《この先は「SPA!」の発売日も未定で、スケジュールが立てられない。》
《雑誌連載で描きたいものがあるから、なんとしても「SPA!」には頑張ってもらいたい。》
SPA!が廃刊の危機にあることを暴露したイボナメクジでございますが、そんなイボナメクジについて幾つかコメントが届いていますので紹介します。
《「わしがまだオスなのかどうか確かめさせてほしい」と優位な立場から女性に懇願したことでお馴染みの自称「恋愛の達人」が、こんなことを書いていますね。
「大人どうしの同意の上での遊びだろ?大人の男女の色恋の結末に、加害者も被害者もないよ。」
なるほど〜!
これがイボりんの#MeTooをはじめとする性被害の告発に対する総括ということですね?
さすが、付き合っていたなら紅茶に無断で睡眠薬を入れられても文句を言うな、とリュック・ベンソン(原文ママ)を擁護した人は違いますね!
嫌だと言えない、同意せざるを得ない、そうしなければ仕事を失いかねないという状況に追い込み性的行為を要求するのがパワハラを兼ねたセクハラなんですが、そのような状況でも同意さえあれば被害者も加害者もない!ということですか。うひゃー。
付き合ったのなら何をされても文句を言うな!
立場や権力を利用したり、精神的に支配した状態で女性を性処理の道具にしようと、見せかけの同意さえあれば無問題!世界的な敏腕プロデューサーたるワインスタインの才能を潰すな! ということなのでしょう。
広河隆一も同じ口でぜひ擁護してあげてくださいねwww》(匿名希望さん)
「大人の男女の色恋に、加害者も被害者もないよ」とのセリフのあとに、葉月蓮さんとのことをネタにしたマンガをトリミングしてみせるのは明らかに当てつけのつもりなのでしょうが、「妻帯者である男と関係を持った女」という雑な括りで「主体性のないからっぽな個」と挑発して告発への口封じを図るとは語るに落ちるというやつですね。
その言い分が通用するならば、広河隆一も山口敬之も加害者ではないということになります。
イボナメクジはわざわざ鉤括弧付きで「同意」と書いていますが、広河も山口もそしてイボナメクジも「同意」の上での遊びのつもりで加害行為に及んだということを認めているわけでしょうか?
イボナメクジはわざわざ鉤括弧付きで「同意」と書いていますが、広河も山口もそしてイボナメクジも「同意」の上での遊びのつもりで加害行為に及んだということを認めているわけでしょうか?
《私は、門下生になったことはありませんが、昔のゴー宣を知る者として、最近の小林の劣化をとても残念に思っています。
劣化の原因はいくつかあるでしょうが、その一つに自分自身を「知識人扱い」したことがあげられるでしょう。当初、小林は「思想村の住人」と揶揄して知識人を嫌っていました。その頃は自分の直感的感性を武器に知識人を批判していました。
印象的だったのは、吉本隆明のオウム真理教擁護論を、小林が自身の感性で痛烈に批判したことです。あれは傑作でした。(ちなみに、吉本隆明は好きな思想家の一人ですが、あの擁護論は根本的に間違っていると思っています。)
転換期は「新しい歴史教科書をつくる会」への参加、「戦争論」あたりでしょう。あの頃から、自分の考えを補強するために、都合の良い知識を多用するようになりました。そして戦争論は売れ、さらにその手法を強化しました。
その結果、等身大の感性と知識による強引な裏付けをミックスした「奇術的なイデオロギー」としての新しい「ゴーマニズム」が生まれたと思います。
この頃から、私は小林のやり方に違和感を覚えるようになり、それ以降、小林の本を購入することはなくなりました。
もう一つの転換期はやはり「ゴー宣道場」の設立でしょう。
当初は松下村塾のような「知の修行の場」を目指していたのかもしれませんが、今ではすっかり「小林の権力の場」となってしまったようです。
その様子は外野から見ていてもよくわかります。
当初は「悟りを求めての修行の場」だったオウムの道場が「麻原の権力の場」となってしまった経緯とよく似ていると思います。
もう一つの転換期はやはり「ゴー宣道場」の設立でしょう。
当初は松下村塾のような「知の修行の場」を目指していたのかもしれませんが、今ではすっかり「小林の権力の場」となってしまったようです。
その様子は外野から見ていてもよくわかります。
当初は「悟りを求めての修行の場」だったオウムの道場が「麻原の権力の場」となってしまった経緯とよく似ていると思います。
小林は昔は「漫画家」として「ゴーマンをかまして」いました。それで良かったのです。それだから良かったのです。
それが今では「わしの方が専門家よりも詳しいぞ!」
「わしだけが真実を知っているぞ!」と主張しなければ自分の正当性を維持できなくなりました。
長い間、知識を乱用した報いとして「漫画家としての感性」はすっかり錆びついてしまいました。それはまるで、度重なるドーピングによって体調を崩してしまった選手のようです。》(バビル3世さん)
それが今では「わしの方が専門家よりも詳しいぞ!」
「わしだけが真実を知っているぞ!」と主張しなければ自分の正当性を維持できなくなりました。
長い間、知識を乱用した報いとして「漫画家としての感性」はすっかり錆びついてしまいました。それはまるで、度重なるドーピングによって体調を崩してしまった選手のようです。》(バビル3世さん)
https://washiblog.seesaa.net/comment/list_comments?article_id=479812426
小林よしのりのブレーンである時浦兼の主張は次にある主張とまったく同じです。
「ゼロ自殺」はカルトです!
カルトに世論が乗っ取られて、 かき消されたような形になっていますが、 「ウィズ自殺」しかないのです!
なぜなら、自殺も貧困も人間社会の一部なのだから!
「ゼロ自殺」は 人間至上主義・生命至上主義であり、 これは「天動説」みたいなものです。
なるほど、戦争論以降の絵解きマンガ化についてはこのコメントで説明がつきます。
自分自身の知見ではなく、借り物の知識をあたかも自分のものであるかのように借りパクしておきながら、旬が過ぎるとすべて無かったかのように忘れて、まったく正反対の主張をし始めるのもむべなるかな。
『「ゼロコロナ」はカルトです! カルトに世論が乗っ取られて、かき消されたような形になっていますが、「ウィズコロナ」しかないのです! なぜなら、人間もウイルスも自然の一部なのだから! 「ゼロコロナ」は人間至上主義・生命至上主義であり、これは「天動説」みたいなものです。実際の世界は、そんなふうには出来ていません!』
「ゼロ自殺」はカルトです!
カルトに世論が乗っ取られて、 かき消されたような形になっていますが、 「ウィズ自殺」しかないのです!
なぜなら、自殺も貧困も人間社会の一部なのだから!
「ゼロ自殺」は 人間至上主義・生命至上主義であり、 これは「天動説」みたいなものです。
実際の世界は、そんなふうには 出来ていません!》(サフランさん)
ドロヘドロは「交通事故ゼロ運動」という呼びかけに対しても同じようにカルトだと非難して、「交通事故ゼロ」は生命至上主義などとイチャモンをつけるのでしょうか。
「ゼロコロナ 」は実際にゼロに出来ないとしても目標として掲げているだけのことでしょう。
それのどこがカルトなのでしょうか?
馬鹿なの?
というか、イボ道場関係者が馬鹿なのは先刻承知でございます。
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