《とーほくどーさんのよしりん漫画との出会い話は爆笑! アンチに対する批評はよーしゃなし! でもホントだからしょーがない。そして、東北でゴー宣道場をやることの意義と意気込み!》
子供の頃にコロコロコミックやテレビアニメでイボ作品に触れてきたドートク王さんが、イボナメクジの説く公共心や修身論に感銘を受けたのかどうかは定かではありませんが、明らかに目の前で不正義が行われているのに見て見ぬ振りすることなんて出来ない人なのでしょう。
間違っていることに対しては同調圧力には屈せずに否と言える強い個がなければならない。
イボマンガを読んで、そのような強い気持ち強い愛が育まれていたのかもしれません。
このエビチリさんの投稿を読んだドートク王さんは心がざわついたのでしょう。
「何かがおかしいぞ?」
そのように疑問を持たれたのかもしれません。
ドートク王さんはドロヘドロの投稿の疑問点を2点挙げました。
《①エビチリさんが密告者だというのは状況証拠と周囲の証言以外の確たる証拠はないという事でしょうか?》
《②仮にエビチリさんが無実で自殺でもした場合、それでも構わないと考えるほどの確信を時浦さん及び最終責任者の小林先生はお持ちということでしょうか?》
これは当然の疑問であり、運営側はこれに答える義務があるでしょう。
このドートク王さんの投稿を見て、処刑を前にしたエビチリさんは縋る思いで絶叫しました。
「私が犯人ではないので、私を破門にしても問題行為は止まらないと思います」と。
まるで筋肉少女帯の「これでいいのだ」の歌詞にあるような不条理な展開です。
このエビチリさんの悲痛な叫び声に対し、真の東北設営隊長(当時)のセンテンススプリング春子が次のように冷たくあしらいました。
何の根拠もなく、ただ「信じている」から判断を委ねるというのは盲信であり狂信です。
その態度を恥じることもなく、逆に誇らしげにしているさまはカルト信者のようであると言っても言い過ぎではないでしょう。
さて、ドートク王さんの疑義に対してドロヘドロは何と答えたかというと、それは前出済みではありますが、《今、状況証拠を列挙していますが、本当に説明責任を果たしていいものでしょうか?》と投稿しました。
まともな証拠はないのですから説明することなど不可能であり、それが分かっているから質問に質問で返して、なんとか誤魔化そうと必死です。
この会話が成り立たないアホであるドロヘドロの問いかけに、ドートク王さんはまったく忖度することなく、《正直現状だとエビチリさんが漏洩者だと指弾されている根拠がわからないです。》と率直な気持ちを込めて返信し、再度説明を求めました。
このドートク王さんの毅然とした態度を見て、「わしの決定に逆らうとは許せん」とばかりにムカついたイボナメクジはすぐに憤慨しながらも自分だけは高潔な人格者を装うブログをあげるのでした。
《「ゴー宣道場」の場合は、人を必要以上に貶めたりすることは武士の情けでひかえる。「説明責任」が個人の人格を否定するようなことになる場合もある。「説明責任」原理主義はダメだ。辞めた人の人格も守るくらいの感覚でいこう。》
本当に言葉を失うぐらいに卑劣なナメクジです。
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ケンシロウ