《なんと、ちぇぶ自らが会場内でマスクを着用すると宣言した。今はとことん猫かぶって、「倍返し」するという作戦だ。》
《ちぇぶはそれを信じてくれているから、今は全体主義に、猫かぶる作戦に出た。大坂の「おどれら正気か?」では、強制ではないが、マスク着用で来てくれ。ソーシャルディスタンスで、入場者も制限する。体温測定もする。徹底的な感染対策をする。》
コレって、単にイベント会場の要請に従って「法律でもないガイダンスに縛られて」いるだけでしょうに何を意味不明な弁明をしているのでしょうか。
会場からの要請に対して、「猫かぶる」意味がわかりませんし、「倍返し」とは何をしでかすつもりなのでしょうか?
法的拘束力のない取り決めなんかに無理矢理従わせた会場をいつか燃やしてやるとでも言うのですか?
イボの主張を信じているのならば、今こそその主張に沿った行動をとるべきであり、事態が収束してから「あの時マスクを着用していたのは本意ではなかった」などと嘯くのは、戦前は軍部に率先して協力していた奴が敗戦後になって「あれは本意ではなかった。私は内心では一貫して戦争に反対していた」と言うのと同じでしょう。
今この時に「猫かぶる」という行為は《権力に従順な家畜の習性にすぎない」のではないですか?
なにしろイボナメクジは会場のガイダンスに従わずにイベントを強行しようとし、会場となる貸し会議室側から利用を断れたことに腹を立て、イベント前日に会場をキャンセルしておきながら、自分からキャンセルしたわけではないなどと強弁して会場代の返還を要求したというのですから呆れます。
しかもまたしも《赤字になるけど会場の人数制限にも応じて》などと主張していますが、それについては貸し会議室側にはまったく関係ない話でしょう。
貸し会議室とはその名の通り、会議をする会場を提供しているのであり、そこで利用者が商行為をして利益を得たとしてもそこからマージンを取るわけでもないのですから、それを理由に「見逃してくれ」などと言われたとて、「この馬鹿は何を言っているのだ?」と思われるだけで、マナー違反を認めるわけがないでしょう。
私がイボナメクジについての批判をブログに書くことについて、シンパの中では「あいつはアンチだから、イボりん先生の主張になんでも反対しているだけだ」などと言う奴を道場メーリングリストなどでよく見かけますが、はっきり言いますが、私はイボナメクジの政治思想そのものに付き合いきれなくなったことを理由にブログで批判を続けているわけではありません。
政治思想的に合わない人などゴマンといますし、違いがあるからこそ議論や対話が出来るのですから、みんな違ってみんないいでしょう。
しかし、イボナメクジはその政治思想以前に問題があるから批判しているのです。
たとえば伊藤詩織さんの件では、私はイボナメクジと同様に元TBS記者の山口敬之の主張に懐疑的でありますが、だからといってイボが山口を批判することに快哉の声をあげることは出来ません。
何故ならば、イボナメクジは山口を批判する資格がないと思っているからです。
イボナメクジが私の妻や壇ミッツさんにしでかした言動を考えれば、当然のことでしょう。
たとえば今回のコロナ禍にしても、コロナは大した感染症ではないと主張する奴はイボ以外にもいますし、そう主張すること自体は自由であると思っていますが、しかしイボナメクジは「珍コロナ論」を正当化する為に、これまで掲げていたメインテーマをあっさり翻す暴挙に出ました。
先程の貸し会議室の件とも繋がりますが、イボナメクジは最近になって「不文律に法的拘束力はないのだから、そんなものは破ってしまっても何ら問題はない」という主張をし、自分たちが気に入らないマナーなど無視して良いかのような言動を繰り返しています。
こんなものは政治思想以前の問題であり、仮に政治思想的には意見が一致していたとしても支持出来るわけがありません。
政治思想的に意見が一致していない人とも議論や対話を通じて社交することは出来ますが、イボシンパはその「社交」がまったく出来ない異様な連中しかいないのです。
先日来よりツイッター上でイボシンパとやりとりして改めてその思いを強くしました。
私がイボナメクジを批判するのは政治思想以前に問題があるからであり、それによって私は妻を狙い撃ちにされた怒りもあるからこそ、このブログを続けているのです。
以前にも書いたと思いますが、私のブログはあくまで私憤であります。
妻を精神的に追い詰めながらそのことに一切の痛痒を感じていないイボ道場並びにイボシンパへの怒りが持続する限り、このブログは続きます。
どうぞよろしく。

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この記事へのコメント
ずっとゴー宣道場ブログ読んでました
議論を掲げながら会場を説得するでなく、姑息に騙して自分たちの主張を通そうとするから馬鹿にされているのに、またもや猫をかぶるという姑息なことを言い、コロナ論に「かける」とか「信じる」などと言いそれをまた褒めるから、教祖と信者と馬鹿にされるのです。「終了後の個人的行動までは、わしは関知しないから」などというから、信用されないのです。
自分たちは真理を知っているのに愚民共に抑圧されて我慢しているという気で、さぞかし悲劇の主人公気取りで気分がいいことでしょう。
どこまでも自分たちの姿の見えていない馬鹿ばかりです。
遅延ブーさんのすべきことは、イボのコロナ論が本当に正しいと思うなら、自分でそれを補足し会場を説得できる理論を構築して会場と交渉してみせることです。そして集団免疫を全員で獲得しようとしていることを実践してみせることです。そうやって初めて「ああ本気なのだ」とこちらも一目置き、賛同しないまでも見守ろうと思いもするのです。
今猫被ってコロナ論が出たらどうなるというのか、展望を教えて欲しいものです。毎回コロコロと議題の変わる小規模イベントを月1回開催し続けたらいつまでに何が起こるのか、ビジョンを示してもらいたいものです。
優秀だというならそのくらいできるでしょう。
ぜひ道場ブログに遅延ブーさんのビジョンを公開してください。