《2対2で対面して、生放送で3時間の公開討論をやろうじゃないか。条件はYouTubeで絶対に削除しないこと。》
《忽那も木下もウイルス学の素人、キャリアもペーペーの活動家に過ぎない。そうじゃないなら、公開討論で実力を見せつければいい。》
《わしが「間違っていた」と認めない限り、医師でもないわしの影響力は拡大し続ける。》
《わしは忽那賢志とこびナビ活動家(木下)が井上氏の理論を「トンデモ理論」と文芸春秋で断定したから、公開討論しようと言っている。これは名誉棄損で訴訟を起こすこともできる案件だ。だが、言論で決着つけるのが筋であり、いきなり裁判に持っていくのは疑問がある。》
《人の生死にかかわる問題なのだから、先に根拠なく侮辱した者が逃げることはないだろう。》
《本物の医学者・井上正康と、権力の御用医師・忽那賢志のワクチン論争は、国民の命と健康のため、絶対に必要だろう。》
《倫理観もない、勇気もない、正義感もない、ただ出世のために、権力の庇護のもとで他の医者を攻撃するだけ。》
《忽那は井上正康氏の説を「トンデモ理論」と文芸春秋で名指しで侮辱したんだから、白黒はっきりさせようという公開討論を受ければいいだけだろ?》
《権力者から「小林よしのりの罠にはまるな」「受けたら負ける」と注意が来たか? 忽那は権力の御用学者》
《ネット媒体なら、どっちかに肩入れする司会者なしで、CMなしで、ぶっ通しで両者の見解をぶつけあえる。視聴者がどっちが正しいか判定すればいいんだよ。それとも国民は馬鹿だから、騙されるとでも思っているのか?》
《「公開討論」から逃げるならば、今後二度と、デマとか、トンデモという言葉を使うなよ!こいつらがデマと言ったら、人々はただちに「公開討論を受けろ」と反応してくれ。》
井上正康は忽那賢志の文章に反論があるのならば文章でそれをすれば良いのに、どうしてイボナメクジというチンピラをけしかけているのでしょうか。
医者は弁士ではないのですから学術論文を書いて自説を証明してみせれば良いのです。
意見の違う相手同士がたった3時間程度言い争いをしたところで決着などつくわけがありません。
そんなことはこれまで討論番組を観てきた人ならば誰でも分かることです。
なのに直接対決を望む理由は、ひたすら自説を強弁して押し通し、更には何らかの商品を売り込むためでしかないでしょう。
なにしろ近々、この井上正康はイボナメクジとの共著を出すというではありませんか。要は自著宣伝の為の公開討論というわけです。
繰り返しますが、医者や学者は弁士や漫談家ではないのですから喋くりで実力を示す必要はありません。
臨床で結果を残し、丁寧な学術論文を記せば良いのです。
イボナメクジ自身が「わしが間違いを認めない限り、医師でもないわしの影響力は拡大し続ける」とゲロッてるように、どちらかが自説の誤りを認めない限り、論破は成立しません。つまり勝敗などつくわけがないのです。
イボは視聴者に勝敗を決めてもらうなどと述べていますが、それのどこが科学的なのでしょうか?
医学的な素養のない者が判定を下すとか馬鹿馬鹿しいにもほどがあるでしょう。
イボナメクジは忽那賢志の文章が名誉毀損に当たるとし、訴訟を匂わせて討論に応じるように脅迫していますが、「権力の御用医師」というのは侮辱に当たらないと思っているのでしょうか?
自分は散々他人を侮辱しておきながら被害者ヅラをするのですから恥を知れと言いたいです。
「人の生死にかかわる問題なのだから、先に根拠なく侮辱した者が逃げることはないだろう」とイボナメクジは偉そうにもっともらしいことを書いていますが、御子息を亡くされた宮坂昌之氏を根拠もなく侮辱していたのを忘れたのでしょうか?
