悪魔の証明について短めに。
イボナメクジやエキノコックスが根拠として提示しているデータがいかに自説に都合良く捻じ曲げられたものであるかということをずっブロさんはツイートし続けているにも関わらず、最低辺門下生エセただしはイボとエキノについて《誠実に論証されるお二人方だからこ信用する》(原文ママ)と言い切りました。
その発言について、壇ミッツさんやずっブロさんは「そのデータを信用する根拠を教えてくれ」と求めたところ、エセただしはそれを「悪魔の証明」といって拒否したのです。
なかなかに馬鹿が極まっています。
《悪魔の証明じゃないのだから、『間違っている』と言う方が、理由を述べなけいけないに決まっているじゃありませんか。》
そもそも既にずっブロさんはその根拠を示しているわけで、それについてエセただしが「信頼するイボナメクジ先生のデータを信用する!」という意味のことを繰り返し主張しているのですから、「ならば、そのデータ解説を信じる根拠を示せ」と要求するのは当然の流れであり、そんなものは悪魔の証明でもなんでもありません。
悪魔の証明とは「無い」という事実を証明することは不可能であるという話であり、エセただしはイボの正しさには根拠があると主張しているわけですから、本当にあるのならば証明可能であり、悪魔の証明には当たりません。
それともやはり根拠がないものだから、「無いものは証明できない」ということで、悪魔の証明とか言っちゃっているのでしょうか?
「間違っていないという根拠があるなら、それを示してごらん?」
大意で壇ミッツさんはこのように問うたのに対して、エセただしは「悪魔の証明」などとすっとぼけたことを言ったので、呆れた壇ミッツさんは《誰もそんなこと頼んでないから》と返したところ、その発言を「こちらは根拠を示せなどと要求していない」という意味に捉え、言質をとったと思ったのでしょう。
このミッツ発言をすかさず「イイネ」するエセただしの姑息さはもはや滑稽であります。
このようにエセただしはその発言がすべてデタラメとデマと言い逃れであり、それに誠実に向き合ったずっブロさんにはただただお疲れ様でしたと労う気持ちが湧きます。
このエセただしの振る舞いについて、Twitter上で次のような感想を書いている方がいました。
《Sealioning(シーライオニング)本当は理解する気などないのに、『理解したいので教えて』的な丁寧な姿勢を装いつつ不誠実な質問を繰り返して相手を疲弊による時間の浪費やハラスメント。相手の説明を故意に誤解する。
最近知ったこの言葉。
あるゴー宣読者を彷彿とさせます。》
あくまで誠実に対応したずっブロさんは卑劣な馬鹿の相手は時間の浪費であると心底ウンザリしたことでしょう。
このように正直者が馬鹿を見る状態を放置していて良いのでしょうか。
誠実に向き合う人を疲弊させて喜ぶクズを野放しにしておいて良いのでしょうか。
やはり卑劣なクズは徹底的に追及しなければならないと私は義憤を覚えます。
でありますので、「エセただしなんて最低辺は放っておけ」と仰る方がいるのも分かりますが、私はこのクズの追及を続けたいと思います。
この記事へのコメント
XYZ
理解力が乏しく、社会性もない。
クレーマー、当たり屋ですね。
ローズさん、壇ミッツさんに絡んで行くことで、豪宣村での存在感をアピールしたいんでしょう。
コロナ論を周りに配れる人がいないは頷けます。