《モーニングショーでは、コロナ対策を「国がやるべきだ」「国民まかせにするな」と主張している。わしから見れば、考えられない国家権力依存だ。「個」の弱さが凄い!》
防疫について、行政に対応を求めることの何が「個が弱い」というのでしょうか。
個々人が銘々勝手に対策していては却って混乱を招くから行政に委任して対応を求めているということのどこが「依存」なのでしょう。
前回紹介したコメントにもありましたが、イボナメクジの言っていることは単なるネオリベです。
《自由こそ最高の価値、疫病が蔓延していても誰でも自由に好き勝手にマスクなしで行動すべし、うつすのもうつされるのも自己責任だヒャッハー! というのは、経済分野でいうネオ・リベラリズム的な考えですよ。イボりんや門下生連中はノーマスクの新自由主義者です。》
イボナメクジの言い分を通せば、それこそマスク警察とやらが数多く出現するのも容認せねばならなくなります。
個人がそれぞれ情報を収集して対応するなどとした場合、井戸に毒を撒かれたというデマを信じ込み、竹槍を持って気に入らない者を突き刺す自警団が現れる可能性が大いにあると、ちょっと想像すれば分かりそうなものです。
クラスターデモをやる奴もマスク警察と化す奴も同根で、個人で勝手に対策をとるとそのような混乱が起こるのです。
それを知っているからこそ、人々はガバメントというものを編み出したのではないですか?
防疫対策は行政に任せるのは至極まっとうな意見であり、それを否定する奴は単なるネオリベでしょう。
イボナメクジは竹中平蔵あたりと接吻でもすりゃ良いのではないでしょうか。
《こんなことを、毎日度外れて忙しいわしがやるとは思わなかったが、皇室の存続のために門下生がやるというのなら、わしも「私心」を捨てて協力するしかない。》
イボナメクジはやたらと多忙アピールをしていますが、誰と比べて「忙しい」と言っているのでしょうか?
尾田栄一郎ですか?
高橋留美子ですか?
それとも町工場で休みなく働いている日雇い人夫ですか?
もしかして定年退職して暇を持て余し、行くところもないから昼日中から図書館や映画館に行って居眠りしては奇声を発している御老人と比較して、「忙しいわし」をアピッているのですか?
そして恩着せがましく「協力」などという時点で私心を捨て切れていないのが窺えます。
そもそも「道場」存続の為に何かと理由をつけて門下生とやらは行動しているのであり、その道場はイボにとっての安らぎの場であることを鑑みれば、すべてはイボの私欲を満たす為のものなのですから、イボが私心を捨てられよう筈がありません。
そんな多忙を極める私心しかないイボは場外乱闘という名の飲み会に参加して、有象無象の中高年たちと多忙を極めるおしゃべりをしたそうな。
《場外乱闘で設営隊長だふねさんや関西メンバーと深く深く考えた。》
《国民はもう「女性天皇でいい」と決めているのだから、議論の必要性を感じていないのである。》
どこの国民が「女性天皇でいい」などと決めたのでしょうか。しかも「女性天皇がいい」ではなく、「でいい」などと投げやりに言ってしまえるぐらいに皇室に関心がない国民が決めるなど「民主主義の病い」であり、国民主権的な考え方はイボ道場の「公論」には反するのではないですか?
