自分の言葉を他人に伝えることよりも他人の言葉を自分が理解しようとすることの方が大事であると、イボナメクジの振る舞いをウォッチングしていると痛感します。
ラッキースケベ師範をはじめ、道場関係者は我こそは尊皇派であると高らかに謳いますが、日本史を紐解けば、尊皇派を名乗るような奴らほど天皇の意思を無視してきたことが分かります。
彼らは自分が望む皇室像こそが正しいと信じ、それに当てはまらなければ、皇族にすら噛みつくのです。
イボ道場のやっていることや言っていることはチャンネル桜と同じようなものです。
ちなみに余談ですが、ラッキースケベ師範は何故ラッキースケベ師範と呼ばれるようになったのかは以下のリンク先ブログ記事を読めば分かると思いますので、是非目を通して下さい。
彼らは自分が望む皇室像こそが正しいと信じ、それに当てはまらなければ、皇族にすら噛みつくのです。
イボ道場のやっていることや言っていることはチャンネル桜と同じようなものです。
ちなみに余談ですが、ラッキースケベ師範は何故ラッキースケベ師範と呼ばれるようになったのかは以下のリンク先ブログ記事を読めば分かると思いますので、是非目を通して下さい。
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《私が何気なく差し出した手がそのまま、その女子高生の1人のふくよかなオッパイに、ムニュッとめり込んだのだ。》
《あの時のオッパイの感触は今も私の手に残っているが…。》
さて、私の妻は子供の頃から皇室を追いかけていて、未だ憧れの人は美智子上皇后と吉田豪であるという変わり者です。
そんなミーハーな事情通である妻がイボナメクジの『新天皇論』をはじめて読んだ時に、ある皇族についての記述に違和感を抱き、知っていてあえてやっているのか、本当に知らないのか、どっちなのかと首を傾げていたそうです。おそらくイボナメクジは実際の皇室にはそれほど興味がないので、本当に知らなかったのでしょう。
イボナメクジにとっては自分が思い描く理想の皇室像があり、それに当てはまらないような皇室などもはや皇室ではないと思っており、そんなものは無いのと同じで、理想の皇室像に塗り替えてしまって構わないと考えているのでしょう。
それは平気で《天皇がいなくなる日本のことも考えておかねばならない》などと言ってしまえるところからも窺い知ることが出来ます。
《そろそろ皇位継承者が途絶えて、天皇がいなくなる日本のことも考えておかねばならないと、最近思い始めている。》
話題を変えましょう。
2018年12月23日は上皇さまの最後の天皇誕生日でした。
その日のTBSのサンデーモーニングを観たイボナメクジはすぐに『青木理は政教分離原理主義者だな』というタイトルでブログを更新しており、その内容は青木理が陛下が誕生日会見で政治的なメッセージをしていることがいけないことだと批判していることを伝えておりました。
その青木理氏について、イボナメクジは天皇が政治発言をしていけないと言う青木は政教分離原理主義者だと非難したのです。
それからしばらくして、再びくだんのブログを読もうと道場のホームページを開くと、そのブログは削除されているのか閲覧出来ない状態になっておりました。
私は思わず「消しやがった」と呟きました。
私は思わず「消しやがった」と呟きました。
やはり「政教分離」という語句についての無知を晒している為に削除したのでしょう。
しかしさすがに黙ってブログを削除した事の言い訳ぐらいはしているだろうと思い、しばらくしてから道場ホームページを開くと、消したブログ記事とほぼ同内容のブログをアップし、但し「政教分離」に触れた部分のみを書き換え、タイトルも『青木理は天皇ロボット論者だな』と変えて、再投稿していたのです。
投稿時間を書き換え前のままにし、一部訂正したことにも言及していないことに唖然としました。
まるで、間違った記述がなかったかのように、しれっと再投稿しているのです。
まるで、間違った記述がなかったかのように、しれっと再投稿しているのです。
《青木理はバジョットでも読んで、立憲君主制の勉強をした方がいい。》
イボは自分の認識不足について、イボシンパから指摘されて初めて気づいたのです。そんな奴が他人に「勉強しろ」などとよく言えたものです。
誤字や脱字程度のものならいざ知らず、明らかに誤った情報を流したのならば、それがたとえ短い時間内のことであっても「読者からの指摘で気づいたが、わしは政教分離について誤解していたようだ。申し訳ない。わしは謝ったら死ぬ病ではないので、このように間違いがあれば素直に謝った上で訂正する。わしはミスもする天才じゃい。こそこそと訂正して、そのことを黙っているようなカスとは違うんじゃい」とアナウンスした上で、ブログを再投稿するものでしょう。
しかしイボナメクジにはそれが出来ません。
何故ならそのミスが余りにも致命的な無知蒙昧を晒すミスだからです。
それは私の妻に対するデマを撒いたことを認めずにダンマリを決め込んでいることと同じです。
彼のミスやデマは謝って済むレベルのものではないのです。
しかしイボナメクジにはそれが出来ません。
何故ならそのミスが余りにも致命的な無知蒙昧を晒すミスだからです。
それは私の妻に対するデマを撒いたことを認めずにダンマリを決め込んでいることと同じです。
彼のミスやデマは謝って済むレベルのものではないのです。
同じ号のコメント欄で、私のこの指摘についてムタ煮込みうどん(仮名)が噛みついているのですが、《「勝手にブログの題名を削除しやがったぞ!」とかほとんどイチャモンレベルでしょう。》とかほとんどイチャモンレベルの言いがかりであります。
