《子供達のために声を上げるのは大人の責任だと思います。できるところから、声を上げていきましょう。》
イボやヘドロや道場の連中が「科学的な論理」では分が悪いと気付き始めたようで、いよいよ子供をダシにしてイビツな主張をゴリ押しして来ました。
まさに末期症状です。
そういえば、このやり口は以前見たことがあるなと思ったら糸井重里でした。
糸井重里が福島の原発の事故現場にわざわざ子供たちを連れて行って安全アピールをしていましたが、それを彷彿とさせます。
自分の意見を通す為に子供をダシに使う連中は信用ならないし、疑ってかかるぐらいの感覚は持っておきたいものだとつくづく思います。
そのことに関連したコメントをいただきましたので紹介します。
《今の若者や子供は、変な親の影響を受けたりネットで見た珍妙な主張をきっかけに迷い込んだりしたごく少数の仔羊さんを除いて、イボりんの漫画なんか読まないし、イボ道場にも参加しないし、そもそも小林よしのりという漫画家を知りませんよ。
だってイボりん、少年誌にも青年誌にも連載していませんよね。イボりんが表紙に名前も書かれずひっそりと連載しているのは40代以上のおっさんがグラビアや袋とじを目当てに買う雑誌ではないですか。
イボりんの漫画は、水着のお姉さんのグラビアのオマケですよwww
若者に対する責任感など抱かなくてもいいんですよ〜。
若者はイボりんに期待も要求も応援もしていません。っていうか知りませんwww
それより、早期に大規模にPCR検査を実施して軽症者や無症状者を隔離していれば今の感染拡大は防げたし、今保健所に相談して門前払いや待ちぼうけを食わされている多くの人も、検査を受けて陰性であれば長期間の自宅待機を強いられることもありません。
イボりんが本当に若者に申し訳ないと思うなら、本当に医師免許を保持しているか疑わしい村中璃子や、月刊hanadaの常連執筆者である木村もりよと一緒なって検査不要論や集団免疫論を主張していることを反省しなきゃダメですよ。
ところで、軽症者や無症状の感染者を強制的に隔離するための法整備をすべきという恐るべきコロナ・ファシズムを唱える議員さんがいますよね。
香港のことをどうこう言っている場合ではないですよ。
日本でナチス顔負けの強制隔離政策を唱える政治家を野放しにしていていいんですか?
それからイボりん、本を何十冊読んだとかは自慢になりませんよ。目線が文字の上を通過したというだけなら読んだうちに入らないし、何千冊の本を読んでも、言っていることがトンチンカンなら素人以下のカスです。
日本でナチス顔負けの強制隔離政策を唱える政治家を野放しにしていていいんですか?
それからイボりん、本を何十冊読んだとかは自慢になりませんよ。目線が文字の上を通過したというだけなら読んだうちに入らないし、何千冊の本を読んでも、言っていることがトンチンカンなら素人以下のカスです。
竹田恒泰が皇室関連の本を自分より多く読んでいたら負けを認めるんでしょうか?
だいたい、七人の侍の結末を「野武士を倒した侍たちだが、百姓に疎まれ村を追われる」なんて漫画に書いてしまう人ですから、読んでいない本を読んだと言い、観ていないか観たけど中身を憶えてもいない映画を観たと言っているのは明らかです。
だいたい、七人の侍の結末を「野武士を倒した侍たちだが、百姓に疎まれ村を追われる」なんて漫画に書いてしまう人ですから、読んでいない本を読んだと言い、観ていないか観たけど中身を憶えてもいない映画を観たと言っているのは明らかです。
イボりんが本を読んでいるかどうか怪しいし、読んでても理解できる知能がないのは、イボ道場内部の人以外には見ていれば分かりますよwww》(匿名希望さん)
この匿名希望さんからの投稿を読んで思い出しましたが、イボナメクジが時折出してくる「七人の侍」のこの結末に私はいつも小首を傾げていました。
思い違いというより、もはや捏造や改竄レベルで、あの作品のテーマを理解していたらおよそそんな勘違いはしないだろうといつも思っていました。
しかし、そういうことを指摘し始めたら枚挙にいとまがなく、その辺は目を塞いでおこうと薄甘い優しさを読み手がしてしまっていたことがいけなかったんだと今では深く反省しております。
家田荘子の『イエローキャブ』に激怒していた時も頓珍漢なキレ方をしていて、本当に読んだのか疑問を覚えた記憶もあります。
しかし、イボナメクジはそのような誤読や誤解を指摘されるや次のような言い逃れをして読者を煙に巻きました。