多数決で決まったことは議論の余地がないとするイボナメクジは金輪際世間の逆張りをするのはやめるべきでしょうが、論理に一貫性がないのは今に始まったことではないので、自分の気にくわない多数決の結果には難癖をつけるつもりなのでしょう。
現にコロナについては逆張りを続けていますしね。
《わしは今まで議論は傍らに刀を置いて、返答次第では抜刀する覚悟でやるべきだと思ってきたので、当然だがディベートというものは大嫌いである。》
この理屈はいかにもイボナメクジらしさ全開で、要するに自分が気に入らない意見を言う奴を亡き者にして排除すれば自分の意見が通ると思っているわけです。
とにかくサムライぶっていればカッコイイなどと思っているようですが、異論を排除したいと告白しているだけです。
討論が嫌いなのは常に言い負かされてきた苦い経験からなのでしょう。
よくイボナメクジは慰安婦問題の時に5対1のハンディキャップマッチの討論で圧勝したなどと吹聴していますが、あの時の相手は市民団体のオッサンやオバハンという言論人でも何でもない活動家に過ぎません。そんな一般人を言い負かせたことをいつまでも誇られても困ります。
《わし一人が「皇室終了派」(決してアンチではない!)で、あとの師範も門下生も、全員が「皇室必要派」になるという手もある。これは単純なディベートではないし、ゲームでもない!》
イボナメクジは本気で皇室を廃止しようなどと考えていない時点で、それは単なる言葉遊びであり、つまらないゲーム、つまりはクソゲーに過ぎません。
そんなくだらない出来レースをやって、「やはり皇室は大切であり、政治家が動かないなら草莽崛起だ! 人間革命だ! サリンを撒いてでも広宣流布だ!」などと結論づけるつもりでしょう。
そうではなく、本気で議論するつもりならば、小谷野敦を皇室廃止派として登壇させ、道場側が迎え撃つというハンディキャップマッチをやれば良いではないですか。
それこそゲームではないスリリングな展開を期待出来るでしょうし、果たして皇室は日本にとって必要か否か明確にすることが出来るでしょう。
しかし、ゴメンゴメン。
天皇論の時にイボは小谷野から遁走したんだったよね。なんだかんだ理由を付けて。
イボナメクジは反論出来なくなると、相手を卑怯者やらストーカーやらとレッテル貼りをして遁走するクセがあり、ひたすら議論から遁走した先にイボ道場という楽園を見つけ出したんですよね。
失敬失敬。
そんなイボの安息の地である道場では、イボの愚論や愚行に異議申し立てをした人が次々に粛清されてゆきました。
2019年春まで門下生を実質的に統括していた〆鯖子(仮名)も「アンチ化した」という濡れ衣を着せられ処断されました。
まずは事の発端について、何度も繰り返しになりますが記しておきます。
イボナメクジは2018年8月にネット番組で唐突に一般人に過ぎない私の妻のデマを流して中傷しました。
私の妻が道場門弟を退会したのが2013年6月ですから、5年も経ってからすでに道場を離れた一般女性について適当なデマをでっち上げ、精神的に追い詰めたのです。
何故、イボナメクジがそのようなデマを流したのかというと、その頃、私が個人ブログにて自分がイボの読者であったことを内省する内容のブログを書いており、それが癇に障ったからであります。
私は名もなきボンクラであり、そんなボンクラが知人しか閲覧していない個人ブログで自身の体験談を書いていただけの、しかもイボナメクジの実名を挙げたわけでもないのでエゴサしたところで見つけられよう筈もないものを見つけ出してブチギレたわけです。
道場に一度でも参加したら最後、イボ秘書とウドちゃん、そして肉ヘドロ夫妻の監視対象となり、道場から離れた後もその監視は続くことがこのことからも証明されています。
私のブログは確かに道場批判とも取れるものでしたが、名指ししていたわけでもなく、あくまで私自身の「思想の変遷」と言えば大袈裟ですが、考え方の変化について見つめ直すことを目的とした極私的なものでした。
無論、世の中に公開している以上、その内容が事実ではないと感じたり、不快に思ったりする人がいれば、反論なり批判なりしてもらっても構わないと思って書いておりました。私のブログについて、〆鯖子は壇ミッツさんとの議論のなかで「(イボナメクジ先生に)かなり粘着質につきまとって批判」していたと言いますが、果たして、個人ブログで私感を述べることが粘着質につきまとっている内に入るのか疑問です。
仮にそうであったとしても壇ミッツさんがご指摘されているように、それを理由に無関係の妻を狙い撃ちして、デマで中傷して良いわけがないのではないでしょうか?
仮にそうであったとしても壇ミッツさんがご指摘されているように、それを理由に無関係の妻を狙い撃ちして、デマで中傷して良いわけがないのではないでしょうか?
