イボ道場の最底辺シンパである餅アナゴ(仮名)が、葉月蓮さん(壇ミッツさん)のツイートに対して、「巻き込みリプをやめて」というお願いをしていました。
お願いではあるものの、謎の上から目線の物言いをするあたりは相変わらずです。
それはともかく、餅アナゴはそこで珍妙な意見を開陳してみせます。
《悪口は聞こえないように言うのが礼儀だ》
なんすか、コレ?
そんな礼儀など聞いたこともありませんが、相手に聞こえないところで言う悪口は陰口であり、そんなものに礼儀もへったくれもないでしょう。
また私は道場について告発や批判をしているのであって、別に悪口を書いているわけではありません。
私の書いている内容が自分たちに都合が悪いから悪口のように読めてしまうのでしょう。
公に向かって意見を発信する以上、批判にさらされる覚悟をしなければならないのは当然のことであり、一切の批判を禁じるなどというのはいかがなものでしょうか。
《「基礎疾患のある老人を死に導いてくれる」って、そんなに目くじら立てるセリフですか?》
《人は不老不死でなければいけないとでも思ってるんですか?》
《基礎疾患のある老人、つまり寿命の来た人を、ウイルスが死に導くのは厳然たる自然の摂理というものです。》
《もういい加減、絡んでくるのやめたら?》
ドロヘドロは町山智浩に話しかける形でブログをあげていますが、どうしてTwitterで直接リプライしないのでしょうか?
「老人を死に導く」というフレーズに何の違和感も抱かない感覚もかなりやべえですが、「基礎疾患のある老人」イコール「寿命の来た人」と捉える感覚には背筋が凍ります。
その違和感に対し、「不老不死じゃなきゃいけないのか?」と問う論理の飛躍にも唖然とします。
イボやヘドロの言い分を是とすれば、生まれてすぐに難病に冒され寝たきりになって臓器移植を待つ赤ん坊も「寿命の来た人」と捉えて見捨てることも肯定することになります。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人は寝たきりの障害者は生きている意味がないとして凶行に及びました。
それはまさに自分たちが不要と見なした存在を「死に導く」と称して、自然の摂理に任せる、つまりは何もせずに放置することがまるで良きことのように言う優生思想です。
それを批判する町山智浩は人として真っ当であるでしょう。
また、町山智浩には批判をする自由があります。
それに対して、「絡んでくるのやめたら?」などと冷笑するヘドロでありますが、批判されるのが嫌ならば公に向けて意見を発することをやめればよいでしょうよ。
イボ道場が社会に敵愾心を燃やし、害毒のような妄言を撒き散らしている以上、私は批判をやめるつもりはありません。
文筆家の切通理作が餅アナゴのタワゴトに乗っかる形で、壇ミッツさんの道場批判を「不快」と言ってブロックしたわけですが、つまり切通氏はイボナメクジの意見を容認する立場を取ったということなのでしょうか。
ならば、ヘドロと共に町山批判をすれば良いものをそれをする気配はありません。
切通氏はエキノコックス師範をストーキングした件でイボナメクジに不都合な事実を握られているので、イボだけではなく、イボシンパにまで媚びへつらい、我が身を守っているのではないかと邪推したくなります。
https://washiblog.seesaa.net/article/477096622.html

ドロヘドロと切通理作
https://washiblog.seesaa.net/article/477178898.html
この記事へのコメント
バビル3世
自分の中に空虚感があるから、セミナーとはどこで繋がっていたい」
切通理作の現在の心境はそんな感じだと思います。