案の定、艶絹が引用リツイートで、自己正当化していました。
マヌケな鉄砲玉について相手にしても仕方がないからスルーしろとお思いの方もいらっしゃるようですが、やはりデマを放置したままでは忍びないので、いちいち声を上げておこうと思います。
《僕がデマ吐きかどうかという事よりも、事実関係を知る上での大事な要素になるんじゃないですか》
こっちは艶絹のデマを問題視しているのであって、艶絹が告発についての事実関係について誰の言い分を信じようが勝手です。
あくまで問題なのは艶絹がTwitterを使って公然とデマを流布したことであります。
また、艶絹は《嫁さんの名誉が云々言ってますけど、言うほど嫁さんのことも大事にしてなさそう》とツイートし、それについて《事実関係を知る上での大事な要素になる》と主張しているわけですが、私が妻を大事にしているか否かが、どうしてイボナメクジがネット配信で私の妻を誹謗中傷したことと繋がるのでしょうか?
また艶絹は自分が吐いたデマについて《細かな点で間違いはあったのかもしれませんが大筋で間違っては無い》と強弁していますが、どの部分が間違いであったのかの説明をしないまま、大筋は間違っていないと勝手に結論づけています。
デマを指摘されながら何の説明もなく、《大筋で間違っては無いと思うんで、大丈夫》とは奮っています。
そりゃデマを流している側は大丈夫でしょうが、デマを流されている側はたまったものではありません。
まず艶絹は《ファン間での人間関係拗らせた挙げ句、Tシャツ踏みつけた画像上げ》とのデマツイートをしていますが、私はTシャツを踏みつけた画像など上げてはいませんので、悪質な印象操作といって良いでしょう。
続いて《道場側とひと悶着あった末アンチになって》と艶絹はツイートしていますが、私は道場と悶着を起こした事実などありません。
また、艶絹は《そんだけ陰湿な性格ならね、そりゃ嫁はんもふと愛想つかして、ちょっとした出来心のひとつも起こしたんじゃないのかなあ。って思いましたよ。あはは。》となかなかにゲスいツイートをしていましたが、妻が門弟登録をしていた当時はまだ私たちは付き合ってもいませんでした。
そんな事実関係さえ掴んでないマヌケが憶測だけで公共スペースに下衆の勘繰りを披露するのですから呆れます。
最後に《自分がかつてガッチリ信じたはずのものに「裏切られたー」なんつって》と断言していますが、私はイボナメクジに対して「裏切られたー」などと言っていませんし、そのような主張もしていません。
これだけデマを並べておいて、どこが《大筋で間違っては無い》のでしょうか。
このデマを放置することはイボ界隈名物の言ったもん勝ちを許してしまうことになります。
やはりデマに対しては毅然とした態度で言挙げしておかねばなりません。
さて、では過去のアメブロ記事の再録(改訂版)をどうぞ。
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これまで私の妻はイボ道場について批判したことはありませんでした。
そんな妻に対し、道場の御大将イボナメクジは悪質なイメージ操作をして中傷したのですが、それは何故なのでしょうか?
それは私が当ブログにおいて道場界隈及びイボナメクジ大明神を批判したからなのでしょうか?