いずれにせよ、イボナメクジが私の妻についてのデマを流したことは明白な事実です。イボナメクジ自身がその証拠となる動画を配信したまま垂れ流しにし続けています。
私が個人的に気持ちの整理をつける為に書いていたブログが気に入らなかったのならば、そのことを堂々と批判すれば良いでしょうに、名もなき男の誰も見ていないようなブログの内容にさえ、図星を突かれてぐうの音も出なかったのでしょう。
卑劣なデマでこちらを陥れようと工作してきたのです。
卑劣なデマでこちらを陥れようと工作してきたのです。
これが「事の発端」です。
私の妻について生放送中に名前を挙げていないから許されるわけではありません。
妻と親交のあった道場参加者も気づきましたし、私たちとはほぼ交流のない元参加者でさえ私たち夫婦についてのことだと察したのですから、道場に関わりのあった人たち大勢がすぐに私の妻のことを話していると理解したことでしょう。
内部事情を多少知っている者が誰でも気づくようにしてもっともらしくデマを流す目的は一つしかありません。
動画を観た私が妻に不信感を抱いて、妻を問い詰め、事実無根だと言う妻に殴る蹴るの暴行を働き、挙げ句の果てに離婚してしまうことを企図していたのでしょう。
妻と親交のあった道場参加者も気づきましたし、私たちとはほぼ交流のない元参加者でさえ私たち夫婦についてのことだと察したのですから、道場に関わりのあった人たち大勢がすぐに私の妻のことを話していると理解したことでしょう。
内部事情を多少知っている者が誰でも気づくようにしてもっともらしくデマを流す目的は一つしかありません。
動画を観た私が妻に不信感を抱いて、妻を問い詰め、事実無根だと言う妻に殴る蹴るの暴行を働き、挙げ句の果てに離婚してしまうことを企図していたのでしょう。
イボが生放送で繰り返していた「わしは男のためを思ってやった」という言葉を私が信じ、イボ批判をしたことを後悔し、ブログ記事を削除し、二度と批判を口にしないようにする為であったのでしょう。
気にくわない相手の人生を狂わせることを目的にデマを流すとはなかなか素晴らしい心根をしています。
気にくわない相手の人生を狂わせることを目的にデマを流すとはなかなか素晴らしい心根をしています。
おそらくイボナメクジは信頼出来る人が一人もいない奴なのでしょう。
だからこそ、しょっぱいデマさえ流せば、相手の私生活を簡単に壊せると思ったのです。
私がブログに綴った道場批判に対して正々堂々と真っ向から反論することが出来ずにデマを流したイボナメクジですが、そのデマさえ流せば、こちらが沈黙するだろうとの目論見は見事に外れました。
そのような卑劣なデマに屈するほど、こちらは甘っちょろい人生を送ってきてはいません。
そのような卑劣なデマに屈するほど、こちらは甘っちょろい人生を送ってきてはいません。
私は個人ブログで自分の体験したことを内省の意味をこめて書いたあとはイボナメクジについて書き続ける予定ではありませんでした。
私はアメブロを日録として、知人などに向けた日常報告のつもりで書いており、その一環として道場に触れただけでした。
しかし、イボナメクジはあろうことか私の妻を中傷し、精神的に追い詰めたのですから許すわけにはいきません。
そうして、私はイボ批判ブログを始めることにしたのです。
私がブログを続けている理由は完全な私怨であり、別に大層な正義感を掲げるつもりは毛頭ありません。
しかし私憤の何がいけないというのでしょうか。
妻を侮辱されているのに黙って笑っているのが立派な態度でしょうか?
妻が深く傷ついているのに、「犬に噛まれたと思って忘れなさい。不注意だった君も悪いところがあったわけだし」などと言って、悟ったような顔をしていられるほどには私は人間が出来ちゃいません。
というか、それが人間が出来ているといえますか?
