それは師範ブログだけではなく、道場メーリングリスト、ライジングコメント欄、ファンサイト掲示板などでも自分の体験談として語っている内容が明らかに作り話であることがあまりに多いです。
しかし、それが大ボラであると指摘する以上は証拠を提示しなければならず、いちいちその真偽を確かめるヒマなどないのでスルーすることにしていますが、あまりに作り話ばかりしている印象が強く、それはいかがなものかと思います。
イボの作り話の酷さは今後も追及してゆきますが、エキノコックス師範もまたちょっと看過出来ないほど雑な作り話めいた内容のブログをよくあげています。
以前にエキノコックスが自宅の天井から漏水した件について、まんまマンガ家のすぎむらしんいちさんのエピソードを丸パクした内容であったと指摘しました。
《エキノコックス師範の自宅が漏水した件なのですが、不思議な偶然があるもので、マンガ家のすぎむらしんいちさんが同日の同時刻頃に同じような被害に遭われているのです。
まさかとは思いますが、他人の体験談をまるっとパクって、「あたしってばフツーに暮らしているだけで周りにオモシロなことが巻き起こっちゃうという星の下に生まれたみたいなのかもかも〜」とアピールしているのでしょうか?》
この漏水案件ですが、よほど気に入ったのか、エキノコックスはことあるごとに家の天井を漏水させてみせるのでした。
《実は現在、またもやお風呂の天井から漏水再発8日目なのであった。しかも天井電球から漏れてきたので、危ないなと思って、電球を外そうとしたら、思いっきり100ボルトの電流に感電》
《緊急事態宣言中ですが、いま私の家には、大家さん、工事業者さん、不動産屋さんなど数人が狭い部屋に寄り集まって、天井からの漏水について、どうしたものかと相談をしています。》
いや、相談している場合ではなく、これだけ漏水が続く欠陥アパートからは早々に引っ越すべきでしょう。
当然その費用は大家と不動産屋が負担してくれるでしょう。
そして、昨日の寄生虫ブログでも嘘くせーブログをあげていました。
《一昨日は、朝6時半集合で、笛や打楽器のコンサートを開いている会場へ、カメラ3台やスイッチング機材などを担いで、生放送のお手伝いに行きました。》
《初対面で挨拶した方に、「小林よしのりさんといつもやりとりしている人とすごくよく似てますね」と言われて、次に、「もくれんさん?? オドレら正気か見てますよ!」と声をかけられて、めちゃめちゃ驚きました。どうやら、ライジングではなく、Youtubeからご覧になっている方々のようでした。》
ライジングを購読せずにYouTubeだけ観ているという設定ならば、それはコアなファンではなく、ライトな読者か又は「コロナはただの風邪」勢ということになります。
そんな人が初対面の相手に「小林よしのりさんといつもやりとりしている人とすごくよく似てますね」などと話しかけてくるなんてあり得ないでしょう。
それがワイドナショーの話題で「松本人志さんといつもやりとりしている女子アナとすごくよく似てますね」などという話ならば通用するかもしれませんが、イボナメクジの知名度を考えたら、その名前を出したところで相手にキョトン顔をされて「こば…、え? 誰ですか、それ?」などと反応され、その説明をしなければならない煩わしさを予想して声をかけることを躊躇するでしょう。
更にはイボのライトな読者や反コロナ対策勢はイボの生放送を観ていたとしてもイボの相手役であるエキノコックスの名前など認識していません。
これはイボに媚びを売る為の創作でしょう。
イボ道場しか居場所がないにしても、その必死の媚び売りにはドン引きします。
結局、エキノコックスは子供と引き離された盆暗モッチーの元妻に対して何の感情もわいていないようで、ブログに平然と《〇「週刊文春」のスキャンダル記事にどう対処すべきか?》などと書いている始末です。
鬼畜のような盆暗モッチーの処遇をどうすべきか論じるのではなく、文春記事への対処法だけを論じようというわけです。
生放送で一体どのような話をしたのか知りませんが、どうせイボの方針に従う形で山尾志桜里のみを悪者にし、山尾をスケープゴートにして幕引きを図るつもりなのでしょう。
まったく腐り切った連中ですね。
道場の連中はそれで親指を突き立てて「ナイスですね」と腰を振るのでしょうが、世間一般の感覚からしたら中指を突き立てたくなる外道な考え方をする集団です。
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この記事へのコメント
バビル3世
泉美さんなら、倉持氏の元妻の「心の痛み」がわかるのではないでしょうか?
わかるけど尊師には逆らえないのでしょうね。
尊師や道場から離れて「自分の感性」を大事にしてほしいものです。
物書きにとって「自分の感性」ほど大切なものはないのです。