イボナメクジと井上正康が自著宣伝のための公開討論を要求していることについては勝手に喚いていれば良いですし、その要求に応じる応じないは忽那賢志の自由なので好きに決めれば良いでしょう。
しかし残念ながらそんな公開討論などしたところで世の感染症対策に影響することはありません。
今後も粛々とワクチン接種は進み、いずれコロナ禍も沈静化してゆくことでしょう。
イボナメクジは必死に名誉挽回を図っていますが、歴史認識の類ならば逆張り言論でやり過ごすことも出来たでしょうが、感染症対策に逆張りすることは目に見える形で人の命を危険に晒すので誰も見逃してはくれません。
ロマン優光さんが「新型コロナという多くの人が体感している身の回りに差し迫った現実の前では、その逆張りも空回りしてしまっている。『戦争論』以降の机上の空論を弄んでいるだけで喝采をあびれていた時代と違い、今は氏の発信することの影響は他人の生死に直結しているのだから」と論評している通りです。
忽那賢志がイボの要求を呑んで公開討論に臨んだところでYouTubeでの配信は間違いなく削除されることでしょう。
そうすると、イボナメクジは「真実を伝えているから権力者に握り潰された」などと陰謀論者の常套句を口にして、意味不明な勝利宣言をして鼻息を荒くすることでしょうが、それに共感するのは同類のヤバイ陰謀論者たちだけであり、世間はただただドン引きするのみです。
そうなると社会から隔絶され、孤立したイボの運動団体はそのまま衰退していくか、又はより過激化してゆくかのどちらかしかないでしょう。
さて、そんな中でイボナメクジは自分の運動団体のやっている一連の活動について「運動ではない」とまたぞろ運動否定をし出しました。
《わしは「運動団体」は作らない。薬害エイズ運動と、教科書運動で、「運動」に関しては燃え尽きた。》
《「ゴー宣道場」は運動団体ではない。》
《門下生や読者はわしに必要な情報を次々に報告してくれて、わしに合体して来てくれる。小林よしのりはだから「合体ロボ」だと言っている。》
いやいや、確かにイボ道場については設立当初は「運動はやらない」と嘯いていましたが、昨年から方針転換して「道場は運動団体になった」と明言したばかりじゃないですか。
しかし「運動団体ではなく合体ロボだ」って、よく恥ずかしげもなく公言出来たものですね。
内輪向けの言葉遊びとして言ってりゃ良いものを、そんな幼稚な発言をしたら嘲笑されるだけだということも分からないのでしょうか。
大体、「合体ロボ」なんて考え方は運動団体よりもイメージは悪いでしょう。
「運動」ならば設定された目標・目的を達成するために個人個人が集まって協力してゆくものとして理解されますが、「合体ロボ」では頭になった指導者の手足となり、自分では何も考えずに命じられるままに働かされるイメージしか持たれません。
そして実際にイボ道場では末端シンパの意見など聞き入れられず、ただイボの主張に従うことを要求されています。
道場は「議論の場」などと言っていますが、参加者は登壇者の説法をただ黙って聞いているだけであり、質疑応答の時間も肯定的な意見のみ許され、少しでも疑義を挟んだり、持論を展開すると途中で遮られてしまいます。
確かにイボ道場は合体ロボでありますが、そんなことを誇られても、それは単なる独裁体制の全体主義に過ぎず、全然羨ましくもないし、ただの地獄でしかありません。
《いまだに全国推進隊長が「ゴー宣道場」は「運動」か?と聞かれるらしい。「運動」とは何だろう?政治的主張を集団で社会に訴えたり、政治家に働きかけたりすることではないか?》
《「ゴー宣道場」が担おうという志が「運動」というなら、「運動」でいいだろう。》
《ちっこい「私」のプライドなんかに囚われず、「公」を目指して戦ってみよう。戦争も経験できない退屈な人生の中で、我々は「戦友」になれるのだ!》
《薬害エイズ運動、教科書運動に続く、わしの最後の戦いだから、全国各地に動くということを伝えるために。つまり、わし個人が動く資金は全て自腹だから、カネがかかりますよということだ。なにしろわし、ファーストクラスしか使わないから。》
《今までわしが関わった「運動」は全て成功した。運動のあとでは、確実に世の中は変わった。わしの体が動くうちに、もう一度変えてやる。言っておくが、わしの体は合体ロボだ。》
《コロナ脳全体主義の中、「集会の自由」を行使し、現代の自由民権運動であるゴー宣道場で、共に考えてみませんか。》
《本物の愛国者なら、こんな日本ではいけないと思うはず!世直しが必要だと思うはず!そう思う人は、ぜひご参加ください!》
《今の「ゴー宣道場」の理論的裏付けになり、日本では過去に例がない初の「カウンター・デモクラシー」の市民運動になるということを確信させるものとなった。何らかの利益を目的とする運動ではなく、完全に「公」のためだけの目標を掲げて、ボランティアで実現を目指すのはゴー宣道場が初めてである。》
この記事へのコメント
ドラちゃん
「来るものは拒む、去るものは追う」とは、なかなかにムチャクチャというか支離滅裂ですが、誰も突っ込む人はいないんですかねえ。
尤も、ある事案に対して片方に全張りして、敵の敵を味方につけて取り巻きを増やし、あとは取り巻きの方だけを見て執筆する、というような事ばかりしているので、イボさんの周りにはイボさんに対して批判的な目でも見ることができる人がいないのかも知れません。
イボさんは、薬害エイズ編では川田龍平氏に対して誰も批判できない状態になっていないかと疑義を唱えていましたが、いざ自分がそうなったとき、自分では気が付かないものなんですかねえ。
人食いヅォン・ドゥー
イボジングコメント欄の気持の悪い連中(エキノ談)の1人
てれびくんとコロコロの申し子であるアナゴっち発なんですよ
https://mobile.twitter.com/anamochi_twit/status/1251576481710399488
てれびくんの主な購読層である未就学児童の男子の発想を
コドモマインドであることを自らの売りにしてるイボ先生が
あっさり受け入れた事で誕生したという経緯があるので
こような幼稚な発言をしたら嘲笑されるだけだと分からずに
恥ずかしげもなく公言出来てしまうのも仕方ないことなのです。
なにせ幼稚園児イボアナゴの合作ワードなのですから
性根がザボエラのイボ先生らしく超魔ゾンビ主義とか
言ってくれた方が多くの読者がしっくり来ると思うのですが