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速読と知ったかぶりのイボしぐさ

偉大なるイボ舐め先生ぴゃんは知らぬ間に速読術というスキルを体得していたそうです。
決して流し読みなどではなく、速読をしたと強弁しております。
流し読み、拾い読みでは正確な理解を得ることは不可能ですが、人智を超えた速読をマスターしている神の目を持つ男イボナメクジ先生ならば、500ページ強ある学術書をテレビの歌番組を流し見する片手間で読破出来るのです。
聖徳太子も裸足で逃げ出す神技を持つイボナメクジ先生は世界びっくり人間に認定すべきでしょう。

大人の読解力も圧倒的に落ちている。ツイッターの文字数くらいしか読めないのだろうし、何しろ言論人の中にまで、読解力のなさが甚だしい者がいる。》

イボシンパであるイボ道場門下生どもは上のリンク先にあるレイナーなる人物の研究結果などに惑わされてはなりません。
偉大なるイボナメクジ先生が速読術を身につけたと強弁しているのですから、イボ舐め門下生はそれを信じるべきです!
速読は理解力を低下させるなどという説を信じてはいけません。
実際にイボナメクジは誤読を繰り返し、テレビのコメンテーターの発言さえ正反対の意味に理解してクレームをつけるぐらいで、まさにレイナーの説を自ら立証しているわけですが、門下生はそんなことを指摘してはなりません。

それにしても紅白歌合戦を観ている片手間で学術書を読破出来る技術を体得しているというのに、何故に年末年始の休みの時だけその能力を発揮するのでしょうか。
普段から呑気にテレビドラマを眺めている暇があるのですから、その時もまた得意の速読をしてみせりゃ、幾らでも本を読むことが出来るのではないでしょうか?
そうすれば、わざわざ国語力が極端に低いドロヘドロなどに資料をまとめさせたりする必要もなくなり、マヌケなドロヘドロが誤読したまま作成した資料を元にしたばかりに恥をかくなどということもなくなりますのに不思議です。

速読マスターでお馴染みのイボナメクジ代表師範の正月休みは読書漬けであるらしく、昨年の正月は本を完読する度にいちいちブログで報告していたというのに、私がそのことをイジった為なのか、今年は完読自慢を一切しませんでした。
さみしいことでございます。

去年の正月にブログへ記した読書感想というのが、何だかフワッとした内容で、「そんなんだったら読んでなくても書けますがな」と思わずツッコミを入れたくなる人もいるかもしれませんが、他人の速読術を疑ってはいけませんよ。

何しろ速読王のイボ爺さんは分厚い学術書を熟読しながら紅白歌合戦を観て、米津玄師やMISIAの歌唱力に魂を震撼させるほど感動し、ユーミンとサザンを見て感慨にふけっていられるほどの聖徳太子ぶりを発揮したというのです。
少しの空いた時間さえあれば、何冊でも大著を読破する能力があるのでしょう。
ただいかんせん彼には国語力が足りないので、陳腐な感想文しか書けないことを責めちゃ酷でしょう。
そう、イボナメクジには圧倒的に国語力がありません。
自分の気持ちを伝える力もなければ他人の文章を読み取る力もまるでないのですから、いくら読書量を誇ってみせたところで、内容を正確に理解することが出来ないのです。
道場の代表がそんな体たらくなのですから、そこに集う連中に国語力がないのは当たり前の話なのかもしれません。

それこそ「すべからく」を「すべて」という意味で誤用する粉飾人間のように「昏倒」と「傾倒」の違いもわからず、単純に「入れ込む」といえばいいところを画数の多い熟語を使えば頭良さげに見られるかもという馬鹿丸出しの打算を働かせて逆に大恥をかいた尻穴男はいかにも道場支持者らしいマヌケさです。

しかし道場の白髪聖母苔ナビは尻穴男を笑うことが出来ません。
何しろ苔ナビはかつて教職に就いていたというのに「タタル」と「アガメル」は同じ漢字を使いながら意味が正反対であると、したり顔をして言い、「偉大なるイボナメクジ先生から気づきを得て、先生の反応者として期待に応えていた筈がいつしかそれがおもねりとなり、しまいには先生にあやかるだけになり、そうするとアガメていた気持ちと表裏一体のタタル気持ちが増幅されるようになってしまうのですから気をつけましょう」などと上手いこと言ったつもりで、ちんぷんかんぷんなタワゴトを述べるのでした。
その意味不明な説明についてマヌケな門下生たちは「言葉の意味はよく分からんがとにかく凄い自信だ」と思考停止して苔ナビにひれ伏すのですから、まともな神経をした人がついていけなくなるのは当然です。