「事実確認などどーでもいい。わしが選択したエピソードこそが事実」
「さすがにそりゃないだろ!」
当時の私でもさすがにこれには思わずツッコミを入れていましたが、しかしイボナメクジは「ギャグマンガ」の人だからという免罪符があり、読者側もそれを安易に受け入れて、この暴論は一種のギャグであり極論だから真に受けちゃダメダメなど勝手にフォローを入れることで自分の中に芽生えた違和感を封じ込めるのでした。
と学会が、『戦争論』にある記述の矛盾を突いてトンデモ本扱いしていた時も「イボりん先生は沈黙しているのは多忙で小物の相手をしている暇がないからだ。しかしいつかきっちり読者が納得するような反論をしてくれるに違いない」などと好意的解釈でアクロバティックな擁護をしてしまい、その内そのこと自体を忘れて流してしまったのでした。
そう、イボナメクジは都合が悪くなるとダンマリを決め込み、そのことに疑問を感じた読者に対しては「わしは多忙だからチンカスの相手をしているヒマはない!」と大見得を切り、そのまま問題を据え置き状態にし、読者が忘れてしまうことを待つのでした。
これがイボのりズム宣言の黄金パターンです。
近年では道場で 『原発はヤバイ、核兵器は安全』というワードを発していて、その理屈がまったく意味不明であると思いました。
しかし、きっといつか明瞭な説明をしてくれるのだろうと期待していたのですが、その期待は裏切られ、結局その理由を明確に示されることはありませんでした。
イボナメクジが言っていることは奇しくも初期の頃に発した暴言ギャグ「わしが見た 感じた 選択したエピソードこそが事実だからだ!」を実践し続けているだけだったのです。
イボナメクジについては、「デタラメなことを断言している頭脳がファンシーな爺さん」と認識するのが正解であり、そんな変な爺さんが自分の戯言をマンガにしているとして楽しむのがサブカル界隈の人たちのスタンスであり、そのノリ自体は未だにあり、若い世代はそれをイボナメクジではなく、不謹慎YouTuberで消費しているわけです。
イボ爺さんがやっていることは不謹慎YouTuberの後追いになっていて、実に味わい深いですね。
この記事へのコメント
甲府の河童
https://www.gosen-dojo.com/blog/27220/
鷲ヲ氏もブログで指摘することがあるが、イボのりはじめ界隈の人間は、自分らが批判する言説のリンクを提示するなどしてその内容を明らかにすることなく、自分に都合よく解釈した内容を並び立ててイチャモンをつけるだけである。
アシが批判してるのはおそらく以下の記事であろう。
http://blog.shouroku-4th.com/ ※当該記事は2020.07.12「870」
「感染者が出てしまった事、感染してしまった事に腹を立てているのではない
それは現状、いつでも何処でも誰にでも起こり得る事だから
僕が苛付くのは
日本国内で初めて舞台での新型コロナウィルス集団感染が発生した公演主催者が
“体調不良の出演者が居るのを知っていながら上演を強行した”
しかも、何の手も打たずに最終日まで全行程
そして“罹患している可能性が有り、それを分かっていたのに出演し続けている者が居た”と云う事実だ
その上、舞台関係のプロフェッショナルなら今、デリケートになるべき握手やサイン等を全然、気を付けないで平気でしていたと云うじゃないか」
記事を普通に読めば、アシスタントの「ウイルスに感染するのは「悪」じゃない!!」と言うのはただの言いがかりでしかないことがわかるはずである。
イボのりが“七人の侍の結末を「野武士を倒した侍たちだが、百姓に疎まれ村を追われる」と書いていた”というのは鷲ヲ氏の本ブログで初めて知った。「七人の侍」を観たことある者がそのような解釈をするとはにわかに信じがたいが本当か。
いったいどこをどう見ればそのような解釈になるのだろうか。野武士との戦闘によって命を落とした侍たちを、百姓は丁寧に葬り、弔い、涙を流していたではないか。最後に村を去るときに、志村喬が演じる勘兵衛は「勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない」と言うが、まさかその台詞からそのような解釈をしたのだろうか。
以上の事柄だけでも、彼らは他者が言っていることを理解したり、物事の本質を捉えることが不得手だということがわかるであろう。