また山尾氏と倉持氏の現在の関係、そして倉持氏の前妻・A子さんが離婚後の昨年10月自殺していた事実を報じている。

山尾志桜里議員 「議員パス」を使って“不倫報道”倉持弁護士と密会 | 文春オンライン

この文春記事について、イボナメクジは次のように見解を表明しています。
《週刊文春の記事がネットで出回ってるからいずれ誰もが知ることになろうが、恋愛は狂気だからこういうことも起こる。今週の「FLASH」『よしりん辻説法』を読みなさい。》
人の死を自分の商売に繋げる倫理観のなさはさすが公論おじさんなだけはあります。
確かに恋愛は狂気を孕むものですが、しかしそれは恋愛に限らず人の営みのなかではあらゆる事象で正気を失い一線を越えることがあります。
何を恋愛のみを特別視しているのでしょうか。薄甘い恋愛至上主義に酔っているマヌケみたいな物言いです。
そして、盆暗モッチー師範の前妻への仕打ちは「恋愛の狂気」にカテゴライズするようなものではないでしょう。
《山尾志桜里衆院議員とのダブル不倫疑惑直後の11月に夫人と離婚。元夫人は「山尾さんの存在が離婚の原因になった」と考えている。
元夫人は「左脳大脳動脈狭窄症」を患い、生活が大変だったこともあり、倉持氏が息子の親権を持った。そのため元夫人は週3日、息子と面会して成長を見守ってきた。それが突然、倉持氏から面会を拒否された。
倉持氏から「マスコミ取材に応じたことを理由に、今後の面会交流は差し控えざるを得ません」とする内容のファクスが届いた。元夫人と直接連絡を取り合うことも拒否したという。元夫人は「息子に会わせてほしいし、息子から母親を奪わないであげてほしい。私との別れ際にいつも、“嫌だ、帰らない”と泣いていた息子の心が心配」と訴えた。》
仮に別れた相手が子供を虐待していたなどの事案であるならば面会拒否も理解出来ます。
高橋ジョージ案件であった場合も拒否っても仕方なしでしょうが、この件に関しては盆暗モッチー側があまりに鬼畜すぎるでしょう。
要するに、「長男は跡継ぎ」ゆえに旦那の家が引き取るのが当たり前であり、家から出た嫁が跡継ぎと面会する資格はないという理屈なのでしょうが、ゲロ吐きそうになるぐらいにクズい話です。
イボは「恋愛は狂気」として、盆暗モッチーの前妻の自殺を処理していますが、今回の件は相手を想うあまり恋焦がれて自死を選んだとイボは言いたいのでしょうか?
子供を奪われた女性が精神的に追い詰められて自殺したとするならば、それは「恋愛という狂気」とはまったく別の話です。
イボナメクジは自分たちに都合が悪いから話をすり替えているのです。
そういうのを詐話師というのです。
イボナメクジは完全に鬼畜側に立ちました。
それは今回の件で明白になりました。
この件についてコメントが届いていますので紹介します。
《昔の門下生氏が言及した事態に対し、代表は「気楽に」記事を書かれています。
自身が後押しした不倫の結果に対して無責任だなと感じるのが世間の常識というものでしょう。これで女性の地位向上など言えるのか。
同問題に気持ち悪さを感じて師範を退いた切通氏は先見の明がありました。まともな人間ほど耐えられずに去っていくのが今のゴー宣道場だとまた証明されてしまいましたね。
ついに関係者から人死にを出した道場。》(ライジング購読者さん)
《「恋愛は狂気だからこういうことも起こる。」
倉持麟太郎の前妻が自殺した件をこうも突き放して言える神経が凄いです。
こんな奴が「このまま経済が死んだら自殺者ガー」とか抜かしても何の説得力もありません。
お前、自殺者のことなんか全然心配してねえじゃねえか。
持論の都合で自殺者を錦の御旗にしてほざいてるだけで、都合の悪い自殺者には本来持ってる冷淡さがよく出てます。これがイボという人です。》(匿名希望さん)
子供に会えない苦しみについて、エキノコックス師範はどのように感じているのでしょうか?
まさか「さすがヤリチン弁護士! 武勇伝がまた一つ増えたね!」などと思っているのでしょうか。
まさに鬼畜。
イボ情報提供窓口メールアドレス
ibonamekuji@gmail.com
FC2ブログコメント欄(非公開設定も可能です)
TwitterのDMでも情報提供を受け付けています。
この記事へのコメント
マジ、日本に正義はないのか?ガッカリだわ。
別件だがスルガ銀行の件すら、もう怪しいと思ってしまうわ。
日本の司法はいったいどうなってんだよ。
ジャックダニエル
他の方もコメントされているが、子供ガー、女性ガー、自殺者ガーというのは自分の主張のために利用しているだけであり、実際は小指の先ほども彼らのことを考えてないのは火を見るよりも明らかである。
昔の門下生(恥ずかしい)
バビル3世
仁なければ人に非ず、禽獣に近き是なり。
必ずや仁と人と相合するを待ちて道と云うべし。
仁とは人間にそなわった人を思いやる心である。鳥や獣には仁がない。
仁がなければ人間ではなく、鳥や獣に近いものになってしまう。
従って、仁がそなわった人間としての行動こそが人の道ということができる。
松陰神社 吉田松陰語録より
https://showin-jinja.or.jp/about/goroku/