ちなみに「祟る」と「崇める」はまったく別の漢字です。
それを壇ミッツさんに指摘された苔ナビは少し狼狽しながらも老眼のせいにして誤魔化そうとしたらしいです。
しかし常識的に考えれば、タタルとアガメルはまったく意味が異なるのですから、それに同じ字を当てるわけがないとすぐに分かりそうなものでしょう。
まさにそれは国語力の問題です。

さて、このようにイボ道場の門下生の古参であり、聖母である苔ナビと門下生の最底辺を這いずる尻穴屋は国語力がまるでないというところでは一致しております。

苔ナビにしろ、尻穴屋にしろ、国語力がない人ほど何故か自分の文章に自信を持っているのもあるあるです。
そもそも、以前に書いたことをひっくり返して、あれは本気じゃなかっただの冗談で書いたことだの馬鹿を釣る為にあえて逆のことを言っただのという言い訳ほど見苦しいものはないのですが、学習能力がないので、イボナメクジやその支持者はそれを何度となく繰り返します。
自分の国語力がないことを認めたくなくて、言い訳に言い訳を重ね続けるのです。
相手に対して「読解力がない」とさえ言っておけば、今の自分のまま変わらずにいて良く、文章力を上げる努力をする必要がなくて済みます。


一応書いておきますが、言葉を間違えてしまうことって誰にでもあるものですよね。例えば「傾倒」を「昏倒」と思い込んだまま使い続けるとか。

その間違いを指摘された時にどのような態度に出るかで、その人の人間性って分かりますよね。
たとえばドロヘドロ師範代はブログにて紹介した作家の名前が間違っていることをツイッター上で指摘されたら、黙って訂正し、その指摘した者に礼を述べるどころか逆にブロックするのでした。
ちなみにドロヘドロ理論ではツイッター上でのブロックは遁走ということらしいです。


我らがイボナメクジ先生はといいますと、ドロヘドロ方式を採用し、更にその上を行くデタラメぶりです。
一度公開したブログの内容を何の弁明もなく黙って訂正してみせるのです。
誤変換や脱字程度のものならば、それを修正して再アップする時にいちいち断りを入れる必要はないでしょうが、明らかに誤った情報を流したのならば、それは黙って削除すれば済む問題ではありませんし、まったく意味の違う言葉に修正したのならば、何故直したのかを説明するのが誠実な態度でしょう。
しかし、イボナメクジはまるで誤変換や脱字などを直すのと同じ感覚で、文章の意味がまるで変わってくるような修正を何の説明もなく、何度もしてみせるのです。

間違いも勃起不全も認めないイボ


以前、言い訳として「ブログはギャラが入る文章ではない」から自由に書かせろと言い、更に「一気に書くから、正確ではない部分もあるだろう」が「ギャラももらわずに責任あるブログなんて書けるかよ!」と開き直っておりました。

ブログくらい無責任に書かせてほしい。タダなんだから! ギャラももらわずに責任あるブログなんて書けるかよ!》

これ自体ムチャクチャな言い分で、ギャラを貰わなければネット上でどんなデマを撒いても良いということになります。
さすがはデマ屋イボナメクジです。
しかし、彼は課金制のブロマガの文章さえも黙って修正しております。




その修正を些細な訂正であると言い逃れするつもりならば、今後は他人が同じように黙って間違いを修正していても批判してはならない筈でしょう。
しかし、彼らは平然とそれをするのです。

最近もドロヘドロが「最前衛」は「最前線」の間違いなのではないかと古谷氏へ難癖をつけていました。
しかもそれが頓珍漢な言いがかりであった事に気付いたのか、その難癖も途中から黙って引っ込めてしまいました。
また古谷氏の過去の発言を持ち出して来て、今と言っていることが正反対だと文句を言っているようです。
おやおや、《いくら人の過去の発言を一生懸命になって探して来て、現在と言ってることが違うと指摘したところで、そんなことは全く無意味だ。なぜなら、真理とは、常に更新していかなければ到達できないものだからである。》とギャラを貰っているブロマガで過去にこのように発言していたのは誰だったでしょうか?

このツッコミに対しても、「過去の発言を探して来る馬鹿」と返すのでしょうか?
それじゃあ、世の中で議論というものが成り立たなくなりますね。なるほど、それがイボナメクジのおっしゃる公論というものなのでしょう。

最後に、イボナメクジ先生はSF(すこしふしぎ)な知性をお持ちのようで、韓国軍が自衛隊へレーザー兵器を撃ってきたと思い込んでいたようですね。
しかし、そのことを振り切れた馬鹿ヘドロに指摘されたのか、百田尚樹ばりにまたまた黙って訂正しておりました。
知らないことをあんまり知ったかぶりするものじゃありませんね。

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この記事へのコメント

  • ケンシロウ

    ライジングコメント欄を見ていても何か同じ様な意見が多いなあという感じでした
    2020年02月24日 20:34