イボナメクジがしたことは単にブログタイトルを変えただけのことでもなければ、誤字脱字を直す程度のことでもなく、その意味がまるで違ってくる部分を修正したのです。
であるならば、間違いを認め、修正した理由を記すのが物書きとしての最低限のモラルでしょう。
そのことについてイボナメクジ自身がかつて妹尾河童を批判していた筈です。
さて、更に驚くべき事実を言いましょう。
それは青木理氏のサンデーモーニングでの発言についてです。
イボナメクジがブログで難癖をつけたヤツです。
それは青木理氏のサンデーモーニングでの発言についてです。
イボナメクジがブログで難癖をつけたヤツです。
私はネット上にあがっていたその青木理氏の動画を観て、「またか」と思いました。
青木理氏の発言はイボナメクジがブログで紹介していた内容とはまるで正反対の意味を持つものだったのです。
青木理氏の発言はイボナメクジがブログで紹介していた内容とはまるで正反対の意味を持つものだったのです。
ブログ冒頭で書いたことを再度書かせていただきます。
「自分の言葉を他人に伝えることよりも他人の言葉を自分が理解しようとすることの方が大事である」
今のイボナメクジには他人の言葉を正確に理解する知性がまるでないようです。
マジでドン引きするレベルに達しています。
しかしイボナメクジ界隈の連中は馬鹿と狂人と差別者しかいない上、イボナメクジの言葉しか耳に入らないので、その事実に気づきません。
「自分の言葉を他人に伝えることよりも他人の言葉を自分が理解しようとすることの方が大事である」
今のイボナメクジには他人の言葉を正確に理解する知性がまるでないようです。
マジでドン引きするレベルに達しています。
しかしイボナメクジ界隈の連中は馬鹿と狂人と差別者しかいない上、イボナメクジの言葉しか耳に入らないので、その事実に気づきません。
このことについて、当方のブログのコメント欄に私とまったく同意見のコメントを送信してくれた方がおりました。
《まるで百田尚樹の「日本国紀」のように間違ったことを隠してしれっと改変したイボナメクジのブログ(https://www.gosen-dojo.com/blog/20607/)ですが、その内容も酷すぎますね。
イボ取り爺さんってば、コメントの内容を理解できなくて「政治性を帯びさせてはいけない」というフレーズだけに噛み付いてますね。
言論人を自称する人が、この程度のことも読み取れないってやばくないですか。
ヘドロやバタ子ら周囲も気づかないのか、気づいてても何も言えないのか、いずれにしてもやばくないですか(笑)》(酢鴨さん)
言論人を自称する人が、この程度のことも読み取れないってやばくないですか。
ヘドロやバタ子ら周囲も気づかないのか、気づいてても何も言えないのか、いずれにしてもやばくないですか(笑)》(酢鴨さん)
果たして、イボナメクジは陛下の会見での発言をしかと拝聴したのか、私は甚だ疑問です。
陛下のお言葉は、イボナメクジの妄言とことごとく正反対であるということはまともな知性があれば理解出来ます。
イボナメクジがよく口にする「逆賊」とはまさに自己紹介になっていることにイボ自身もう気が付いているのではないでしょうか?
陛下のお言葉は、イボナメクジの妄言とことごとく正反対であるということはまともな知性があれば理解出来ます。
イボナメクジがよく口にする「逆賊」とはまさに自己紹介になっていることにイボ自身もう気が付いているのではないでしょうか?
陛下の誕生日会見を観たイボナメクジの感想に違和感を覚えたのは私だけでしょうか?
《陛下の声をふるわせながらのお言葉を聴くとなんとも辛い気持ちになる》とイボは言います。
私も会見を拝見しましたが、辛い気持ちどころか、むしろ感動的であると感じました。
私も会見を拝見しましたが、辛い気持ちどころか、むしろ感動的であると感じました。
では何故イボナメクジは辛い気持ちになったのでしょうか。
答えは以下のブログにあります。
答えは以下のブログにあります。
《沢田研二が哀れだ。全盛期の美しさ、カッコよさを知ってるだけに、老いの残酷さを見せつけられる。》
《あれほど容貌が老いてしまったら、わしは人前には出て行かない。》
《あれほど容貌が老いてしまったら、わしは人前には出て行かない。》
ことほど左様にイボナメクジの老いに対する嫌悪感はハンパではありません。
天皇という立場上、私的な感情を表に出すことも憚られていた陛下が最期の誕生日会見で感極まることの何が辛いのでしょうか。イボナメクジにしたら、老いの残酷さを見せつけられたとでも思ったのでしょう。
何しろ、イボナメクジは自身が勃起不全である事実を認められなくて、右往左往し、世間に向けては未だに自分は現役であるかのように嘯くという醜態を晒しているのです。
彼はアンチエイジング批判などを散々しておりましたが、それはいわゆる近親憎悪だったのでしょう。
イボは既に勃起不全であることが自明になった今でも虚勢を張り続け、ホステスの営業トークに騙されて、「わしのアソコをステキと言って自信を回復させてくれたはる~」と有頂天になるような阿呆です。
《わしの下腹部はグロテスクな傷あとが残ったからもうダメだとボヤいたら、泉美さんが「ステキ」とか言ったので、のけぞった。泉美さんはああいうときの反射神経が凄くて、瞬時に男の自信を回復させてくれる。サービス精神が凄い。》
そりゃ本来は感動的な会見すら辛く見えるのもむべなるかなです。
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