イボナメクジがこしらえた西村博之の藁人形が雑すぎます。
《「ワクチンは安全です!」 なぜ?
「反ワクチン派はデマだからです。」 なぜデマなの?「製薬会社がそう言っているからです。」
なぜ製薬会社を信じるの?
「答えだからです。」 なぜ答えと言えるの?
「河野太郎が言うからです。」 河野太郎が間違って
いたら?
「お上が言うことは正しいのです。」 お上が間違って
いることは無数にありましたよ。
「昔のことは知りませんし、忘れました。」 疑問を
浮かべて調べてみたら?
「答えだけでいいです。」 答えに至る科学的説明が
大事なんだよ。
「要りません。答えだけでいいです。」 馬鹿なの?
「あなたが馬鹿です。論破!」 論破できてない
じゃないの。
「論破!論破!論破!」「ろんぱお――――――!」》
西村博之が言ってもいないことで批判的に茶化すやり口はまるで西村博之のようで恥を知れと言いたいです。
仮に西村博之の論破芸をパロディにするのならば、せめて模倣ぐらいしっかりするべきでしょう。
例えば、「答えに至る科学的説明が大事なんだよ」への返しには「それってあなたの感想ですよね?」を入れるとか、「お上が間違っていることは無数にありましたよ」の返しには「なんだろう、嘘つくのやめてもらっていいですか?」と入れれば、それなりに西村博之みが出て、パロディとして成立するでしょうよ。
イボが創作した「ひろゆき構文」にはまるで西村博之らしさもなく、ピントがズレた禅問答でしかありません。
特に《なぜ製薬会社を信じるの?「答えだからです。」なぜ答えと言えるの?》のくだりは酷過ぎで、仮想西村博之と対論している相手もまともに会話が出来ていない馬鹿で、互いに禅問答をしているようにしか見えず、これでは西村博之の論破芸の適当さを説明出来てはいません。
馬鹿なのはお互い様と言われておしまいです。
マジでイボナメクジは馬鹿なの?
あと細かい指摘で申し訳ありませんが、イボのコメントの色を最初青色にしていたのに西村博之のセリフをわざわざウンコ色にしたばっかりに、それ以降は自分もウンコ色のコメントを発しているありさまなのは、つまり馬鹿なの?
イボナメクジは「おちぶれてすまん!」と素直に言うべきでしょう。
それを言えないイボナメクジはあまりに惨めです。
さて、週刊SPA!最新号でのイボマンガでは自分のトンデモ陰謀論への自信がなくなったのか、「かもしれない」を連呼しています。
「数十年後に被害が出るかもしれない」という脅し文句ならば今すぐ立証する必要もなくなりますから好き勝手言えますね。
見事な遁走術です。
これだけ「かもしれない」を連呼する奴がいたら、それはもはや重度の不安障害の疑いがあると診断されるでしょう。
道を歩いていたら車に撥ねられるかもしれない。
街を歩いていたら暴漢に襲われるかもしれない。
飯を食べたら腹を下して大便を漏らすかもしれない。
鼻をほじったら鼻血が出るかもしれない。
腋の匂いを嗅いだら臭いかもしれない。
かもしれない運転は自動車を安全に走らせる上で大切な心掛けですが、それを連呼し始めたら、もはや何も出来なくなります。
イボナメクジの「かもしれない」はもはやその域であり、自分がデマを流した責任逃れをする為の卑劣な虚言と見なして良いかもしれず、イボナメクジという爺さんはどこまでも卑怯な野郎かもしれません。
イボ情報提供窓口メールアドレス
ibonamekuji@gmail.com
FC2ブログコメント欄(非公開設定も可能です)
TwitterのDMでも情報提供を受け付けています。
この記事へのコメント
通りすがり
ドラちゃん
ぐらいのことは思ってそうな気がします。
下手に過去の成功体験を引きずっているぶん、意識も昔からなかなか変わらん
新ネタをお願いします
可能性に訴える論証
Appeal to probability / Appeal to possibility
ある言説の出来事が起こる可能性が存在することをその言説の出来事が起こる可能性が高いことと混同する
https://agora-web.jp/archives/2054014.html
可能性に訴える論証 (Appeal to probability)
「ユニコーンがいた可能性は否定できない。だからユニコーンは存在した」とする論証。 「不可能性の証明」(Proof of impossibility, Negative proof)が極めて困難である事を利用する誤謬。
http://lelang.sites-hosting.com/naklang/fallacy.html