《12月5日(日曜)の「関東ゴー宣道場」の基調講演を倉持麟太郎氏に任せることにした。テーマは「日本人大劣化現象」だ。》
盆暗モッチーのような倫理観が欠如した弁護士がどうして「日本人の劣化」を語ることが出来るのでしょうか?
盆暗モッチーが基調講演出来る内容といえば、「離婚した相手を追い詰めるノウハウ」ぐらいのものでしょう。
盆暗モッチーが倫理観の欠如したクズであることは既にイボナメクジも認めているところであり、しかし「有能だから」という理由で不問にふすのでした。要するに公徳心など何の利益にもならないからそんなものは犬に食わせろと言うわけです。
《一瞬のふるまいだったけど、「あ、これは親密すぎるわ…」と勘のはたらくシーンがあったんだよ。だから、山尾さんとなにかあろうがなかろうが、ま、わたしには、なにかある空気感にしか見えなかったが、どちらにせよ、あれは勘の鋭い人間から「へえ…」という目で見られることになるから、それはヤバいぞ、と言ったんだ。》
《なにが「イケメン弁護士」じゃい。「慶應卒のヤリチン弁護士」になっとるやないかい!》
《もう倉持麟太郎の私的ワルさはチャラ!倉持氏に道徳を説いても仕方がないし、それはわしも似たようなものだから、公の場では片目を瞑っておくしかない。》
イボナメクジは人が一人亡くなっているというのに、自分の利得に繋がる奴がやったことだから目を瞑ると言い放ったのです。
そもそも「私的ワルさ」と「公的ワルさ」はどのように仕分けることが出来るのでしょうか。
弁護士という職能を存分に発揮して、一般的に見て妻側に親権を譲るべきところを相手の持病を持ち出して来て奪い取ってしまうことは私的ワルさですか?
山尾志桜里が国会会期中に無届でロサンゼルス旅行した時に同行していた件も私的ワルさですか?
不倫相手である政治家の政策顧問をしていたことは明らかに公私混同だと私などは思うのですが、イボナメクジにしたらそれも私的ワルさなのでしょう。
そもそもイボナメクジは公私の分別がついていないクズなのですから、わざわざワルさに「私的」などと付ける必要はないでしょう。
素直に「わしの利得になるから、どんなワルさをしてもチャラ!」と言ってしまえば良かったのです。
しかし、そんな連中がよくもまあ「日本人は劣化した」などと言えたものです。
盆暗モッチーが日本人の劣化について偉そうに講釈タレる件について、反DDD団こと肉ミドロは何を思っているのでしょうか。
《ライジングコメント欄に「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」へのご意見が殺到しております。》
《リスクしかない状況で庇ってくれた恩人に対して狂信的だと受け取る倉持さんに闇を感じました。師範も道場生も、あれだけの状況証拠を突きつけられて潔白だと信じてる人は1人もいません。それでも敢えて、信じる側に付くことを選んだに過ぎないのです。(くにさんさん)》
もつ焼き屋で酔客の猥談を聞いて育った肉ミドロの闇の深さはすでにご承知の通りだと思うのですが、そんな肉ミドロに「闇が深い」と非難される盆暗モッチーって一体…
それにしても、ここでのヘドロ妻肉ミドロのコメントは色々と示唆を与えてくれます。
道場サイドはハナから山尾や盆暗モッチーの弁解など信じておらず、潔白ではないと認めていたわけです。しかしお仲間だからそのけしからぬ行為を見て見ぬふりすることにしたと白状しているわけです。
そんな奴らにアベ友がどうだのモリカケ問題がどうだの言えるわけもありません。
この態度は何も山尾との不倫絡みの問題の時だけ発動したわけではないと見るのが普通です。一事が万事そのような行動原理で動いていると判断されて当然です。
明らかに間違ったことをしていても、お仲間がやっていることだから擁護する。
どう解釈してもトンデモでしかない主張をしていても偉大なる尊師の御言葉だから信奉する。
それがイボ道場の基本スタイルです。
そして「お仲間」から外れた相手に対しては執拗に攻撃するのもお馴染みのパターンです。
盆暗モッチーはいずれ「お仲間」ではなくなると予想している肉ミドロはTwitterにて次のようなツイートをしています。
《倉持氏に対しては、おそらく笹さんと似た感じだと思う(前回から…)》
《倉持君にも期待はしていない。》
前回からパンダーウーマンと似た感覚であったという反DDD団こと肉ミドロ。
その前回とは上にあるヘドロブログに取り上げられたコメントの時のことであります。
確かに肉ミドロとパンダーウーマンは似た感覚のことを述べています。
ドロヘドロと肉ミドロ、この夫婦二人ともに言えることですが、他人になりすましてネット工作をすること自体その神経を疑いますが、二人とも知性も理性も足りないので結局は工作活動をしていることが発覚してしまうのですからマヌケ過ぎます。
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