おそらくイカ草夫はドロヘドロと同タイプで、嫌がらせをすることでしか他人とコミニュケーションがとれない人間なのでしょう。
しかし、それを理解したとしてもその嫌がらせを放置して良い理由にはなりません。
にも関わらず、無能な運営は何の対処もせず、イカ臭い投稿を野放しにしていたのです。
にも関わらず、無能な運営は何の対処もせず、イカ臭い投稿を野放しにしていたのです。
それを見兼ねた私は次のようにかなり厳しい文体で注意をしました。
《「謝罪の作法」と「命を道具と見立てること」について、少しばかり物申したい気分の高まりが燻っている俺。
『謝罪の作法』について「ML参加者の中にミスっても謝罪せんのがおるやろ!! ……ワイや」と、町田康が町蔵時代にライブハウスで使っていた持ちネタを借用しつつ、俺というマザーファッカーが何故に謝罪せんのかを考えてみました。謝罪というのは場の空気を悪くする上に、相手に許しを強要するような気がして好かないんどすえ。
脅迫みたいに感じてしまう俺の精神構造は歪んでいます?
しかし、言葉だけの反省に意味はあるのか?
言葉だけの謝罪に意味はあるのか?
安易に謝罪されると、苦言を呈した方が心の狭い人間であるかのように見える気がします。
謝罪することに意味がないとは思いませんが、相手の言葉をどれだけ理解して謝っているのか疑問があります。
大事なのは、注意されたあと、その後の振る舞い方なのではないでしょうか?
『命を道具に見立てること』について志乃さん(仮名)が投稿された「自分を道具として、己以外の何かに尽くす生き方」について確か以前にパンダーウーマン師範(仮名)がブログで取り上げていたよなぁと掘り起こすと、去年の11月3日付のブログ「旅立つ前に…」にありました。
「私は自分の命を使って、この人生で何が出来るかと考えています」
女性がそのような想い、魂を抱いて生きているというのに、現今の日本男児ときた日には自分が批判された意趣返しにエセヒューマニズムを持ち出して、相手の思想を否定してみせたりするのだから、情けないにもほどがありまんにゃわ。
そんな男には皇后陛下の御言葉も胸には響かないのでしょうね。
『子供達が自分の中にしっかりとした根を持つために、子供達が喜びと想像の強い翼を持つために、子供達が痛みを伴う愛を知るために、そして子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で平和の道具となっていくために。』
普段から声高に皇室を敬愛している、敬慕していると叫ぶ者に限って、天皇皇后両陛下の御言葉に耳を澄ませることがないのです。
志乃さん(仮名)のように、殊更に天皇主義者ぶらない人の方が、両陛下の御言葉を常に意識し、心に根付かせているからこそ、自らを道具として生きてゆくという強い意志を持たれているのでしょうね。
これこそが本物の尊皇心なのだと思います。
さて、この投稿に対して批判や反論はいくらでも受け付けますが、謝罪や反省の言葉はノーサンキューです。
女性がそのような想い、魂を抱いて生きているというのに、現今の日本男児ときた日には自分が批判された意趣返しにエセヒューマニズムを持ち出して、相手の思想を否定してみせたりするのだから、情けないにもほどがありまんにゃわ。
そんな男には皇后陛下の御言葉も胸には響かないのでしょうね。
『子供達が自分の中にしっかりとした根を持つために、子供達が喜びと想像の強い翼を持つために、子供達が痛みを伴う愛を知るために、そして子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で平和の道具となっていくために。』
普段から声高に皇室を敬愛している、敬慕していると叫ぶ者に限って、天皇皇后両陛下の御言葉に耳を澄ませることがないのです。
志乃さん(仮名)のように、殊更に天皇主義者ぶらない人の方が、両陛下の御言葉を常に意識し、心に根付かせているからこそ、自らを道具として生きてゆくという強い意志を持たれているのでしょうね。
これこそが本物の尊皇心なのだと思います。
さて、この投稿に対して批判や反論はいくらでも受け付けますが、謝罪や反省の言葉はノーサンキューです。
「陳謝します」だの「申し訳ありません」だの「精査します」だの「省みます」だの「概念砕きします」だの、クソほどの価値もない言葉など一切受け付けません。
それよりも今後の振る舞い、態度で示してくれや。
謝罪した直後に意趣返ししたり、反省の色もなく同じような投稿を繰り返す奴の言葉など誰が信用すると思っているんだ!?
「誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ」と思わず、ブルハの歌を口ずさんじゃうぜ。
こんな荒くれた言い回しをすると、「お前は何様のつもりだ?」と問われるかもしれませんが、誰もが遠慮したり我慢したりしていることを平気の平左で言ってのけるバカヤロ様であると答えておきましょう。》
それよりも今後の振る舞い、態度で示してくれや。
謝罪した直後に意趣返ししたり、反省の色もなく同じような投稿を繰り返す奴の言葉など誰が信用すると思っているんだ!?
「誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ」と思わず、ブルハの歌を口ずさんじゃうぜ。
こんな荒くれた言い回しをすると、「お前は何様のつもりだ?」と問われるかもしれませんが、誰もが遠慮したり我慢したりしていることを平気の平左で言ってのけるバカヤロ様であると答えておきましょう。》
かなりキツイ言い回しで批判していますが、それほどまでにイカ草夫の異常な連投投稿は酷いものだったのです。
それはイカ草夫がライジングコメント欄を荒らしていた時の投稿を振り返って見てもらえれば理解してもらえると思いますので、その荒らし行為についてもまた後日検証していこうと思います。
ともあれ、この注意は無意味な謝罪を繰り返すイカ草夫だけに向けて書いたものではなく、やたらと謝罪をさせようとするメーリングリストの管理者、つまりはドロヘドロと式波バタ子、更には苔ナビ設営隊長に向けたメッセージでもありました。
謝罪さえすればノーサイドとか幼稚園じゃあるまいし、バカバカしいにもほどがあります。自分の投稿文を批判されると批判した相手へ意趣返しをするだけの奴のみっともなさは目も当てられません。
イボ道場で議論をすると必ずそうなります。
イボ道場で議論をすると必ずそうなります。
当時、私がイカ草夫を批判したところ、それまで黙っていた他の門弟数名が私の抗議に同意する声をあげるのでした。
したところ、運営であるドロヘドロはそのことについて驚きの見解を示しやがりましたのです。
それは「確かにイカ草夫さんの態度にも多少問題はあったかもしれませんが、大勢で一人を責めているのは、まるでイジメのようで気分が良いものではありません」というような内容でありました。
誰が見ても明らかに異常な振る舞いをしている変質者を注意したらイジメ呼ばわりしたのです。
そもそもイカ草夫が異常な投稿を繰り返した段階で運営が適切な対応をとるべきであるのに、それをしないから、したくもない注意をしなければならなかったのに、まるで喧嘩両成敗とでも言うように、注意した側を非難したのです。
それは「確かにイカ草夫さんの態度にも多少問題はあったかもしれませんが、大勢で一人を責めているのは、まるでイジメのようで気分が良いものではありません」というような内容でありました。
誰が見ても明らかに異常な振る舞いをしている変質者を注意したらイジメ呼ばわりしたのです。
そもそもイカ草夫が異常な投稿を繰り返した段階で運営が適切な対応をとるべきであるのに、それをしないから、したくもない注意をしなければならなかったのに、まるで喧嘩両成敗とでも言うように、注意した側を非難したのです。
先に申し上げました通り、ドロヘドロとイカ草夫は同じカテゴリーの人であるのです。だからドロヘドロはイカ草夫の異常性に気づくわけがないのです。
ドロヘドロはライジングコメント欄の気持ち悪い奴らがのすべての負の要素が調合されて出来上がったモンスターです。
そんな彼の言う「常識」や「国語力」が世間に通用するわけがないように、我々の「常識」や「国語力」が彼に通じるわけがないのです。
そのモンスターがライジングコメント欄の管理して、その「常識」に基づいて、異論を削除しているわけです。
今日もまた朝目覚めてすぐにコメント削除に勤しんでいる模様です。
他のコメントと比較して、特に罵詈雑言を書き殴っているわけでもなく、単なる異論に過ぎないものを削除して無いものにするのがイボ道場のスタンスです。
更に削除した上で、そのコメントの内容について、イボやヘドロがせっせと反論ブログを書いているというのですから、そのセコさにはツルピカハゲ丸くんもびっくり仰天して、座り小便を漏らすことでしょう。
まったくもって、素晴らしき哉、常識です。
常識で思い出しましたが、イボ道場には当初、掲示板道場という公式の掲示板がありました。
道場メーリングリストが門弟登録した者だけしか使えないのに対し、こちらは一度でも道場に参加したことがある者は登録さえすれば誰でも投稿することが出来る場所でありました。
2012年の夏頃でしたか、私はそこに参加してみたのですが、すぐに恐怖体験アンビリーバボな目に遭うことになったのです。
まったく見知らぬイボ読者から、生長の家の集会だったか、会合だったかに一緒に参加しないかと勧誘されたのです。
私は生長の家がどのようなものなのかは知りませんが、その手の組織とは関わり合いになるのは真っ平御免でしたので、やんわりとお断り申し上げておりましたのですが、何度も何度も勧誘され、閉口しました。
まったく見知らぬイボ読者から、生長の家の集会だったか、会合だったかに一緒に参加しないかと勧誘されたのです。
私は生長の家がどのようなものなのかは知りませんが、その手の組織とは関わり合いになるのは真っ平御免でしたので、やんわりとお断り申し上げておりましたのですが、何度も何度も勧誘され、閉口しました。
本来ならば、そのような勧誘をする者に対しては運営から注意が入るものでしょうが、常識人のドロヘドロは完全にスルーしたのです。
むしろ、その勧誘を断った私の方が失礼な奴みたいな空気さえ漂っていました。
ちなみに私の妻も門弟になってから道場参加者からアムウェイに誘われたことがあるそうです。
つまりはイボ道場とはそういう所なのです。
ちなみに私の妻も門弟になってから道場参加者からアムウェイに誘われたことがあるそうです。
つまりはイボ道場とはそういう所なのです。
道場では今も本のソムリエなるアヤシゲな奴が出入りしていますし、スピ系の人が多く参加しており、更にイボナメクジがブロガーかさこという自己啓発系の人に本気で対抗意識を燃やしております。
これは決してレッテル貼りではありません。
何故なら実際に生長の家やアムウェイの勧誘を受けたわけですし、本のソムリエもイボに公認されて蠢動している事実があり、イボがかさこへ宣戦布告のブロマガを書いたのも記憶に新しいでしょう。
何故なら実際に生長の家やアムウェイの勧誘を受けたわけですし、本のソムリエもイボに公認されて蠢動している事実があり、イボがかさこへ宣戦布告のブロマガを書いたのも記憶に新しいでしょう。
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