「愛という名の支配」是非、御一読をお勧めします。
その危惧は、少なくとも20年前に終わってる無意味で非建設的議論である事が、とても平易な文章で、詳らかに示されてますので。》

エキノコックスの今回のブログ記事は女性だからフェミニストが論じる内容を理解出来るわけでもなく、男性だからといってフェミニズムに批判的であるわけではないということがよく分かる例を示してくれました。
おそらくは「男のわしが書くよりも女の君が書いてくれた方が説得力があるから頼むよ」と、どこかのナメクジにお願いされて書いたブログなのでしょうが、女性が女性叩きをしたところで、それが何の論理性もなければただ「名誉男性」と呼ばれる行為にしかなりません。
一応断っておきますが、私はフェミニズムへの理解が深いわけではありません。
否定するにしろ肯定するにしろ、理解が足りなければそれを安易に判断してはいけないと思うから少しずつではありますが、本などを読んで勉強しているだけの話です。
論文の内容を故意に誤読してみせるエキノコックス師範でありますが、この寄生虫は道場の連中の気持ち悪い投稿を読むと気が狂いそうになると言って、せめてまともな人と繋がっていたいと壇ミッツさんと個人的にメール交換をしたということは以前にも話したと思います。
二人は展覧会などに共に出かけるほど仲良くなっていたそうなので友人関係にあったといって差し支えないでしょう。
その友人がイボナメクジの手によって、あのようなことをされていたと知っても、まったく知らん顔をしているエキノコックス師範に私は戦慄します。
シェラトン都ホテルでの性的奉仕の強要のあとの展開、イボによる性暴力の発覚を恐れてこっそり門弟登録を抹消し、道場メーリングリストで告発出来ないようにし、あとはアンチに堕したから追放したとデマを流して処理した事実について、エキノコックス師範は承知しています。
エキノコックス師範にしても、その頃にはイボナメクジの意見に寄り添うあまり、壇ミッツさんから距離を置こうと考えていたから、彼女への破門処分は都合が良かったのでしょう。
そういえば、エキノコックス師範は私が壇ミッツさんのことをブログにあげた途端に意味深なブログ記事を書きました。
《男は愛する女のはじめての男であることを願い、女は愛する男の最後の女になることを望むものだ、と。19世紀の男女観に共感するとは思わなかった。》
《ちなみに、結婚などしてしまうと財産なんかの損得問題によって「最後」の持つ意味合いが失われてしまうので、願望のなかにあるのは、あくまでも「最後の恋人」だ。》
《女は男に自己を捧げるが、捧げたものをあとから小出しで取り返したがるのもまた女だ、というセリフに笑ってしまった。》
タイミング的に考えて、これは声を挙げた壇ミッツさんへの嫌味であることは間違いないでしょう。
曰く、《好きになった人の、最後の女になりたいという願望を持つようになった》そうです。
まるで「私ならイボ舐め先生が勃たなくても最後まで添い遂げます」と壇ミッツさんにマウントを取りに行っているかのような発言です。
エキノコックス師範にとっての友人関係とはそういうものなのでしょうか。
だからパンダーウーマン師範とも上辺だけでは仲睦まじく振舞っていますが、そのさまはまるでイボナメクジの腕を引っ張り合っているように見えるのでしょう。
イボナメクジがあまりにもエキノコックスを贔屓にするものだから、近年のパンダーウーマン師範はまるでエキノコックス師範をトレースしたような文章を書くようになっていて滑稽です。
そんなわけですから、壇ミッツさんがいなくなったことはエキノコックス師範にとっては邪魔者が減ってチャンスが増えたとしか思っていなかったのでしょう。
だからこそ、イボナメクジの壇ミッツさんへの所業を知ったところで、笑いこそすれ怒りを覚えるということはないのです。
そんな人がよく伊藤詩織さんに気遣うふりをして山口敬之を非難出来るものですね。
山口敬之とイボナメクジにほとんど違いなどないではないですか。
この記事へのコメント
ねこふとし
平然と梯子外し
名誉男子
云々
ここは安倍政権の縮図か?
イボ道場