私憤は卑小で、公憤こそ正しいとする考え方には疑問を覚えます。
オウム真理教も連合赤軍も公憤から始まっています。
世の中は果たしてこれでいいのかとの憤りから決起したわけであり、それはイボ道場も同じで、公憤だから正しい道を歩むわけではありません。
また私憤が誤ったものであるわけでもないでしょう。
妻をデマで中傷されたことに憤ることの何が間違っているというのでしょうか。
その私の私憤について、〆鯖子は必死でイボを擁護し、こちらの口封じに奔走したのです。
さて、〆鯖子と壇ミッツさんのLINEでの公論を見ていただきました。
これを公開することについて、〆鯖子はまさか「個人的なLINEのやりとりを晒すなんて酷い。傷ついた!」などと言って抗議してくることはないでしょう。
何しろ、我々がやっているのは私闘ではなく公論です。
議論したことは出来る限りオープンにしなければ、公論を名乗る資格はありません。
特定個人の実名は避け、一般論として触れたものについて、自分に当て嵌まっていたら傷つくというのなら、道場の試合はできないとイボナメクジも言っています。
何しろ、我々がやっているのは私闘ではなく公論です。
議論したことは出来る限りオープンにしなければ、公論を名乗る資格はありません。
特定個人の実名は避け、一般論として触れたものについて、自分に当て嵌まっていたら傷つくというのなら、道場の試合はできないとイボナメクジも言っています。
〆鯖子はその後も私がイボへの批判ブログを続けることを阻止しようとさまざまな工作を仕掛けてきましたが、そんなものに屈するぐらいならハナから告発の声などあげません。
私がブログを辞めないことに焦りを感じたのか〆鯖子はイボナメクジに直接談判し、イボ直々にブログなどで私のブログを名指し批判してコテンパンにやっつけてくれと願い出たようです。
その後の展開は以前にも紹介しましたが、次回また説明させていただきます。
この記事へのコメント
㍋㌧コイン
以下そのコメント箇所を引用します。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/09190556/?all=1&page=2
>京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授が言う。
「多くの人が命を落とすような病気ではないと、この数字からも明確にわかります。
また、高齢者も死亡リスクが高いとは言いきれません。
危険なのは基礎疾患がある場合です。
あえて言えば、もともと死亡リスクを抱えていた人の死期が、
新型コロナに感染して少し早まっただけの話。
総合的にみれば、新型コロナウイルスはインフルエンザより怖くないと思います。
それ以外にも、たとえば肺炎球菌に感染して亡くなる人が年間約2万人、
入浴中に亡くなる人も約2万人いる。インフルエンザのリスクはそれ以下で、
新型コロナがインフルエンザ以下であるならなおさら、それほど怖いものではありません」
「病気持ちの老人の死期が早まっただけ」
「コロナはインフルより怖くない」
「他の病気の方がコロナより死んでいる」
「入浴中の死者の方がコロナより多い」
と言う様に、イボ思考と酷似しています。
宮沢は分母を無視した(つまり危険度を無視した)単純な死者の比較をしているだけで、
既に伊藤医師らが否定しているように算数が出来ていないのです。
何てことは無い、職業は異なれど、病気持ちの老人は死んでも構わんと言う優生思想の者同士が意気投合しただけの話。
宮沢については私も最近知ったのですが、コロナ対策への科学性の矛盾から色々な人に批判されているようです。
https://twitter.com/miakiza20100906/status/1326355568018092032
宮沢孝幸、木村もりよ、とイボが懇意にする者に共通の点は現場を知る臨床家ではないという点です。
未曾有の事態に最新の知見を持って事に当たらず、自分がそれまでに得た知識に拘泥し、それで乗り切れるという知的向上心なき驕った勘違い野郎共です。
過去医師の労務問題で、元門下生の方がプロの見地からイボに異論を呈したら激怒してのぶみ氏を介して謝罪要求をする出来事がありました。
https://washiblog.seesaa.net/article/472118494.html
「運動にハマらず、日常に帰り現場を担うプロになれ!」
と脱正義論などでのプロフェッショナル論には感銘を受けた人は多いのではないでしょうか?
実際は現場のプロを尊重する事など無く、自論に都合が良ければアマチュアでも積極的に尊重し、
異論と向き合って議論するという過程すら疎んじるというのがイボ流ストロングスタイルだったようです。