《それでは「デマもある民主主義」と、「デマを許さない全体主義」だったら、 どっちがいいだろうか?》
《あらゆる意見が提出され、それを見た上で国民が自分の頭で考え、どの意見が正しく、どの意見がデマかを見極め、選択する。これが民主主義の基本というものだ。》
《あくまでも「デマもある民主主義」と「デマを許さない全体主義」だったら、どちらがよりよい社会だろうかという選択の話だ。》
イボナメクジは常に物事を単純化して「トロッコ問題」を迫りますが、そんなものに回答する必要はないのです。
何故ならそんな2択など存在しないのですから応える必要はありません。
普通に「デマを許さない民主主義」を目指せば良いだけの話です。
「ゼロコロナ」というフレーズに対して、それは実現不可能などと高みから嘲笑する馬鹿など放っておいて構いません。馬鹿に合わせては目標を立てること自体が無意味な行為にされてしまいます。
あくまで一つの目標として目指し続けるのが誠実な態度でしょう。
交通事故がなくならないからといって、「交通事故死者ゼロ」をスローガンに掲げることを無意味と笑う馬鹿など相手にする必要などないのと同じです。
あらゆる意見の中からデマを排除した上で議論するのが民主主義であり、何故デマも選択肢の中に入れて話し合わなければらないのでしょうか?
「権力がデマ認定したものに粛々と従う畜群」という妄想をイボは思い描いていますが、それこそまさに陰謀論でしょう。
イボ道場はまさに陰謀論者の巣窟に成り果てていて最高に笑えます。
しかし、かつてそのような危険な集団を「いっそのこと笑っちゃえ!」と悪ノリした結果として地下鉄サリン事件に至るまで放置したことを忘れてはいけませんし、教訓にしなければなりません。
妙なグッズ販売をして、シンパから高額のお布施を募るヤバイ団体イボ道場。
自分たちの主張を全面に押し出したTシャツを着て、シンパは街頭に立ち、口角泡飛ばし街ゆく人に辻説法を仕掛けるべき!
などと思わず悪ふざけを言いたくなりますが、何度も繰り返しますが、笑っていいことと悪いことがあり、もはやイボ道場については笑いのネタにするフェーズではありません。
どんな時でも「よしりん最高!」と面白がっていた吉田豪さんでさえ、ワクチン陰謀論にまで手を出したイボナメクジにはかける言葉を失っているようで、もはやイボの生命線であった「吉田豪のインタビューを受ける」という唯一の救いの道さえ危うくなっています。
《それでも吉田豪さんは「よしりん大好き」というスタンスを崩していないので、この先またイボナメクジと仕事することもあるでしょうし、イボナメクジもシレッとインタビューを受けて、特にスリリングな展開になることもなく、今回の件は沈静化すると思います。》
この記事へのコメント
〇〇好きな鳩
あれを着て街を歩くとか、なんの罰ゲームかと思うレベル。
デザインってキャラを描けば完成!って思ってそう。
薬害エイズの時もそうだったけどね。
管理人さんの指摘通り、意味不明の2択です
民主主義は、デマを許容しないと成り立たないの?
全体主義でもデマは幾らでもあるでしょ
前提が正しくないと、正しい結論は得られません
民主主義のためと称してデマを許容してしまったら、社会は大混乱です
それこそインフォデミックでしょう
そもそも、どうしてイボナメクジはデマを許容して欲しいのでしょうか?
自分がデマを広めていることを自覚しているのですか?
ただ小馬鹿にして笑って見せるのはお手軽な賢者アピールに使われがちですが、笑うだけで放置していては事態は悪化するだけです。
現実の重さに耐えられない奴ほど、こういう無責任で偉そうな現実逃避に走ります。いわゆる冷笑系ですね。
昔の門下生(恥ずかしい)