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イボ忖度のイボ支え

イボ笹恵ことパンダーウーマンは月刊「Hanada」の安倍批判記事についての揶揄をブログにあげています。

もっとも「人柄を支持してきた」という時点で、 人を見る目、政治家を見る基準が何か違うような気がするけども。》

自分たちと同じ主張をしているのだから素直に褒めて共闘を呼びかければ良いのに、イボ忖度で余計なブログをあげてしまいました。
そんなことをしてイボナメクジがもし今回の月刊「Hanada」を大絶賛したらどうするのでしょうか。
そんな心配はご無用で、得意の手のひら返しブログを書いて平然と放屁して揶揄したのを無かったことにするのでしょうね。

自分たちもかつては安倍晋三を支持していたのだから、百田や門田などが安倍批判を始めたことを「かえって驚いた」などと言って吃驚することはないでしょう。
それと政治家の「人柄」を評価の対象にしているのはイボナメクジやイボ門徒も同じ筈ですが、イボ笹恵はお仲間のその態度に違和感を表明しましたか?

石破茂氏とわしは、これまでに何度も対談してきて、人柄の良さと、丁寧に論理的に説明しようとするその誠実さには、いつも好感を持っています。》

イボ笹恵はフェミニズムがお嫌いなご様子で、田嶋陽子の著作について「いやいやいや、そこ違うから!」と思わずツッコミを入れたくなる斜め読みをして批判していますが、それもこれも偉大なるイボナメクジ先生への忖度の賜物なのでしょう。

彼女が本書から読み取ったのが 元兵士たちの女性蔑視感情だけだったというなら、 なんと貧困な読解力かと言わざるを得ない。 第一、差別を憎むなら、日本軍兵士の蔑視感情より イギリス女の日本人に対する差別を怒らなきゃ筋が通らない。》

イボ笹恵はイボナメクジの為ならば、自分の考えを平気で180度変えてしまう奴であり、そんな奴からしたらフェミニズムは耳障りでしかないのでしょう。

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↑リンク先のブログには《上司や先輩や親に、なかなかNOと言えない。 そんなことはままある。 仕事を干されるかもしれない、 厳しい職場環境に追い込まれるかもしれない、 帰る場所を失うかもしれない、 ほかの家族が苦しむかもしれない、 私さえ我慢すれば・・・》とありますが、壇ミッツさんへのメールには以下のように書いています。

《被害女性が公憤を感じているならば、次官のみならず怒りの矛先はセクハラを揉み消そうとした上司や会社にも向かっていなければならない筈です。が、そのあたりはどうなのでしょうか。》
《自分がセクハラを受けてこれを訴えたいと思ったなら、私は実名でやるでしょう。》

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更にブログには《性暴力だって、そうした上下関係の中で 生まれてくる。 「NOと言えないほうが悪い」のではなく、 立場を利用して何かを強要、強制 するほうが悪いのだ。》《少なくとも、被害に遭った女性の心理状態が 十分に考慮されないのはおかしい。 》と書いていますが、以前に書いていたように、何故、被害者に対して、「それはモテ自慢に過ぎない」と言わないのでしょうか?

これってセクハラ? いいえ。全部わたしのモテ話です。海軍式に言えば、MMK(モテてモテて困る)です。最近とんと浮いた話がないのが残念です。》

このような認識のイボ笹恵は次の記事についても「それってセクハラ? いいえ、全部モテ話です!」と言って鼻で笑うことでしょう。


このクロ現の記事を読んでも、イボ道場は「実名顔出ししていない証言は信用ならん。伊藤詩織氏のあの勇気を見ろ!」などと説教を飛ばすのでしょうね。

そんなイボ連中には次に紹介するスカーレット・ヨハンソンの言葉も心に届かないことでしょう。
彼女の演説はまさにイボが性的搾取をした壇ミッツさん(仮名)の被害に当てはまるのですから聞きたくもないかもしれません。

私が19歳の頃、嫌だといえる方法を知らない若い女性であったことや、自分の価値を理解していない若い女性であったことにつけこんできた男性たちを覚えています。力関係が片方(男性側)に非常に傾いている関係性は、私生活でも、キャリアの場でも多く経験してきました。
 
その中で私は、気がねなく一緒に過ごせる“めんどくさくない女の子(※)”だという物語を作り出さなくてはいけませんでした。それは、時には自分が正しいと思うことを妥協しなくてはいけないということでした。そして(当時は)自分自身にもそれが大丈夫なことに思えていました。相手が意図的だったかどうかは別として、自分の意見を妥協し、自分自身を見えなくし、劣っている者としていたんです。女性が習慣として必要としてしまっている、承認を得るために。
 
これは、自分のクリエイティブな価値や、プロとしての価値、そして性的な価値が、ただひとつ、男性からの承認や欲求によってだけ決まるという、非常に多くの若い女性たちも経験している感情によるものです。たとえ私が、自分自身に敬意を払うことが1番重要だという会話がされるような家庭出身だったとしても、女性でいるということだけで、私には不利なのです。なぜなら何世紀もの間、女性は礼儀正しく、感謝し、男性に合わせなくてはいけないと教えられてきたのですから。
 
最近、自分の人生に新しい言葉を取り入れたので、ここにいる方々と是非シェアしたいです。『もう媚びない』。自分に正しいことが起こっていないと感じる時に、それが他人の感情を傷つけるからといって罪悪感を感じるのは止めましょう》



イボ笹恵は自分のやっていることがいかに腐り切っているか内省すべきです。
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説明スカーレット・ヨハンソン


この記事へのコメント

  • ただの女性蔑視だな
    2020年03月07日 09:28