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無条件に小林よしのりを信奉するファンサイト

社会の全方位に噛みつく超下品雑誌『実話BUNKAタブー』に掲載されているロマン優光さんの論考の中で、イボナメクジの現状を「無条件に氏の発言を受け入れる層と、自分にとって都合のいい現実しかみたくない、コロナが脅威でない現実を切望している層にしかアピールできなくなっている」と喝破されていますが、イボ公認のファンサイトがまさにロマン優光さんの記事を受けて、その論考を実証するような醜態を晒してくれました。
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イボについて論評した記事が実話BUNKAタブーに載っているとの情報を提供した投稿について、ファンサイト管理人は「アンチが批判記事を紹介するイタズラだった」などと述べているわけですが、どうして批判記事を紹介することを非難するのでしょうか。それはつまり許されるのは称賛のみと言っているようなものです。
批判的な論評に向き合い、時に激しく議論してこそ「公論」とやらを組み上げていけるものでしょうに、奇しくもロマン優光さんが指摘された通り、イボの主張を無条件に受け入れるシンパの意見のみしか許されないのがイボ道場であると証明しているわけです。

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また、管理人は記事を執筆したロマン優光さんについて「そもそもこの人、一体誰なんだろう?」と失礼極まりないことを書いています。
ご本人が目にすることはないにしても、誰もが閲覧出来るネット上で著名人に対して「コイツ誰?」などと言い放つことは大変無礼な振る舞いでしょう。
それはネットニュースなどに取り上げられた有名人について、ヤフコメや匿名掲示板などで「こんな奴知らんし」とわざわざ書き込む下品さと同じです。
ファンサイト管理人は元々は2ちゃんねるのヘビーユーザーだったらしいので然もありなんといったところでしょう。
こういうクズ野郎は有吉弘行さんの名言なども胸に響かないのでしょう。
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「知らないことを偉そうに言うなよ。知らないことは恥だからな!」

ファンサイト管理人は同じ雑誌の中に正反対らしき記事があることを不思議がっていますが、ライターが違えば考え方も違うのは当たり前だということさえ理解出来ないヌケサクが一体どうやってファクトチェックをしながらサイトを運営していけると言うのでしょうか。
イボナメクジが主張するように、デマを流すのも言論の自由と開き直るつもりでしょうか。

さて、そんなイボ道場について、元参加者である葉月蓮さんが興味深いツイートをしていましたので以下に紹介します。

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https://twitter.com/hazuki_len/status/1439025276759863300?s=21
ゴー宣道場というのは、確かに小林よしのりの著作に負う形で始まったものだが、「道場」を掲げて公論を形成しようと気炎をあげた創設者たちが作った心得を見る限り、異論相手に「逃げるなよ」などとイキる、こんなロンパごっこをするために立ち上げたものではなかったはずだ。
少なくとも私はそう感じて参加した。そこでは異論や反論も含めて存在し、そこから最適解を模索して社会に還元する試みが行われるのだと。
残念なことにこれはゴー宣読者としてのかなり贔屓目な評価だった。実際、私が参加した時点ですでに「意見を異にした」創設者の幾人かが除外されていたのだから。
好意も嫌悪感も公正な判断の障害になることは承知しているし、これを全く持たずに生きていくのも難しい。
しかし時に嫌悪感よりも好意の方が、公正さという価値にとっては害悪になるという事を、私はゴー宣道場でリアルに経験して学んだ。
3年という期限を設けて始まったゴー宣道場に、私が参加したのは残り1年あるかないかという頃だったと思うが、この頃にはすでに「小林の主張に賛同するか否か」という踏み絵が存在していた。
これはワンイシューで活動する団体ならむしろ必要だろうが、議論によって最適解を導こうというのが目的であるなら採るべき基準ではなかったはずだ。
疑問や反論、異論なくして議論など成立しない。賛同意見だけが集う場所で出来るのはアジテーションだ。
毎回のようにテーマを変えて開催していた頃は、まだ何とか「よしりんとは違うかもだけど」というおずおずとした疑問や反論も許容されていた気がするが、皇室や憲法といった、主力テーマを掲げてやっていくようになると、こうした小さな異論も許容されなくなっていった。
そうした違和感を感じてフラットに思考出来た人は、当然ながら道場から離れていく。ただただ「よしりんが言ってるんだから正しい!」と妄信出来る者だけが残って今に至る。
『ゴー宣道場』という名前に力を持たせたいなら、小林よしのりの間違いや曲解こそ指摘して自浄していかなければやる意味が無い。
小林説ありきで世の中を見ている人間しかいない集団に説得力なんかない。ゴー宣道場は小林のコピー人間を作る場所に成り果てたのだから。
というか、こんな大層に批判する価値なんか無いほどのカスに成り果てたんだよ。
それでも批判しているのは、特に今のコロナ論が社会にとって害悪だから。…コロナ論だけじゃないけどね。

かつての参加者の中にはこのように内省し、冷静な分析が出来る、真っ当な知性がある方々もいたのですが、そのような方々は当然ながら自ら判断し愚かしい道場から離れていきました。
そうして残されたのが今の惨状です。

そんな惨状のなか、いよいよ運動団体と化していき、遂にはイボナメクジ自身も運動団体であることを認めた筈だったのに、またぞろ思いつきで正反対のことをブログにあげておりましたので、次回はその件について触れてみたいと思います。

この記事へのコメント

  • イボナメクジは、本来多様な考えを認めるべき場で「それじゃ相対主義だ」と自分の考え絶対主義を持ち出し、
    逆に絶対基準の科学、医学の世界に「自由に意見を言わせろ」「でなきゃ言論弾圧だ、ファシズムだ」と相対主義をねじ込んでいます
    そんな風にルールを捻じ曲げていけば、何をやっても百戦百勝です
    イボナメクジのコロナ論など、誇張、デマ、矛盾、曲解だらけで学術的価値など皆無です
    仮にどこかの学者に論文化してもらっても、まず査読に通らないでしょう
    大半のメディアがイボナメクジをスルーしているのは、過去の言動から相手にすると面倒なのをみんな知っているからです
    玉川徹と岡田晴恵に対談を断られ、今度は忽那賢志とこびナビに討論を吹っ掛け、誰にも相手にされずに吠えるだけ
    そんな中で、ロマン優光さんは批判してくれただけありがたいもんです
    漫画家の逆張りコロナ論なんて、普通読んでもくれません
    2021年09月19日 18:32