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小室文書

小室圭文書と、母親の元婚約者の言い分をどちらもきっちり読んだので、わしが裁定します。

何度も書いていますが、私は個人的には眞子内親王とコムロ系が結婚しようが駆け落ちしようがどうでも良いと考えています。
その上で、あえて「公論」として俎上にあげるならば、「誠意大将軍案件」であるのではないかと愚考する次第です。
コムロwith眞子について、私は毛ほども関心がありませんので、そのゴシップについて詳しく知りませんでしたが、皇室についての知識が豊富な友人からコムロ系の問題とされている一連の事案についてレクチャーを受けました。

帝国ホテルの成人式や汐留タワービルの高級フランスレストランにてワーキングクラス呼ばわりされたことにガン切れした事やらなんやら、なかなかに最高なエピソード揃いで私は是非ともコムロ系に皇族の仲間入りして欲しいと強く思いました。
この件に関してはイボナメクジが強く望む女性宮家創設に賛成したくなりました。
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普通、自分の親の金で帝国ホテルで成人を祝ってもらうのも気が引けるもので、そこは身の丈を知るといいますか、自分の稼ぎの範囲で贅沢をするというのが凡人の感覚です。
「他人の金で食う飯は美味いかい?」と皮肉られるのは避けたいと考えるのが平民のしょぼくれた平衡感覚です。
しかしコムロ系は違います。そこは皇族に選ばれたエリートでありますので、平然と「ゴチになりまーす」と両手の親指を突き立てるのです。

世間の皆様は何やら勘違いしているようですが、そもそも皇族はそれほど上品な方々ではありませんでしたし、雅やかでもなく、ましてや国民の心を癒す存在などではありませんでした。
高円宮妃久子さまのように金髪のカツラをかぶってマリリンモンローの扮装をして妖艶に歌うのは当たり前、その御令嬢である高円宮承子さまのmixi案件のような奔放でベリークールな自由を謳歌してきたのが皇族の皆様方であります。
それを一新したのは前の皇后であり、現在の上皇后である美智子さまの活動です。
気品に溢れ、慈愛に満ちた皇族像は美智子さまおひとりで築き上げてきたものであるので、そこには歴史的な重みなどありませんし、皇室の伝統などでは勿論ありません。
これまでの女性皇族が嫁いだ先の相手は別に人格者という括りではないのはちょっと調べれば分かることです。
なのに、何故に世間はコムロ系の人格を問うのでしょうか?
それもこれも美智子さまが築いた慈愛のせいでありましょう。
世間はあまりに平成時代の天皇皇后を「理想の象徴天皇」として刷り込まれてしまっていて、羽賀研二みたいな奴が皇族の縁戚になるのに違和感を抱いてしまっているのでしょう。

皇族はもともと竹田恒泰みたいな人たちの集まりだと思えば、コムロ系が眞子さまと結婚することぐらいどうということではないでしょう。
我々が血反吐を吐きながら働いて稼いだ銭のなかから税金を徴収され、その税金がコムロ系のフトコロに入るのは納得いかないなどといっても、ならばどうしてる高円宮承子さまが胸にヤモリの刺青入れたい願望を吐露する「ビバ波乱万丈」なSNS投稿をスルーするのでしょうか。
皇族とはそもそもビバ波乱万丈な方々であると理解しておけば、コムロ系などカワイイものですし、女性宮家を創設してコムロを皇族入りさせることも問題なしとすることが出来る筈です。
その場合、当然の話ですが、旧宮家を皇族復帰させ、竹田恒泰を殿下的なものにするのも許容出来るでしょう。

そういうわけで、コムロ系に関して私はイボナメクジと意見を同じにしております。

この記事へのコメント

  • XYZ

    一般人なのだからはっちゃけた写真なんていくらでもあるでしょう

    善意持って書けば善、悪意持って書けば悪
    書き方次第で印象なんていくらでも変わる

    スタンスをコロコロ変える小室氏は、某ナメクジと一緒で信用に値する人物かと言えば甚だ疑問ですが
    2021年04月22日 23:10
  • 今は別世界の人

    こちらの記事に出ている小室さんのお写真、初めて見ました~。正直、驚愕です。
    鷲ヲさんの文章には笑いましたが、私は眞子さまと小室さんの話題には世間並みの関心があり、やはりお二人のご結婚には心からの祝福はできないと思っております。
    やだぁ、ますますこの羽賀研二みたいな人に拒否感が…。
    2021年04月22日 11:37
  • バビル3世

    小室君と同じような「法律主義者」がもう一人います。

    倉持麟太郎弁護士は「自由」や「痛み」について「クソ素晴らしき」解説を
    しています。(ゴー宣ネット道場)
    https://www.gosen-dojo.com/blog/30388/

    >私はこの訴訟を通じて、自由に対する人々の「痛み」や痛覚を取り戻したい。
    >自分の痛みも、そして他者の痛みも感じることができる人間社会を
    >取り戻したい。痛いことがわかれば、他者が痛いと言っているときに、
    >自分が痛くなくても想像ができるはずである。

    さて、自分の家族(元妻・子ども)の「自由」や「痛み」については、どう
    思っているのでしょうか?想像ができないのでしょうか?

    弁護士の倫理について考える(倉持麟太郎弁護士について)
    https://legal-ethics.info/129
    2021年04月19日 01:34