《倉持氏の元妻の自殺は、わしは非常に苦しいことだし、倉持・山尾に責任がないとは言えない。》
イボナメクジは今更このような白々しいことを述べていますが、文春記事が出た直後には以下のように言い放っています。
《週刊文春の記事がネットで出回ってるからいずれ誰もが知ることになろうが、恋愛は狂気だからこういうことも起こる。今週の「FLASH」『よしりん辻説法』を読みなさい。来週の「ゴー宣道場」がますます面白くなったな。》
盆暗モッチーの元妻の自死について、「恋愛は狂気だからこういうことも起こる。(盆暗モッチーが登壇する)道場がますます面白くなったな」と嬉々としていたのに、何が苦しいのでしょうか。
ここでの「苦しい」とは自分も元妻を追い詰めた一人として世間から厳しい目で見られることとなり「苦しい立場になってしまった」という意味で、あくまで自分の窮状を訴えているだけであり、別に元妻に対して申し訳ないと思い、胸を苦しくさせているわけではないということなのでしょうか。
なるほど、それならば二つのブログの筋が通っています。
ますます鬼畜ですね。
イボナメクジは元妻が自殺した件を自分のマンガの宣伝に利用して、「今週の「FLASH」『よしりん辻説法』を読みなさい」と書いていますが、そのマンガの内容と元妻の自殺には何の関連もありませんでした。
このことのどこが「恋愛の狂気」なのでしょうか。
もしかして「恋愛の狂気」とは元妻への言葉ではなく、山尾志桜里と盆暗モッチーの行為を指しているのでしょうか。
互いの恋愛感情を守る為、それの阻害要因である妻を亡き者にしようと計略を立てて追い詰めたと、イボナメクジは認めたということですか?
なるほど、それならば筋が通っていますが、いよいよ鬼畜ぶりが堂に入っていますね。
山尾志桜里と盆暗モッチーは精神性よりも身体的な性愛に溺れ、首を絞めた阿部定のように、放火したお七のように、意図的に元妻を自死へ導いたとイボナメクジは言いたいわけです。
その上で、まるでそれが仕方がないことのように「こういうことも起こる」と言って済ませようとしたのです。
しかし、どうやら世間はそれでは許してくれないことに気付いて、自分の立場が苦しくなったと嘆き、すべての問題を山尾志桜里一人にかぶせて、さも自分も被害者の一人であるかのような顔をして、山尾が出演する時間は仏頂面をして沈黙し、山尾がいなくなってから山尾を罵倒すると決めたのです。
とことん卑劣なナメクジです。
余談ですが、イボナメクジはマンガのなかで、「色恋というのが本来の日本人の感覚だな」としたり顔で描いていますが、感覚などというものは時代によって変遷してゆくのが当たり前であり、「これが本来の姿だ」などと固定するものではないでしょう。
「過去にはこうだった」と言うのならば分かりますが、「本来の日本人の感覚」として、まるで今でも根付いているかのように言うのはおかしいでしょう。
西洋はプラトニック、日本は色欲という紋切り型の思考で恋愛を語るイボナメクジが恋愛マスターを気取っているのも滑稽です。
大した恋愛経験もないまま早々に学生結婚し、その後は編集者や読者など「命令に従うタイプ」を相手に支配欲と性欲を合併させたものを発散させていただけで、さもそれを恋愛経験かのように偽装して得意がる爺さん。
端的に言ってキモすぎです。
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