それ以外に理由が見つかりませんので、そうなのでしょう。
イボ道場を批判しているのは私個人であって妻ではありません。
しかし、自称天才のイボナメクジは批判者の身内を撃てとばかりに私の妻に対して最低最悪のデマを流して中傷してきたのです。
身内を人質にすれば、自分に対する批判をやめるとでも思ったのでしょうか。
やめるわきゃありません。
むしろ、自らの心に「ガンガンいこうぜ」と命令を下します。
私の愛する妻を侮辱されて黙っていられるわけがありません。
そもそも公の場で社会批評をしている人はその批評もまた批評されることを受け入れなければならないのではないでしょうか。
エスパー魔美のお父さんもそんなことを言っていたような気がします。
自らの意見への批判に対して気に入らなければ反論するなり罵倒するなりすれば良いと思います。
シカトぶっカマすのだってアリでしょう。
しかしイボナメクジはそうではなく、批判者の身内に対してデマを流して中傷するのです。
さすがは公論大先生です。
卑怯と卑劣が板についています。
私はそんな卑怯者の代表選手であるイボナメクジをかつては支持しておりました。
イボナメクジの著作を熟読し、イボナメクジが主催する道場にも参加したことがあります。まさに黒歴史です。
そのことについて、「かつては熱狂的に支持していたくせに手のひら返しをするのは間違っている」などと愚かなことを言う人が僅かながらいるらしいのですが、一度支持したものは一切撤回出来ず支持し続けなければならないなんてそんな馬鹿な話はありません。
考え方の変化によって、支持するものが変わるのは自然なことです。
それを進化と見るのか退化と見るのかはそれぞれの立場、立ち位置によって違うでしょうが、立場を固定化することはカルト化することと同義でしょう。
たとえば、イボナメクジ率いる道場とて、かつては安倍晋三をゴリ推ししていたではないですか。
稲田朋美などは期待する政治家ランキング1位として持て囃し、次期首相候補とまで持ち上げていた筈です。
安倍晋三も稲田朋美も当時から何一つ変わっておりません。彼らの政治信条は一貫しており、一切変節していないのです。
にも関わらず、イボナメクジ率いる道場は今や彼らを一方的に敵視して罵詈雑言を浴びせかけています。
それについて、私は異論はありません。
自分たちの間違いに気づいたのならば、それまで支持していた誤りを反省する意味でも批判の急先鋒に立つべきだと思います。
私が今、イボナメクジ率いるイボ道場に対している態度と同じです。
それとも政治家と物書きを同列に扱うのは間違っているのでしょうか?
政治家ならばいくら批判しても良いが、物書きの放言は甘受せねばならないなんて無体な言い分はありません。
公に向かって政治発言をした者は有名無名問わず、匿名実名関係なく、発信した内容が評価の対象になるのは当たり前の話なのではないでしょうか。
たとえ、マンガ家だろうと美容整形外科医だろうとテレビの放送作家だろうと上方のお笑い芸人だろうと同じです。
世の中にとって害悪である発言をした者は政治家だろうがマンガ家だろうが同じく非難に晒されるのは当然です。
どんなに社会への影響が少ない奴のヘイトスピーチでもヘイトスピーチはヘイトスピーチです。
そんなカスの妄言などは放っておいても大事ないなどと高を括っていると、知らぬ間に在特会の連中や女性専用車両反対運動の連中のように迷惑な存在がゴキブリのように増殖してしまいます。
だから見つけ次第、叩き潰してゆかねばならないのです。
だから私はイボ道場を批判するのです。
かつて支持した者の責任として小さな声ながら批判の声をあげるのです。
では、私はいつイボ道場と決別したのでしょうか。
公論おじさんことイボナメクジ大師範がニコニコ生放送で言っていたように妻が門弟を破門になったことをキッカケに憎しみを抱くようになったのでしょうか。
そんな馬鹿な言いがかりはありません。
公論おじさんことイボナメクジ大師範は2018年8月21日夜のニコニコ生放送で、妻が門弟を破門になったことに恨みを抱いた私が熱狂的なシンパからアンチに転じたと勝手に決めつけていましたが、その推論は頓珍漢にもほどがあります。
妻が門弟登録を解除されたのは2013年のことです。
一方、私はイボのウェブマガジンのコメント欄へ応援コメントを2016年初頭まで書いています。
この時点でイボナメクジの論理は破綻しております。
では私はいつイボナメクジに愛想を尽かしたのでしょうか。
それについてはこれまで散々説明してきましたが、次回に再録記事を載せることといたしましょう。
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この記事へのコメント
恥ずかシーライオニングな衆道Qooくんへ
君こそ「民主主義が蔓延して何の問題があるのか?」「アイヌが民族として滅びているとしても、アイヌへのヘイトは許されないのでは?」などの質問をスルーして次々とコメントしてるんだよ。
質問されていることすら理解できていないのかな?
140字までの文章しか読めない脳みそなのかな?
シュトック380