずくで男の思うままにならずにすんだかもしれないだけ、あたし男に生まれればよかったわ」の意味がまったく心に届いていないパンダーウーマンが何を言っているのでしょう。
更にパンダーウーマンは中島みゆきさんについて愚劣極まるブログを書いています。
《先日、中島みゆきの劇場版「夜会」を観ました。》《二年前の「夜会VOL.18ー橋の下のアルカディア」が映画館で上映されるというので、いそいそとお出かけ。》
このブログに書いてある夜会「橋の下のアルカディア」についての感想は、塚本晋也監督「野火」への感想の酷さと併せて既に言及しました。
さてパンダーウーマンはブログの中で夜会の感想の他にカラオケについても書いています。
《幼い頃から両親が中島みゆきを聴いていたので、いつの間にか身体の一部分に沁みついている感じです。カラオケでも、もっぱらみゆき様です。下手だけどいいの。》
「幼い頃から両親が中島みゆきを聴いていた」という部分が年代的にちょっと引っかかりを感じますが、そこはスルーするとして、パンダーウーマンは幼い頃から中島みゆきさんの歌を聴いていて、「いつの間にか身体の一部分に沁みついている感じです。」と言いますが、なんとカラオケで歌うと場を盛り下げる歌として「糸」を挙げるのには違和感しかありません。
どんなに音痴であっても、あの曲のメロディが流れていて、どのようにしたら場が盛り下がるのでしょうか?
下半身丸出しにしてテーブルの上で脱糞しながらポッキーを鼻の穴に突っ込んで歌っていたのでしょうか?
果たしてパンダーウーマンが歌っていたのは本当に「糸」であったのでしょうか?
下半身丸出しにしてテーブルの上で脱糞しながらポッキーを鼻の穴に突っ込んで歌っていたのでしょうか?
果たしてパンダーウーマンが歌っていたのは本当に「糸」であったのでしょうか?
《彼女の歌にある「オンナのドロドロ感」は、私には皆無》と言いますが、一体いつの時代の中島みゆき認識なのでしょうか?
きょうび中島みゆきイコール女のどろどろ感など誰がイメージしているのでしょうか?
それ、デビュー当時に貼られたレッテルだと思うのですが、未だにその認識でいる人が「大好きなみゆき様」とか、マジですか?
デビュー当時、いわゆる「女のどろどろの情念」という偏見を持たれて聴かれていた曲を今の中島みゆきがどのように歌い上げているのか知らないのでしょうか?
それ、デビュー当時に貼られたレッテルだと思うのですが、未だにその認識でいる人が「大好きなみゆき様」とか、マジですか?
デビュー当時、いわゆる「女のどろどろの情念」という偏見を持たれて聴かれていた曲を今の中島みゆきがどのように歌い上げているのか知らないのでしょうか?
それで「大好きなみゆき様」を公言しているとか、マジですか?
そんな「中島みゆきの大ファン」であるパンダーウーマンは「ファイト!」の歌詞とイボ道場のスタンスは同一であると言います。
《カレーせんべいさんが、メーリングリストで 中島みゆきの「ファイト!」が好きだと 投稿されていました。私も大好きです。》
《ゴー宣道場だってそうなんだと思う。》
《この国の未来を形作る責任があると思うからやっている。 》
《それを冷笑してみせるのは、じつは簡単なのだ。 無関心もニヒリズムも、「笑う」と同じ。 闘わない奴等は、闘う人の唄を笑うのが常だ。 自分はどんなにみっともなくても、無知でも、 弱くても、笑われても、せめて、 人の唄を笑うようにはなりたくないな。》
パンダーウーマンの分際で実に良いことを言います。
パンダーウーマンの分際で実に良いことを言います。
そんなパンダーウーマンは下に貼ったイボナメクジのブログについてはどう思うのでしょうか。
《わお―――――っ!ポエムポエム――――♪ よくこんな赤子に囁くような書き方ができるな。》
上のブログ記事内でイボナメクジが取り上げた朝日新聞の社説の内容はまさに中島みゆきさんの「ファイト!」の歌詞と共通しています。
《傷つけられて、沈黙しているあなたへ。》《あなたは、私だ。》
《そして、傷つけて黙っているあなたへ。》《私は、あなたを認めない。許さない。》
またイボナメクジがボロクソに叩いた吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もまた『ファイト!』と同じことを描いています。
『ファイト!』とは、勇気を持てずに、助けもせず、叫びもせず、ただ怖くて逃げた自分に対し、「私の敵は私です」と後悔する闘う君の唄です。
『ファイト!』とは、勇気を持てずに、助けもせず、叫びもせず、ただ怖くて逃げた自分に対し、「私の敵は私です」と後悔する闘う君の唄です。
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